かくれんぼ


*




「やはり、花房隊長がいらっしゃると、
まともに仕事をしてくださる方がいて
大変助かります」

書類を整理しながら、
八番隊副隊長の伊勢七緒がしみじみと口にした。

その声音には、日頃からこの集まりで
苦労を重ねている者ならではの実感が滲んでいた。
目の前には、女性死神協会の活動に関する書類が
山のように積み上がっている。
それらを前にしても七緒の手際に乱れはなく、
むしろようやく仕事が進むと安堵しているようだった。

一方、四番隊副隊長の虎徹勇音は、
隣で黙々と筆を動かす紫乃を見て、
申し訳なさそうに肩を縮めた。

「で、でも……隊長に協会の仕事を
手伝っていただくのは……」

「気にしなくていいよ、勇音」

紫乃は顔を上げることなく、穏やかに答えた。

目の前には、女性死神協会の活動に必要な
経費をまとめた帳簿が広げられている。
支出の内訳を確認し、数字の不備を修正しながら、
紫乃は流れるような手つきで筆を走らせていた。

隊長職に就いてからも、書類仕事には慣れている。
むしろ、こうした細かな数字を整理する作業は
嫌いではなかった。必要な情報を一つずつ確かめ、
筋道を立ててまとめていく。
誰かがやらなければならない仕事なら、
手を動かすことに抵抗はない。

