妙案
*
紫乃が一番隊のお茶会に出席しているため、
その日の女性死神協会の集会は、
彼女を欠いたまま開かれていた。
いつものように集まった面々を前に、
伊勢七緒は手元の帳簿と睨み合っていた。
何度確認しても、数字が改善する気配はない。
眉間に深い皺を寄せ、
支出の項目を一つずつ見直していく。
やがて、どうにもならない現実を
突きつけられたように、重いため息をついた。
「うーん……やはり厳しいですね……」
その声に、向かいで茶菓子をつまんでいた
松本乱菊が顔を上げた。
七緒は帳簿をめくり、記載された支出項目を
指で追いながら、淡々と読み上げる。
「草鹿副隊長のお菓子代と、松本副隊長の酒代。
それから、砕蜂隊長の四楓院夜一さんへの貢物で、
今期の経費がかなり圧迫されています……」
項目が読み上げられるたび、
乱菊の表情がわずかに曇っていく。
「これは節約しないといけませんね」
「えー!?」
案の定、乱菊が不満の声を上げた。
「そもそも、協会の経費を私用で使い込みすぎです!
何ですか、この意味の分からない出費の数々は!」
七緒は手にしていた帳簿を、
ばん、と机に叩きつけた。
その勢いに、近くにいた勇音がびくりと肩を揺らす。
ネムは相変わらず表情を変えず、
机の上に広げられた書類へ視線を落としていた。
「何よー!女性死神がのびのびと暮らすための
女性死神協会でしょー?」
乱菊は悪びれる様子もなく、
頬杖をついて反論する。
「貴方方がのびのびするのではなく、
護廷十三番隊に所属する女性死神が、です!」
「細かいことはいいじゃない」
「細かくありません!」
七緒の鋭い指摘に、乱菊は不満げに唇を尖らせた。
「とにかく!次の瀞霊廷通信の出版で
売り上げを伸ばさないと、当面は節約ですからね!」
「えー!」
七緒の宣言に、乱菊は露骨に肩を落とした。
お菓子も酒も、今までのように自由には使えなくなる。
そんな未来を想像したのか、
乱菊の顔には分かりやすく落胆の色が浮かんでいた。
「でも、次の写真集はどうしましょうか……」
そこで、虎徹勇音が困ったように呟いた。
「人気の隊長たちも続けて取り上げていますし、
さすがに少し伸びが悪くなってきていますよね」
これまでに刊行した隊長たちの写真集は、
いずれも一定の売り上げを記録していた。
だが、同じ顔ぶれが続けば、
購買層の関心も薄れてくる。
新たな企画を考えなければならない時期に
差し掛かっていた。
勇音の言葉に、ネムも小さく頷く。
「確かに、これまでの企画とは違う
目新しさが必要かと思われます」
「そうですよね……」
七緒は再び帳簿へ目を落とした。
経費を抑えるだけでは限界がある。
売り上げを伸ばすためには、
読者の興味を引く新しい企画が必要だった。
その時。
「それなら、良い案があるわよ!」
それまで不満そうにしていた乱菊が、
何かを思いついたようにぱっと顔を上げた。
先ほどまでの落胆はどこへやら。
口元には、何やら企んでいるような
笑みが浮かんでいる。
「何でしょうか?」
勇音が首を傾げた。
乱菊は一同を見回し、
もったいぶるように一拍置いてから、
得意げに告げる。
「いるのよ!売り上げを確実に上げてくれる、
良い新モデルが!」
「新モデル……?」
七緒が怪訝そうに眉を寄せる。
勇音とネムも顔を見合わせた。
乱菊はそんな反応を気にする様子もなく、
ますます楽しそうに笑っている。
その表情を見た七緒は、嫌な予感を覚えた。
「……松本副隊長。まさか、また何か怪しい企画を
考えているのではありませんよね?」
「やだなあ、七緒ちゃん。
今回はとっても良い企画よ?」
「その言葉を、私はあまり信用していません」
「ひどーい!」
乱菊は大げさに胸を押さえた。
しかし、その目はすでに次の企画の成功を
確信しているかのように輝いていた。
「とにかく! 此処は私に任せて!」
そう言って、
乱菊は自信たっぷりにウインクをした。
その怪しげな自信に、
七緒と勇音は揃って困惑した表情を浮かべる。
