仲間入り
*
ある日の昼下がり。
三番隊隊舎の執務室では、
いつもと変わらぬ穏やかな時間が流れていた。
窓から差し込む柔らかな陽光が、
机の上に積まれた書類を照らしている。
紫乃は筆を走らせながら、
時折、手元の書類を確認しては
次の一枚へと目を移していた。
その傍らでは、副隊長の吉良が
書類の整理に追われている。
隊長に就任してからというもの、
紫乃のもとには以前にも増して
決裁を求める書類が集まるようになったが、
彼女は特に不満を口にすることもなく、
淡々と仕事をこなしていた。
そんな執務室に、
廊下から慌ただしい足音が響いてきた。
またか、と吉良は内心で思った。
ただし、今日の足音はいつもと少し違う。
駆けているにしては妙に軽やかで、
どこか弾むような響きがあった。
そして、その予感はすぐに的中する。
「紫乃ちゃーん!」
勢いよく障子が開け放たれ、
明るい声が執務室いっぱいに響いた。
ノックもなく飛び込んできたのは、
十一番隊副隊長の草鹿やちるだった。
「こんにちは、やちるちゃん」
紫乃は筆を置き、突然の来訪にも
驚いた様子を見せずに微笑んだ。
「最中があるけど、食べる?」
そう言って、机の脇に置いてあった
菓子箱を差し出す。
「食べるー!」
やちるは間髪入れずに答えた。
まるで、そのためにやって来たのではないかと
思うほどの即答だった。
「はい、どうぞ」
紫乃が箱を開けてやると、
やちるは嬉しそうに最中を一つ手に取った。
「わーい!いただきまーす!」
早速、頬張り始めるやちる。
その様子を見届けた紫乃は、
再び書類へ目を落とした。
「……何故、ここに来る人は皆、
落ち着きがないんだ……」
書類をまとめていた吉良が、思わずぼやいた。
最近、三番隊隊舎には
妙に騒がしい来客が多い気がする。
平子隊長が顔を出すときもそうだが、
乱菊が飲みに誘いに来たり、
草鹿副隊長に至っては、
訪問というより襲来に近い。
もっとも、本人に悪気がないことは分かっている。
分かっているからこそ、余計に対処に困るのだった。
そんな吉良の嘆きなど気にも留めず、
やちるは最中をもぐもぐと頬張っている。
「今日はどうしたの?やちるちゃん」
紫乃が尋ねると、やちるは「あっ!」と声を上げ、
食べかけの最中を持ったまま顔を上げた。
「そうだった!紫乃ちゃんにお願いがあるの!」
「お願い?」
紫乃は首を傾げた。
やちるからお願いとは、いったい何だろう。
菓子のおかわりだろうか。
それとも、十一番隊に関係する何かだろうか。
紫乃が思案していると、
やちるは残りの最中を口に放り込み、
空いた手で紫乃の手をぎゅっと掴んだ。
「こっち来て!」
「え、えっ?」
「花房隊長!?」
突然の展開に、吉良が目を見開く。
やちるは菓子箱を片手に抱えたまま、
紫乃の手を引いて執務室から連れ出そうとしていた。
「ちょ、ちょっと待って、やちるちゃん!」
紫乃は引かれるまま立ち上がり、
慌てて吉良を振り返った。
「な、ないと思うけど、
急ぎの書類があったらイヅルお願い!」
「えっ、あ、はい!……って、ええ!?」
返事をする間もなく、
紫乃はやちるに連れられて廊下へと消えていった。
残された吉良は、
開け放たれた障子をしばらく見つめていた。
机の上には、まだ片付けるべき書類が
山積みになっている。
「……一体、何がどうなっているんだ……」
深々とため息をつき、
吉良は再び書類に向き直った。
三番隊の昼下がりは、
どうやら今日も静かには過ごせそうになかった。
◇
「……それで、やちるちゃん。
今日はどこへ向かっているの?」
しばらく歩いたところで、
紫乃は隣を跳ねるように進むやちるに尋ねた。
「朽木邸だよ!」
「朽木邸?」
聞き覚えのある名前に、
紫乃はわずかに目を瞬かせた。
「朽木隊長に御用でもあるの?」
「違うよー!これから会議があるの!
