残滓
*
紫乃が倒れた。
その姿を一瞥した藍染は、
何事もなかったかのように身体の向きを変えた。
視線の先にいるのは、未だ動けずにいるルキア。
「さて。無駄な時間を使ったが
――終わらせよう、ギン」
「ほんま。さっさと終わらせて行きましょ」
ギンもまた、一歩前へ出る。
斬魄刀の切っ先が、ルキアへ向けられた。
「『射殺せ、神鎗』」
瞬間。
銀色の刃が一直線に伸びた。
ルキアが息を呑む。
だが――。
その刃が貫いたのは、ルキアではなかった。
「…………」
ルキアの前に立つ、一人の男。
刃は、その身体を貫いていた。
「……兄……様……!」
ルキアの瞳が大きく見開かれる。
朽木白哉。
いつの間にかルキアの前へ立ち、
その身を盾にしていた。
白哉の身体が僅かに揺れる。
そして、静かにその場へ膝をついた。
「朽木白哉」
藍染が、その姿を見下ろす。
「処刑を進めた君が――庇うのかい?」
皮肉を含んだ声。
藍染が白哉へ歩み寄ろうとした、その時だった。
「――そこまでだ」
周囲の空気が、一変した。
気付けば、
藍染、ギン、東仙の三人を取り囲むように、
護廷十三隊の隊長たちが立っていた。
藍染の背後には、四楓院夜一と砕蜂。
二人の刃が、
それぞれ藍染の首元へ向けられている。
ギンの首元には、松本乱菊の刀。
東仙の傍には、檜佐木修兵が立っていた。
さらにその外側を、
総隊長・山本元柳斎重國を始め、
京楽春水、浮竹十四郎、狛村左陣らが
取り囲んでいる。
逃げ場はない。
そう見えた。
「ここまでじゃ」
総隊長の声が、双極に響く。
「藍染惣右介及び、市丸ギン、東仙要。
貴様らを大逆の罪で捕える」
砕蜂が刀を僅かに押し当てる。
「僅かにでも動けば、この首を掻っ切るぞ」
静寂。
誰一人として動かない。
これで決着がついた。
誰もが、そう思った。
――その瞬間だった。
空が、裂けた。
「……!」
上空に巨大な亀裂が走る。
その向こうから、次々と姿を現す異形。
無数の大虚――ギリアン。
隊長たちが一斉に上を見上げる。
「何だ、あれは……!」
ギリアンたちが放った光が、空間を切り裂く。
白い光の壁。
反膜――ネガシオン。
光が三人を包み込んでいく。
「……!」
反膜に閉ざされた空間は、
こちら側とは隔絶された別次元。
その内側へ、護廷十三隊の手を
届かせることはできない。
「もうちょっと捕まっといても
良かったのになぁ……」
ギンのいつもの軽い声音。
そして、乱菊を見つめる。
「さいなら、乱菊。御免な」
ギンはそう言って、藍染の元へ歩み寄った。
「ギン……!」
乱菊の声が響く。
だが、もう届かない。
三人の身体は反膜の光に包まれながら、
上空に開いた黒腔へと向かっていく。
「何故だ、要――――ッ!!」
狛村の咆哮が響いた。
東仙は、ゆっくりと振り返った。
その声を発した男を見つめる。
狛村。
かつて共に過ごした、旧友。
それでも、東仙の表情は変わらない。
「私は、自分の正義のために――」
静かな声だった。
「ただ、私の歩むべき道を選んだに過ぎない」
東仙は、もう一度だけ狛村を見る。
「私の目に見える道は
――血の海の底へ続いている」
そう言って。
東仙は再び背を向けた。
そして、藍染はその場で眼鏡へ手を伸ばす。
長年、その顔にあった眼鏡を外す。
そして、前髪を掻き上げる。
その姿を見上げ、浮竹が言った。
「地に落ちたか……藍染!」
藍染は、静かに下を見下ろした。
そこに浮かんでいたのは、
先ほどまでの穏やかな笑みではない。
冷たい瞳。
「傲りが過ぎるぞ、浮竹」
藍染は淡々と言う。
「最初から誰も、天に立ってなどいない」
視線を、護廷十三隊へ向ける。
「君も、僕も――神すらも」
そして。
僅かに目を細めた。
「だが、その耐え難い天の座の空白も終わる」
黒腔が、さらに大きく開いていく。
「これからは――僕が天に立つ」
その言葉と同時に。
黒腔から伸びた巨大な虚の手が、
三人を包み込んだ。
藍染。
市丸ギン。
東仙要。
三人の姿が、闇の向こうへと消えていく。
そして――。
黒腔が閉じた。
残されたのは、静まり返った双極。
藍染達が虚圏に消えた後、
護廷十三番隊は負傷者の手当てを進めた。
一護には、現場へ駆けつけた
織姫や石田、茶渡たちが合流していた。
織姫は一護の傍らに膝をつき、
その能力で傷の治療に当たっている。
尸魂界では見たことのない治癒能力。
周囲で処置に当たる四番隊の隊士たちは、
驚きと戸惑いの入り混じった表情で、
その光景を見つめていた。
やがて、日番谷と雛森の処置を終えた
卯ノ花が双極へと合流する。
卯ノ花は負傷した白哉のもとへ向かい、
治療を始めた。
その傍らには、ルキアもいる。
白哉が自分を呼んでいると聞かされ、
卯ノ花に伴われてここまで来たのだ。
何故、兄はあれほど頑なに掟を守ろうとしたのか。
それなのに――。
何故、最後には自分を庇ったのか。
その時、ルキアは初めて、
その理由を知ることになる。
一方、紫乃は応急処置を施されながら、
担架へと乗せられていた。
「花房……!」
心配そうな声と共に、浮竹が駆け寄ってくる。
その後ろには京楽と、副隊長の伊勢七緒もいた。
回道によって、辛うじて意識を保っていた紫乃は、
ゆっくりと視線を浮竹へ向ける。
「浮竹隊長……ご無事で……」
安心したように呟き、身体を起こそうとする。
しかし、胸を貫かれた傷が激しく痛み、
身体を動かすことができない。
「お、おい!安静にしろ!」
慌てた浮竹が、すぐに制止する。
紫乃は再び担架へ身体を預けた。
そして、僅かに息を整えてから尋ねる。
「藍染は……」
その一言に、浮竹の表情が沈んだ。
「……虚圏に逃亡した」
短く息を吐く。
「市丸ギンと東仙要と共に」
浮竹は、曖昧に濁すことなく、はっきりと告げた。
「そう……ですか……」
紫乃は静かに目を伏せた。
驚きもなかった。
絶望もなかった。
ただ――自分自身への悔しさだけが、
胸の奥に残っていた。
あと一歩だった。
藍染を止めることができなかった。
それどころか、自分はまたしても、
大切なものを守り切れなかった。
そして何より。
あの人の仇を目の前にしながら。
その男の正体を知らぬまま、
百余年もの間、何食わぬ顔で生きてきた。
それが、どうしようもなく憎かった。
――あの人の仇と。
――何も知らずに過ごしていた、この百余年が。
紫乃は込み上げてくるものを悟られまいと、
片腕をゆっくりと目元へ当てた。
「花房……」
浮竹が何かを言いかける。
けれど、その言葉を飲み込んだ。
今は、触れるべきではない。
下手な慰めは、紫乃の傷を癒すどころか、
胸の奥に残る後悔をさらに深く抉るだけだ。
浮竹は何も言わず、ただ紫乃の傍に立っていた。
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