露見
*
数日後の朝。
紫乃はいつもと変わらぬ様子で
三番隊の隊舎を歩き、執務室へと向かっていた。
廊下ですれ違う隊士たちに、
いつものように穏やかな笑みを向けて声を掛ける。
「おはよう」
「お、おはようございます!」
「お……おはようございます……!」
返ってくる挨拶は、どれもどこかぎこちなかった。
声が上ずったり、妙に背筋を伸ばしたり。
中には挨拶を返した途端、
そそくさと視線を逸らしてしまう者までいる。
紫乃は歩みを緩め、背後を振り返った。
「……?」
何かあっただろうか。
思い当たる節はない。
隊士たちに何か注意をした覚えもなければ、
特別な命令を出したわけでもない。
それなのに、いつもと様子が違う。
何より気になるのは、彼らの視線だった。
挨拶を交わす際、ほんの一瞬だけこちらを見ては、
すぐに目を逸らす。
何かを確かめるような、
あるいは何かを知っているような、
妙な視線が向けられている気がした。
紫乃は小さく首を傾げたものの、
結局理由は分からないまま執務室へと足を進めた。
室内に入ると、机の上には今日処理する書類が
整然とまとめられていた。
羽織を整えて席に着き、
まずは書類の内容に目を通し始める。
いつも通りの朝。
いつも通りの仕事。
そうしてしばらく経った頃、
執務室の障子が開いた。
「おはようございます」
入ってきたのは吉良だった。
「イヅル、おはよう」
紫乃が顔を上げて挨拶を返す。
すると、吉良は一瞬だけ動きを止めた。
「お、おはようございます……」
どこか素っ気ない返事をして、すぐに視線を逸らす。
耳のあたりが、ほんのり赤くなっていた。
「…………」
紫乃は吉良の顔をじっと見つめた。
朝から妙な反応をするのは、
何も隊士たちだけではないらしい。
「……他の隊士たちもだけど、
イヅルまでどうしたの? 何かあった?」
さすがに気になり、紫乃は率直に尋ねた。
「い、いえ……」
吉良は歯切れの悪い返事をすると、
紫乃から視線を逸らした。
「…………」
紫乃はわずかに目を細める。
何かあるのは間違いない。
けれど、吉良は答えようとしない。
そのくせ、動揺していることは
隠しきれていなかった。
顔を赤くして目を逸らす様子は、
普段の彼からすればあまりにも分かりやすい。
一体、何をそんなに気にしているのだろう。
理由も分からないまま妙な反応をされると、
こちらまで居心地が悪くなってしまう。
紫乃はしばらく吉良の様子を窺っていたが、
これ以上問い詰めても答えは
返ってこないだろうと判断した。
「そう……」
それだけ告げると、
紫乃は再び書類へと視線を落とした。
声はいつも通り穏やかだったが、
どこか素っ気ない。
吉良はそんな紫乃を見て、
ますます気まずそうに口を閉ざした。
執務室には、紙をめくる音と
筆を走らせる音だけが戻ってくる。
紫乃は仕事に取り掛かりながらも、
胸の内に小さな疑問を残していた。
一体、皆は何を知っているのだろうか。
◇
昼前にはひと通り仕事を終えた紫乃は、
吉良とともに食堂で昼食を取っていた。
いつもなら他愛のない会話を交わしながら
食事をする二人だが、
今日の吉良はどこか様子がおかしい。
朝のように顔を赤らめることはなくなったものの、
紫乃と目を合わせようともしない。
目の前に置かれた鯖の味噌煮を、
黙々と口に運んでいる。
無理に問いただしたところで、
求める答えは返ってこないだろう。
紫乃はそう考え、吉良の様子を
しばらく見守ることにした。
しかし、妙なのは吉良だけではなかった。
食堂にいる隊士たちからも、
朝と同じような視線が向けられている。
興味、好奇心、あるいは疑い。
さまざまな感情が入り混じった視線が、
時折こちらへと注がれていた。
「……」
紫乃は心当たりのない視線の変化に戸惑いつつ、
ゆっくりと食事を続けた。
その時だった。
「うわっ!」
不意に声が上がり、紫乃はそちらを振り返った。
盆を持った隊士が、別の隊士とすれ違う際に
肩をぶつけたらしい。
手にしていたものが床へと落ち、
ばさばさと乾いた音を立てて散らばった。
「大丈夫?」
紫乃は箸を置き、席を立った。
床に落ちたものを拾い上げると、
それは一冊の雑誌だった。
「は、花房隊長!申し訳ありません!」
隊士は慌てて頭を下げた。