こっちこっち!」
やちるはそう言うと、
迷いのない足取りで進んでいく。
「え、そっちは確か裏口じゃ……」
紫乃は思わず足を止めかけた。
朽木家の屋敷には、
過去に何度か訪れたことがある。
そのため、正門と裏口の位置くらいは覚えていた。
やちるが向かっているのは、
どう見ても正門ではない。
いったい、何の会議なのだろう。
そして、なぜ裏口から
入ろうとしているのだろうか。
疑問を抱きながらも、
紫乃はやちるの後を追った。
案の定、やちるは朽木邸の裏門をくぐると、
家主に一言も告げることなく、
さっさと敷地内へ入っていった。
「お、お邪魔します……」
紫乃は一応、門の前で軽く一礼してから、
その後に続いた。
由緒ある朽木家の屋敷は、
手入れの行き届いた庭も、
整然とした建物も、相変わらず隙がない。
静けさの中に、長い歴史を持つ
名家ならではの品格が漂っている。
そんな屋敷の敷地内を、
やちるはまるで自分の家のように歩いていた。
やがて、やちるはある場所でぴたりと足を止めた。
「ここだよ!」
そう言って、目の前を指差す。
紫乃はその先を見た。
そこにあったのは、朽木邸の建物でも、
出入り口らしきものでもなかった。
ただの壁である。
「……えっと」
紫乃は壁を見つめたまま、反応に困った。
何をどうすればいいのだろう。
まさか、ここで立ち止まっていることが
会議への参加条件なのだろうか。
そんなことを考えていると、
やちるが得意げに胸を張った。
「こうやって開けるんだよ!」
やちるは壁の一部に手をかけ、ぐっと押した。
すると、かすかな音とともに壁の一角が動き、
隠されていた扉が姿を現した。
「こ……こんな仕掛けがあったの?」
紫乃は目を丸くした。
古風な佇まいを保ち、
規律を重んじる朽木家に、
まさかこのような隠し扉が
設けられているとは思わなかった。
屋敷の雰囲気とは、
あまりにも不釣り合いに感じられたのだ。
「ううん!あったんじゃないよ!作ったの!」
「……作った?」
紫乃はますます困惑した。
「さ!入ろ!」
やちるは疑問に答えるつもりなどないらしい。
再び紫乃の手を引くと、
隠し扉の向こうへと進んでいった。
その先には、入り組んだ通路が続いていた。
左右に折れ曲がり、時には分かれ道まで現れる。
まるで迷路のような造りで、
何の案内もなければ、
初めて訪れた者が出口を見つけるのは
難しそうだった。
紫乃は周囲を見回しながら、やちるの後を歩いた。
「……やちるちゃん、ここは一体……」
「秘密の通路!」
「それは見れば分かるけれど……」
「もうすぐだよー!」
どうやら、詳しい説明を期待するだけ無駄らしい。
紫乃は小さく息を吐き、
ひとまず彼女についていくことにした。
やがて、やちるが通路の突き当たりにある
扉を開け放った。
「紫乃ちゃん連れてきたよー!」
明るい声が、部屋の中へ響き渡る。
「五分遅刻ですよ、やちるさん!」
真っ先に飛んできたのは、
眼鏡の奥から鋭い視線を向ける女性の声だった。
眼鏡をくいっと押し上げながら、
厳しい表情で遅刻を指摘したのは、
八番隊副隊長の伊勢七緒である。
「花房隊長〜!お疲れ様で〜す!」
続いて、いつもの明るい調子で声をかけてきたのは、
十番隊副隊長の松本乱菊だった。
「お、お疲れ様です!花房隊長!」
少し緊張した様子で頭を下げたのは、
四番隊副隊長の虎徹勇音。
その隣には、十二番隊副隊長の涅ネムが
静かに座っていた。ネムもまた、紫乃に気づくと、
言葉を発することなく丁寧に一礼した。
