干し柿
*
干し柿を作ってから、数週間が経った。
隊舎の軒先に吊るしていた柿は、
すっかり水分が抜けて小さく萎み、
表面には白い粉が浮き始めていた。
秋の名残を留めていた橙色の実は、
甘い干し柿へと姿を変えている。
紫乃は吉良と共に、その出来上がった干し柿を
一つずつ手に取った。
「うん。甘くて美味しいね」
一口食べた紫乃は、
自然と頬を緩めて吉良に微笑みかける。
「はい……」
吉良も頷いたものの、
その返事にはどこか歯切れの悪さがあった。
干し柿を見つめる目には、
懐かしさとも寂しさともつかない色が滲んでいる。
「も、勿論、味は美味しいのですが……!
やっぱり思い出してしまうので、なんとも……」
我に返ったように言い添えた吉良は、
気まずそうに視線を落とした。
「……そっか」
紫乃は無理に励まそうとはしなかった。
ただ、吉良の心情を受け止めるように、
穏やかな表情で静かに頷く。
この味には、吉良にとって
特別な記憶が結びついている。
自分たちがどれほど丁寧に作ったところで、
それを塗り替えることはできないのだろう。
それでも、今年の干し柿もまた、
誰かの記憶に残る味になればいい。
紫乃は手元の干し柿をもう一口齧った。
せっかく作ったのだから、
乱菊にもお裾分けしよう。
そう思い立った紫乃は、干し柿を数個、
風呂敷に包んで十番隊へ向かった。
尸魂界はすっかり冬の気配に包まれていた。
瀞霊廷を吹き抜ける北風は容赦なく、
隊長羽織の裾を大きく揺らす。
頬に触れる冷気は肌を刺すようで、
歩いているだけでも身体の熱が奪われていく。
「もうすっかり冬だなぁ……」
白い息を吐きながら呟き、
紫乃は十番隊の隊舎へと足を進めた。
玄関にいた隊士が、
紫乃の姿に気付いて姿勢を正す。
「花房隊長、お疲れ様です」
「お疲れ様。乱菊いるかな?」
「松本副隊長でしたら、
先程出掛けてしまって……」
隊士は申し訳なさそうに答えた。
「あら……すれ違っちゃったか」
せっかく持ってきたのに。
紫乃は手にした風呂敷へと目を落とした。
すると、前から声が掛かった。
「松本なら居場所が分かるぞ」
顔を上げると、そこには日番谷の姿があった。
「日番谷隊長、お疲れ様」
紫乃が笑い掛けると、
日番谷は短く「ああ」と返した。
「乱菊の居場所って……?」
「東流魂街六十二地区、花枯だ」
「流魂街……」
紫乃は聞き返すように呟いた。
流魂街は瀞霊廷を取り囲むように広がる、
現世から送られてきた魂たちが暮らす場所だ。
その暮らし向きは地区によって大きく異なり、
治安の悪い地域も少なくない。
日番谷が口にした六十二地区・花枯も、
特に貧しく、治安の悪い地区として知られている。
そんな場所に、乱菊がいるというのだろうか。
「行ってみれば分かる」
日番谷はそれだけ言うと、
廊下の奥へと歩いて行ってしまった。
紫乃は去っていく背中を見送ったものの、
まだ事情はよく分からない。
けれど、日番谷がわざわざ居場所を
教えてくれたのだから、何か理由があるのだろう。
ひとまず、乱菊のいるという
流魂街六十二地区・花枯へ向かうことにした。
◇
山の方へと進むにつれ、
寒さはいっそう厳しくなっていった。
この辺りでは、もう間もなく雪が降り始めるのだろう。
吹き下ろす風は冷たく、身を縮めずにはいられない。
道の傍らには、風を遮るにはあまりにも
心許ない小屋が点々と建っていた。
草は枯れ、葉を落とした木々が
寒々しい枝を空へと伸ばしている。
人の気配もまばらで、瀞霊廷の整えられた街並みとは
まるで違う景色が広がっていた。
なぜ乱菊がこんな場所にいるのだろう。
紫乃は歩きながら、ふと考えた。
松本乱菊という人間を、
自分はどれほど知っているのだろうか。
十番隊の副隊長として、いつも明るく振る舞い、
誰とでも気さくに接する彼女。
酒の席では豪快に笑い、
時には人をからかって場を賑やかにする。
けれど、その明るさの奥にあるものを、
自分はほとんど知らなかったのかもしれない。
足場の悪い道を慎重に進んでいくと、
やがて見覚えのある金色の髪が目に入った。
「乱菊」
紫乃が優しく声を掛ける。
呼ばれた乱菊が振り返った。
こちらに気付いた途端、
その目が驚いたように大きく見開かれる。
「は、花房隊長!?どうして此処に!?」
「日番谷隊長に此処だって聞いたのだけど、
本当にいたのね」
驚く乱菊に対し、紫乃はいつもと変わらぬ
落ち着いた調子で答えた。
「隊舎にある柿から、