ただし。

「それはいいんだけど……」

ふと筆を止めた紫乃は、帳簿から顔を上げた。

視線の先には、広々とした部屋の中で
思い思いに過ごす女性死神たちの姿がある。

仕事に励む者もいれば、茶菓子を楽しむ者もいる。
中には、そもそも仕事をするつもりなど
なかったのではないかと思える者までいた。

紫乃は、ここへ連れてこられた時から
抱いていた疑問を、ようやく口にした。

「どうして朽木隊長のお屋敷で集まっているの?」

その問いに、部屋の一角で
くつろいでいた松本乱菊と草鹿やちるが、
ほとんど間を置かずに答えた。

「だって、朽木隊長のお屋敷って広いし」

「美味しいお菓子がいっぱい!」

乱菊は湯呑みを片手に、
さも当然とばかりに笑っている。

やちるに至っては、目の前に並んだ菓子を
頬張りながら、満面の笑みを浮かべていた。

どうやら二人にとって、
この場所を選ぶ理由はそれだけで十分らしい。

「そっか……」

紫乃は二人を見つめ、ひとまず納得したように頷いた。

確かに、朽木家の屋敷は広い。
集会を開く場所としては申し分ないだろう。

ただ、裏口から入ってきたことと、
秘密の通路を通ってきたことが気にかかる。
そもそも、屋敷の主人である朽木白哉には、
きちんと許可を取っているのだろうか。

それに、やちるが持っている菓子も気になった。

箱ごと抱えていたあたり、
客人として振る舞われたものではなく、
どこかから持ち出してきたのではないかという
疑念が拭えない。

考えれば考えるほど、
いろいろと心配になってくる。

そして、もう一つ。

紫乃は、湯呑みを片手にすっかり
くつろいでいる乱菊へと視線を向けた。

「やちるちゃんはともかく、
乱菊は日番谷隊長に叱ってもらおうね」

「えっ?」

にこやかな声に、乱菊の笑顔がぴたりと止まった。

紫乃は再び筆を持ち、帳簿へ視線を戻す。
口調こそ柔らかいものの、
言っていることは至極真っ当だった。

「私が仕事をしているんだから、
乱菊もくつろいでないで書類をやりなさい」

「えーっ! そんなぁ!」

乱菊は湯呑みを置くと、
露骨に不満そうな声を上げた。

「私がやるより、花房隊長がやられた方が
数百倍早いじゃないですかー!」

「それは、そうかもしれないけど」

紫乃はあっさりと認めた。

実際、慣れた者が処理した方が早い仕事もある。
乱菊の言い分にも、一理くらいはあるのだろう。

けれど、それとこれとは話が別だ。

「だからって、全部私に任せていい理由には
ならないでしょう?」

「ううっ……正論……!」

乱菊は胸を押さえ、大げさにうめいた。

七緒はそんな二人のやり取りを横目に、
気にする様子もなく書類を整えている。
勇音は困ったような笑みを浮かべ、
紫乃と乱菊のやり取りを見守っていた。

「日番谷隊長の苦労が知れるわね」

紫乃は、乱菊の様子に困ったように笑った。

「普段は仕事してますよー!」

乱菊はすかさず抗議する。

「どこがですか。怒られているところしか
見たことありませんよ」

七緒が呆れたように口を挟んだ。

「それは七緒ちゃんが見かけた
タイミングの問題よ!」

「そうでしょうか」

「そうよ!」

乱菊は頬を膨らませ、ぷいと顔を背けた。

その様子に、紫乃は小さく笑みをこぼす。

賑やかなものだ。

そう思いながら、再び帳簿に目を落とそうとした、
その時だった。

けたたましい警報音が室内に鳴り響いた。

同時に、壁際の装置が赤く点滅し始める。
穏やかだった室内の空気が一瞬にして張り詰め、
そこかしこで女性死神たちの動きが止まった。

「これは……?」

紫乃は筆を止め、驚いたように周囲を見渡した。

「侵入者です! 皆さん、定位置に隠れて!」

真っ先に声を上げたのは七緒だった。

彼女は手元の書類をまとめると、
迷いのない動きで壁際へ駆け寄り、
隠し扉の向こうへと姿を消した。

「ひいー!来たー!」

勇音は悲鳴を上げ、涅ネムと一緒に
別の隠し場所へと駆け込んでいく。

つい先ほどまで菓子を頬張っていたやちるも、
いつの間にか姿を消していた。

あまりの素早さに、紫乃は思わず目を瞬かせる。

「花房隊長、こっちです!」

乱菊が紫乃の手を引いた。

「え?え?」

状況を把握する間もない。

引っ張られるままに連れていかれた先には、
床へと続く隠し扉があった。
乱菊はそれを開けると、紫乃を促して中へ押し込む。

「ちょ、ちょっと、乱菊……!」

「しーっ!静かに!」

何がどうなっているのか。

紫乃が問いただす暇もなく、乱菊は扉を閉じた。

暗がりの中、二人は息を潜める。

上からは、誰かが部屋へ
入ってくる足音が聞こえてきた。

そして。

「…………」

沈黙。

足音の主は、室内の惨状を見て
言葉を失っているようだった。

やがて、低く冷ややかな声が響いた。

「……散れ、『千本桜』」

「えっ」

紫乃が反応するより早く、
斬魄刀の始解によって生じた無数の刃が、
隠し扉ごと周囲を薙ぎ払った。

轟音とともに隠し場所が破壊され、
二人の姿があらわになる。

「ひいーっ!」

勇音の悲鳴が、どこからともなく響いた。

「ちょっと朽木隊長!
無許可の斬魄刀の始解はダメじゃないですか!」

乱菊は心臓をばくばくさせながら、
目の前の人物に抗議した。

そこに立っていたのは、
この屋敷の主人である六番隊隊長、
朽木白哉だった。