室内には、ほかにも会議の準備を整えた
女性死神たちの姿があった。
紫乃は入り口に立ったまま、部屋の中を見渡した。
副隊長が何人も集まっている。
しかも、誰もが当然のように
席についているではないか。
「……えっと、これは……?」
状況がまったく理解できず、
紫乃は困惑した表情でやちるを振り返った。
すると、やちるは満面の笑みを浮かべて、
堂々と言い放った。
「今日から紫乃ちゃんも、
女性死神協会の仲間入りだよ!」
「……え?」
紫乃は固まった。
今、何と言ったのだろう。
女性死神協会。
その言葉の意味は分かる。
だが、どうして自分がここに連れてこられたのかは、
さっぱり分からなかった。
そもそも、入会するなどという話は
一度も聞いていない。
もちろん、承諾した覚えもなかった。
「え、ええと……やちるちゃん?」
紫乃が困惑しながら名前を呼んだ、その時だった。
ぱちぱちぱちぱちっ。
室内から拍手が起こった。
「……え?」
紫乃はますます目を丸くした。
乱菊は楽しそうに笑い、
勇音は少し戸惑いながらも拍手を送っている。
ネムも静かに手を叩いていた。
どうやら、やちるの宣言は、
本人の意思とは関係なく
受け入れられてしまったらしい。
「や、やちるちゃん……
私、最中をあげただけなんだけど……」
紫乃は困り果てたように呟いた。
まさか、最中一つの代償が
女性死神協会への入会になるとは
思いもしなかった。
「草鹿副隊長、また説明もせずに
花房隊長を連れてきたんでしょ」
乱菊が呆れたように言った。
「えー? だって、
紫乃ちゃんに来てほしかったんだもん!」
「そういう問題じゃないでしょう……」
「でも、紫乃ちゃんが来てくれたよ!」
「来てくれたんじゃなくて、
連れてきたんでしょうが」
乱菊のもっともな指摘にも、
やちるはけろりとしている。
紫乃は二人のやり取りを眺めながら、
どうしたものかと小さく息を吐いた。
断ろうにも、そもそも何の説明も受けていない。
ここで帰ると言い出すのも、
せっかく集まっている面々に悪い気がした。
その時、ぱん、と七緒が手を叩いた。
「とにかく、時間は有限です。
皆さん、席についてください。
花房隊長も、ひとまず
会議の様子を聞いていてください」
「は、はい……」
七緒のきっぱりとした口調に、
紫乃は反射的に返事をした。
こうなってしまっては、仕方がない。
紫乃は用意されていた座布団に腰を下ろした。
隣では、やちるが満足げに最中の箱を抱えている。
最中一つどころか箱ごとの代償は大きかった。
七緒は全員が席についたことを確認すると、
手元の資料を整え、会議の開始を告げた。
「それでは、これより
女性死神協会定期集会を開始します」
その声を聞きながら、紫乃は静かに姿勢を正した。
三番隊隊長として日々の執務を
こなしているはずが、
気づけば見知らぬ隠し通路を通り、
女性死神協会の集会に参加することになっていた。
しかも、発端は最中一つである。
紫乃は隣で嬉しそうにしているやちるを横目で見た。
「……やちるちゃん」
「なーに、紫乃ちゃん?」
「次からは、せめて先に説明してね」
「はーい!」
明るく返事をするやちるを見て、紫乃は苦笑した。
その返事がどこまで本気なのかは、甚だ疑わしい。
こうして紫乃は、本人の知らぬ間に
女性死神協会の会議へと
巻き込まれてしまったのだった。
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