序章
*
目を覚ました時、
何が起きたのか、
すぐには理解できなかった。
部下から聞かされたのは、
あまりにも現実離れした話だった。
浦原喜助が、裏切った。
四楓院夜一も、共謀者として姿を消した。
そして――平子真子をはじめとする、
何人もの隊長、副隊長が虚化し、行方不明になった。
一度にいくつもの席が空いたことで、
護廷十三隊は大混乱に陥っていた。
「……そう」
それだけしか、言葉が出なかった。
目覚めてすぐに隊首会議へ呼ばれ、
事情聴取を受けた。
自分が気絶させられる直前、何を見たのか。
誰の霊圧を感じたのか。
何を覚えているのか。
私は、自分が気絶させられた時に、
特定出来る霊圧は感知していなかったと証言した。
浦原さんが私を襲ったのではないと、私は思っていた。
けれど、それを裏付けるだけのものを、
私自身が何も持っていなかった。
私が知らないところでは、別の証言もあったらしい。
私を発見した隊士は、
喜助の霊圧を感知したと証言した。
その隊士も、
後に別の場所で死亡しているのが確認された。
それによって、
喜助が私を襲ったのだと判断された。
私は何も言えなかった。
違う、と言いたかった。
けれど、違うと言い切れるだけの根拠がなかった。
何も分からない。
ただ一つだけ、分かっていた。
真子さんは、帰ってこなかった。
仕事には、すぐに戻った。
普段通りに書類を片付けて。
普段通りに人と話して。
普段通りに笑った。
誰かに何かを聞かれても、必要なことには答えた。
隊のことも、仕事のことも、
これまでと何も変わらない。
ただ――昔話はしなかった。
喜助のことも。
夜一さんのことも。
ひよ里たちのことも。
そして、真子さんのことも。
口にしなければ、何も変わらないような気がした。
そんなある夜。
私は一人で甘味処に入った。
いつものように餡蜜を頼む。
運ばれてきた器を眺め、匙を手に取る。
一口食べてから、ふと口から言葉が零れた。
「……甘いな」
その瞬間だった。
隣に誰かがいるような気がした。
『そら餡蜜食うてんねんから甘いやろ』
呆れたような、からかうような声。
いつもの調子。
思い出した途端、胸の奥がひどく静かになった。
――そうだった。
もう、いない。
あの人はもう、ここにはいない。
「……戻るって、言ったのに」
小さく呟いた。
泣かなかった。
涙は出なかった。
ただ、別れ際のことを思い出した。
最後に会った時。
大きな手が、私の左肩に置かれた。
手のひらの重み。
指の長さ。
少し厚みのある、あの手。
『必ず戻る』
そう言っていた。
今になって、その感触だけが妙に鮮明に蘇る。
私は左肩に、自分の手を重ねた。
何もない。
当たり前なのに、
そこにまだ温もりが残っているような気がした。
いつか消える。
きっと、消えてしまう。
だから今だけ。
今だけは、思い出していてもいい。
私は左肩に置いた手を、そのままにしていた。
匙を置く。
目を伏せる。
胸の奥に浮かんだものを、
ひとつずつ、静かに閉じていく。
忘れるわけではない。
捨てるわけでもない。
ただ、これ以上は考えない。
そうすれば、明日からまた普段通りに過ごせる。
私は席を立った。
――そうして、あの日のことを胸の奥へしまった。
二度と開けることはないと思っていた。
百年後、あの人と再び出会う、その日までは。
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