「気にしないで」
紫乃はそう言って雑誌の表紙に目を向けた。
そこに印刷されていたのは、見慣れた題字だった。
「……そっか。今日、
瀞霊廷通信の発売日だっけ?」
思い出したように呟く。
女性死神協会も、経費を賄うために
いくつかの企画を設けてもらっている雑誌だ。
先日の集会では、今期の経費が厳しいため、
売り上げを伸ばさなければならないという話をしていた。
その後、乱菊が何やら新しい企画を
思いついたようだったが、
具体的な内容までは聞いていない。
今月号はどうなったのだろう。
紫乃は何気なく表紙を眺めていた。
「あ、あの……花房隊長。
拾ってくださり、ありがとうございます」
隊士の声に、紫乃ははっと顔を上げた。
「あ、ごめんね。今月の内容が気になって。
後で自分で購入するね」
穏やかに笑って雑誌を返す。
すると、隊士は目を見開いた。
「えっ!」
「……?」
そんなに驚くことだろうか。
紫乃は不思議そうに首を傾げた。
けれど、その反応を見て、
ふと一つのことに気づく。
朝から向けられていた妙な視線。
隊士たちのぎこちない挨拶。
吉良の不自然な態度。
そして、今の驚きよう。
どうやら、自分に向けられた気まずい空気と、
この瀞霊廷通信には何か関係があるらしい。
「……イヅル」
紫乃は目の前に座る吉良に声を掛けた。
「は、はい……」
吉良はぴんと背筋を伸ばして返事をする。
「今月の瀞霊廷通信、読んだ?」
「も、もちろん読みました……」
わずかに言い淀んだ後、吉良は手元の箸を置いた。
「よ、良かったら、僕の買ったものを読みますか?」
「ううん。自分で新品の瀞霊廷通信を買うから大丈夫」
紫乃はにこやかに答えた。
吉良の表情が、ほんのわずかに強張る。
「そ、そうですか……」
「うん。ありがとう」
紫乃はそれ以上何も尋ねず、
食べ終えた盆を持って席を立った。
返却口へ盆を戻すと、そのまま食堂を後にする。
吉良はその背中を見送りながら、
何とも言えない表情を浮かべていた。
◇
三番隊の隊舎には、
隊士たちが自由に利用できる無人売店がある。
紫乃はそこへ立ち寄ると、
棚に並んだ瀞霊廷通信を一冊手に取った。
代金を木箱へ入れ、雑誌を抱えて執務室へ戻る。
机の上に置くと、さっそく表紙をめくった。
まず目に入ったのは、いつも通りの誌面だった。
一番隊の山本総隊長が主催する茶会のレポートに、
四番隊の卯ノ花隊長による川柳。
七番隊の男気講座、十番隊のコラム、
十二番隊の実験レポートなど、
各隊の特色を生かした企画が並んでいる。
どれも普段と変わらない内容だ。
女性死神協会の企画も、
どこかに掲載されているのだろうか。
紫乃はページをめくりながら、
目当てのものを探した。
しかし、特に気になる記事は見当たらない。
「……?」
ふと、最後のページに差し掛かったところで、
紫乃の手が止まった。
一番後ろに、銀色の袋で閉じられた部分がある。
「……何かしら、これ」
雑誌を買い慣れていない紫乃は、
こうした袋とじがあることを初めて知った。
表面には切り込み線が引かれている。
何か特別な企画なのだろうか。
紫乃は机の引き出しから小さな鋏を取り出し、
指示に従って慎重に袋を開いた。
そして、中のページを覗き込んだ瞬間。
ガタンッ!
椅子を大きく引く音が、執務室に響き渡った。
「な……何なの、これは……!」
紫乃の顔が、見る見るうちに赤くなる。
袋とじの中に掲載されていたのは、
酔って頬を赤らめた自分の写真だった。
しかも、一枚だけではない。
頬を緩めて誰かに寄り添っている姿や、
普段の落ち着いた表情からは想像もつかないほど
無防備な姿まで、何枚も並べられている。
誌面には、女性死神協会の新企画として、
華やかな見出しまで添えられていた。
紫乃は雑誌を持ったまま、
しばらくその場に立ち尽くした。
朝から隊士たちが妙な反応をしていた理由。
吉良が目を合わせようとしなかった理由。
乱菊があれほど自信満々に女子会へ誘いに来た理由。
ようやく、すべてが繋がった。
「…………乱菊」
紫乃の口から、低く名前が漏れた。
穏やかな笑みは、もうどこにもなかった。
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