何を企んでいるのかは分からない。
ただ、乱菊がこういう顔をする時は、
大抵ろくなことにならない。
七緒はそう確信していた。
◇
一番隊のお茶会を終えた紫乃は、
三番隊の隊舎へ戻り、
いつも通り執務に取り掛かっていた。
机の上には、確認を待つ書類が整然と積まれている。
先ほどまでの穏やかな茶会の余韻もそこそこに、
隊長としての仕事が待っていた。
「花房隊長。次はこちらの書類をお願いします」
「ありがとう」
吉良から差し出された書類を受け取ると、
紫乃は内容に目を通した。
必要な箇所を確認し、筆を走らせる。
最後に隊長印を押せば、一つの仕事が片付いた。
「じゃあこれを八番隊へ」
そう言って書類を吉良へ返そうとした、
その時だった。
廊下から、どたどたと
慌ただしい足音が近づいてくる。
吉良はその音を聞いた途端、わずかに眉を顰めた。
またか。
そう思う間もなく、勢いよく障子が開かれる。
「花房隊長ー!」
「……松本副隊長!」
吉良がすかさず声を上げた。
「乱菊さん!いい加減、
許可を得てから入室してください!」
しかし、乱菊は吉良の注意など目にも留めない。
たわわな胸元を揺らしながら、
まっすぐ紫乃のもとへと歩み寄ってくる。
「あら、乱菊。協会の会議は終わったの?」
紫乃は筆を置き、穏やかに尋ねた。
「花房隊長!今日、飲みましょうよー!」
「うん。いいよ」
「やったー!」
あまりにも即答に、乱菊も素直に喜び、
慣れた二人のやり取りに吉良は困惑する。
紫乃は何の疑いもなく、
すぐに吉良へと視線を向けた。
「イヅルも行く?」
「えっ、僕もですか?」
吉良が返事をするより先に、乱菊が口を挟む。
「イヅルは駄目よ!今日は女子会なんだから!」
「…………」
行きたいとも、行きたくないとも答えていない。
にもかかわらず、即座に参加を拒否された吉良は、
何とも言えない表情で口を閉ざした。
ほんの少しだけ、肩が落ちている。
「女子会、いいね。誰が来るの?」
紫乃はそんな吉良の様子に気づかないまま、
楽しそうに尋ねた。
「砕蜂隊長と夜一さんを誘いました!」
「え、夜一さん、現世からわざわざ来られるの?」
「久々にこっちで飲みたいんですって!」
乱菊は得意げに答えた。
どうやら、すでに話はついているらしい。
「そう……。夜一さんがいると
飲み過ぎちゃうのよね……。
砕蜂隊長もいるし、気を付けなきゃ……」
紫乃は少し考えるように視線を上げた。
夜一と酒を酌み交わすとなれば、話も弾むだろう。
そこに砕蜂まで加わるとなると、
普段とはまた違った賑やかな席になりそうだ。
もっとも、紫乃自身の酒の弱さを考えれば、
気を付けるべきなのは間違いない。
そう思っているものの、
結局いつも通り酔ってしまうのが
花房紫乃という人間だった。
「じゃあ、お店は砕蜂隊長が用意するらしいので、
夕方、飲み屋街に来てくださいねー!」
「分かった。楽しみにしてるね」
「はーい!」
約束を取り付けた乱菊は、満足そうに手を振ると、
来た時と同じ勢いで部屋を出ていった。
開け放たれた障子が、
彼女の後ろでゆっくりと揺れる。
あまりにも慌ただしい来訪だった。
紫乃はその背中を見送ってから、
ふと吉良へと視線を向ける。
「……乱菊も忙しいのね。
あんなに慌ただしくして、
日番谷隊長に怒られたのかな?」
「さ、さぁ……?」
吉良は曖昧に答え、首を傾げた。
乱菊が忙しいのかどうかは分からない。
ただ、先ほどの様子には、何か妙なものを感じた。
あれほど急いでいた理由は何なのか。
わざわざ紫乃を名指しで
誘いに来たのは何故なのか。
そして、あの自信ありげな笑顔は何だったのか。
吉良には、どうにも腑に落ちなかった。
「早く仕事終わらせなきゃね」
一方の紫乃は、そんな吉良の疑念など知る由もなく、
再び机の上の書類へと手を伸ばしていた。
夕方の女子会を楽しみにしながら。
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