区切り


*





夕方。

傾き始めた夕陽が、病室の窓から差し込んでいた。

橙色の光が白い床を細く照らし、
ベッドの上にも淡い光が落ちている。

紫乃は上体を起こしたまま、
少しだけ腕を伸ばした。

まだ胸の傷は痛む。
それでも、
以前ほど身動きが取れないわけではない。

窓辺へ手を伸ばし、
カーテンをゆっくりと閉めようとした、
その時だった。

コン、コン。

出入り口から、控えめなノックの音が響いた。

紫乃は手を止める。

「はい」

返事をすると、扉がゆっくりと開いた。

そこに立っていたのは、
まだ包帯の目立つ少年だった。

黒崎一護。

思いがけない来客に、紫乃は目を見開いた。

一護は少し気まずそうに病室の中を覗き込み、
紫乃の姿を確認すると、
どこか不慣れな様子で口を開いた。

「えと……ルキアの上司……
っすよね。確か、花……」

名前が曖昧なのか、言葉が途中で止まる。

あの処刑場で、
迷いなく剣を振るっていた姿とは
まるで違う。

今の一護は、どうにも居心地が悪そうで、
誰かを訪ねることそのものに
慣れていないようだった。

紫乃は思わず微笑む。

「うん。花房紫乃。
ルキアと同じ十三番隊の副隊長だよ」

そして、穏やかに続けた。

「黒崎一護くんだったよね?中へどうぞ」

紫乃がベッドの横に置かれた椅子を指す。

「あ、ああ……」

一護は頷き、病室へ入る。

扉を閉めると、椅子へ向かって歩いた。

「見窄らしい姿だけど、
お互い怪我人だし、お互い様だよね」

紫乃はそう言いながら、
少しだけ布団を引き上げた。

寝巻き姿の自分を、
ほんの少しでも隠すためだった。

一護はそんな紫乃を見ながら、椅子に腰を下ろす。

「あんたは、怪我の具合は?」

「まだ痛むけど、一護くんほどではないよ」

紫乃は自分の胸元に手を添えた。

「でも、更木隊長に追い掛けられてたから…
君の方が元気か」

昼間の光景を思い出し、紫乃の口元が思わず緩む。

「……あの後、撒くのに大変だったんだぞ」

一護が呆れたように言った。

その表情を見ていると、紫乃はまた思う。

――似ている。

ふとした表情。
真っ直ぐな目。
不器用な物言い。

見れば見るほど、海燕によく似ていた。

「それで……」

紫乃は気を取り直すように、一護へ視線を戻す。

「私に何か聞きたいことでも?」

「いや……」

一護は少し視線を逸らした。

「礼を言いたくてよ」

「お礼……?」

紫乃は軽く首を傾げる。

一護はしばらく言葉を探していたが、
やがて紫乃を見ないまま口を開いた。

「ルキアを助けようとしてくれて…
…ありがとうな」

そして、少し間を置く。

「あと、花太郎達も助けてくれて……」

白哉と戦ったことも含めて、
すべてに礼を言おうとしているらしい。

紫乃は目をぱちぱちと瞬かせた。

あまりにも予想していなかった言葉だった。

「何故……貴方がお礼をいうの?」

「いや、だって……」

一護は顔を上げる。

「……あの時は組織全体が敵だった中、
あんたはそれに背いて助けようとして
くれたんだろ?だから……!」

その言葉に、紫乃は胸の奥が僅かに痛む。

けれど、それでも伝えなければ
ならないことがあった。

「お礼を言うのは、
私たち十三番隊だよ。
一護くん」

紫乃は痛みに耐えながら、
ゆっくりと身体の向きを変えた。

そして、一護と正面から向き合う。

「ルキアを助けてくれて、ありがとう」

深く頭を下げる。

一護が驚いたように目を見開いた。

「貴方がいなければ、
間に合わなかったかもしれない」

紫乃は顔を上げる。

「人間の貴方に背負わせて……
傷まで負わせてしまって。申し訳ない」

その声には、取り繕ったものがなかった。

十三番隊副隊長としてではなく、
一人の死神として。

そして、ルキアを守ることが
できなかった者としての、心からの謝意だった。

「い、いや……」

一護は戸惑ったように手を振る。

自分が礼を言いに来たはずなのに、
逆に頭を下げられてしまったことに
困っているようだった。

紫乃はそんな一護を見て、少しだけ微笑む。

それから頭を上げ、身体の向きを元に戻した。

寝巻きの襟元を整え、布団を掛け直す。

そして――。

自分も、ずっと聞きたかったことを
尋ねることにした。

「……私からも一ついいかな?」

紫乃は一護の目を見る。

「夜一さんの他に、
現世で尸魂界のことを知っていた人はいる?」

一護は少し考えるように眉を寄せた。

「ああ! 浦原さんがそうらしいな!」

その名前を聞いた瞬間、紫乃の目が僅かに揺れる。

「夜一さんと怪しげな商店やってて、
夜一さんの訓練場を模倣したやつを
現世で作ったり……やべえ人だったみたいだけど」

一護はそう言ってから、少しだけ笑った。

「でも、俺はあの人のおかげで
ここまで来れたんだ」

「喜助も…そっか……」

紫乃の表情が、ほんの少しだけ緩む。

安堵。

けれど、それと同時に――
胸の奥に期待していた答えが
返ってこなかったことに、肩が僅かに落ちた。

「他には、いなかったよね……?」

念のために尋ねる。

「あ、ああ……俺もここに来てから、
夜一さんと浦原さんが
死神だったってこと知ったから……」

「そっか」

紫乃は小さく答えた。

その声には、隠しきれない寂しさが滲んでいた。

一護はそんな紫乃の横顔を見つめる。

しばらくして、静かに尋ねた。

「誰か探しているのか?」

紫乃は少しだけ黙った。

そして、窓の外へ視線を向ける。

「うん……」

夕陽は、もうほとんど沈みかけている。

「でも、生きているのかさえ分からないから」

それ以上、一護は聞かなかった。

何かを察したのかもしれない。

あるいは、今は聞いてはいけないこと
だと思ったのかもしれない。

病室には、しばらく静かな時間が流れた。

やがて紫乃が、一護へ向き直る。

「とにかく、此度の件はありがとう」

そして、少し困ったように微笑んだ。

「目覚めて早々、
追いかけ回されて疲れたでしょう?」

「……まあな」

「もう病室に戻って休みなさい」

「子供扱いすんなよ」

「怪我人なんだから、皆同じだよ」

紫乃は穏やかに笑った。

一護は何か言いたげな顔をしたものの、
結局それ以上は何も言わなかった。

「……じゃあな、紫乃さん」

「うん。またね、一護くん」

一護が病室を出ていく。

扉が閉じる。

紫乃はしばらく、その扉を見つめていた。

そして、小さく息を吐く。

「……喜助」

誰にも届かないほどの声で、その名を呟いた。

それが何を意味するのか、
自分でもまだ分からない。

ただ、あの二人が生きていた。

それだけは、今の紫乃にとって確かな救いだった。





それから数日後。

負傷していた黒崎一護、井上織姫、
石田雨竜、茶渡泰虎の四名は、無事に完治した。

彼らは尸魂界を後にし、現世へ戻ることになった。

多くのものが傷つき、失われた今回の騒動。

それでも、すべてが終わったわけではない。

十三番隊では、正式な手続きが行われていた。

そして――。

「黒崎一護」

浮竹は、静かに彼の名を呼んだ。

「君を、正式に死神代行と任命する」

その言葉を受け、一護はまっすぐに浮竹を見つめた。

こうして黒崎一護は――正式な死神代行となった。







.