白哉は乱菊の抗議を意に介する様子もなく、
淡々と答えた。

「朽木家の敷地内ゆえ、問題ない」

「そういう問題じゃないと思うんですけど!?」

「この惨状こそが問題だ」

家主からすれば、それもそうだろう。
無許可で人の屋敷を改造して、菓子など盗みを働き、
家主がくれば侵入者だと言われるのだから。

その時、白哉の視線が乱菊の隣へと移った。

「……まさか貴様が加担しているとはな。
花房紫乃」

名を呼ばれ、紫乃の肩がぴくりと揺れる。

じろりと見下ろしてくる白哉の視線に、
紫乃は居心地が悪そうな苦笑いを浮かべた。

「ご、ごめんなさい、朽木隊長……。
やちるちゃんに連れられて、
流れで加担していて……」

そう言って、紫乃は破壊された隠し場所から
おずおずと外へ出ると、白哉の前に立った。

同じ隊長格とはいえ、相手は朽木家の当主であり、
四大貴族の一つを背負う人物だ。

しかも、紫乃にとって白哉は、
単なる同僚というわけでもない。

「花房隊長!同じ隊長なんですから、
もっと強気でいてください!」

後ろから乱菊が声を上げた。

どうやら、頼もしい味方がいると分かって、
少しばかり強気になったらしい。

紫乃は困ったように眉を下げた。

まさか、そのために自分を協会へ
引きずり込んだのだろうか。

そんな疑念が頭をよぎる。

「そんな事言われても…朽木隊長は、
四大貴族の方だから、私にとっても目上の方なのよ。
それに、夜一さんともよく遊ばれていたし……」

「遊ばれてなどいない」

白哉は即座に否定した。

「遊んでやっていたのだ」

あまりにも間髪入れない返答に、
紫乃は思わず口元を緩めた。

「そっか。花房隊長、
朽木隊長よりも歴が長いんでしたっけ」

乱菊が感心したように呟いた。

紫乃は現役の隊長たちの中でも、
長い年月を死神として過ごしてきた一人だ。
こうして白哉の若い頃を知っているという話も、
彼女の経歴を思えば不思議ではない。

もっとも、乱菊にとっては、
普段の紫乃の落ち着いた佇まいからは
想像しにくい話だったらしい。

紫乃は懐かしむように目を細めた。

「朽木隊長が、凛々しくて活発な青年だった頃から、
夜一さんと一緒に来ていたんだけど……。
夜一さんがからかい上手でね。
私も朽木隊長も、よく振り回されて……」

「軽々しく語るな」

白哉の声が低くなる。

「私は振り回されてなどいない。
貴様が四楓院夜一に惑わされ、
私の修行の邪魔をしていたのだろう」

「そうだったかな?」

紫乃は首を傾げた。

責められているというのに、
どこか楽しそうだった。

「よく鬼ごっこをさせられたの、懐かしいな」

「花房隊長が朽木隊長と鬼ごっこ……!?」

乱菊が目を見開いた。

その声に反応し、隠れていた七緒や勇音も、
そろそろと顔を出す。

普段の紫乃からはなかなか想像できない話だ。
ましてや、あの朽木白哉が鬼ごっこをしていたなど、
にわかには信じがたい。

しかし、紫乃の表情には懐かしさが浮かんでいた。

彼女にとっては、ずいぶん昔の、
ありふれた思い出の一つなのだろう。

「……そろそろ止めないと、その口を斬り刻むぞ」

白哉が一歩、紫乃へと詰め寄った。

その声音は低く、表情は相変わらず無表情のまま。
だが、そこから放たれる圧は
冗談と受け取るにはあまりにも強かった。

「ご、ごめんなさい」

紫乃は即座に謝った。

懐かしい思い出話も、
ここまでにしておいた方がよさそうだ。

その時だった。

「やちるも鬼ごっこするー!」

明るい声が、部屋の入り口から響いた。

全員がそちらを向くと、いつの間に戻ってきたのか、
やちるが満面の笑みで立っていた。

そして、何のためらいもなく白哉を指差す。

「鬼はびゃっくんね!」

「…………」

一瞬、部屋の空気が凍りついた。

白哉は無言だった。

紫乃は恐る恐る、その横顔を窺う。

怒りと呆れが入り混じったような気配が漂っている。
普段から感情を表に出さない白哉だが、
今はその無表情が一段と冷たく、
氷のように張り詰めて見えた。

やちるはそんなことなど気にも留めず、
楽しそうに部屋の外へ駆け出していく。

「びゃっくん、こっちだよー!」

「…………」

白哉はしばらくその場に立ち尽くしていた。

やがて、ひとつ息を吐くと、
ゆっくりとやちるが走り去った方へ歩き出した。

「……朽木隊長?」

乱菊が恐る恐る声をかける。

白哉は答えない。

ただ、廊下へ出ると、
逃げ回るやちるを追うように歩みを進めた。

その姿を見送りながら、紫乃は目を瞬かせた。

まさか、本当に付き合うつもりなのだろうか。

しかし、次の瞬間。

廊下の向こうで、桜の花びらのような
無数の刃が舞い上がった。

「きゃー! びゃっくん、ずるーい!」

やちるの楽しげな声が響く。

千本桜によって逃げ道を塞がれたやちるは、
あっという間に追い詰められ、
白哉の手によって捕獲された。

「…………」

室内に残された女性死神たちは、
誰一人として口を開けなかった。

やがて、紫乃がぽつりと呟く。

「……朽木隊長、
ちゃんと鬼ごっこしてくれるんだね」

「そこに感心するんですか、花房隊長!?」

乱菊の声が、静まり返った部屋に響き渡った。










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