三番隊の皆んなで干し柿を作ったの。
あの子が作る味より劣るかもしれないけど、
甘くて美味しいから、乱菊にもと思って」
そう言いながら、
紫乃は持ってきた風呂敷を広げた。
中には、丁寧に作られた干し柿が並んでいる。
乱菊はそれを見下ろした。
先ほどまでの驚きは次第に薄れ、
代わりに、どこか切なそうな表情が浮かぶ。
「どうして……わざわざ此処まで……」
珍しくしおらしい声だった。
乱菊は一つ手に取ると、
しばらくそれを眺めていた。
そして、視線を紫乃から外し、
崖の下に建つ小屋へと向ける。
「……あの小屋で昔、暮らしていたんです。
あいつと……」
あいつ。
それが誰を指すのか、紫乃にはすぐに分かった。
市丸ギン。
二人が幼馴染であることは聞いていた。
けれど、かつて暮らしていた場所が
ここだったとは知らなかった。
「そうだったの……」
紫乃もまた、乱菊の視線を追うようにして
小屋を見つめた。
風雨に晒され、今ではひっそりと佇むその小屋に、
かつて二人が暮らしていたのだろう。
今の姿からは、当時の生活を想像することも難しい。
「それに今日は……あいつと会った日で、
それが私の誕生日なんです」
乱菊は手の中の干し柿へと目を落とした。
「誕生日がなかった私に、
自分と会った今日が誕生日だって……勝手に……」
その声には、懐かしさと寂しさが入り混じっていた。
「その時に、空腹で死にそうだった私に、
干し柿をくれたんです……」
そう言うと、乱菊は手にしていた干し柿を一口齧った。
しばらく味わうように咀嚼してから、
ゆっくりと顔を上げる。
「確かに、あいつの味とは違うけど……
美味しいです」
そう言って笑った乱菊の表情は、
今にも泣き出してしまいそうなほど切なかった。
紫乃の胸が、きゅっと締め付けられる。
平子や浦原、夜一が行方不明になった頃、
そして都や海燕を失った頃。
自分もまた、こんなふうに一人でいる寂しさに
押し潰されそうになっていたのだろうか。
目の前にいる乱菊の姿に、かつての自分が重なる。
どれほど周囲が手を差し伸べようとも、
失ったものを埋めることはできない。
どんな言葉を掛けたところで、
それを受け止めるのは本人であり、
時間をかけて自分自身と向き合うしかないのだ。
周りにできることは、ただ見守ることだけ。
紫乃自身も、そうして誰かに見守られながら、
少しずつ救われてきた。
だからこそ、
今は無理に何かを言う必要はないのだろう。
「乱菊……美味しかったなら良かった。
来年はもっと美味しく作れるように頑張るね」
紫乃は、そっと微笑み掛けた。
「じゃあ、残りの干し柿も此処でゆっくり食べて。
私はもう行くから」
そう告げて背を向けた、その時だった。
「え!寒いんで私ももう行きますよ!」
いつもの明るい声に呼び止められ、
紫乃は思わず足を止めた。
「え?」
少し声を裏返しながら振り返る。
「そんなところで長い時間いたら風邪引きますよ!
というか、こんな貧しい生活してた場所に
長居したくないし!」
乱菊はそう言って、手にした干し柿を
大事そうに持ったまま、紫乃の隣へと並んだ。
「も、もういいの?」
「ちょっと浸ってただけなんで、
全然大丈夫ですよ!
というか、この干し柿、
花房隊長が作ったんですか!?」
乱菊は手元の干し柿を見つめ、
今さら気付いたように声を上げた。
「それは、毎年手伝っていた
隊士たちから聞いて……」
「へー! 毎年食べてたから助かるー!」
乱菊は、先ほどまでの切なげな表情が嘘のように、
嬉しそうに笑った。
どれほどこちらが気を遣わせないようにしても、
この子は弱い部分を見せるつもりがないらしい。
そう思うと、
わざわざ此処まで来てしまったことを、
紫乃は少し後悔しそうになった。
あの場所で一人、
もう少し思い出に浸っていたかったのかもしれない。
自分の気遣いが、かえって乱菊の時間を
遮ってしまったのではないか。
けれど、そんな紫乃の思いを
見透かしたかのように、乱菊が明るい声で言った。
「花房隊長、ありがとうございます!」
屈託のない笑顔だった。
紫乃は一瞬目を瞬かせ、
それから困ったように微笑む。
「どういたしまして」
二人は並んで、来た道を戻り始めた。
冷たい北風が吹き抜ける。
けれど、乱菊の手には、
まだ食べかけの干し柿が大切そうに握られていた。
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