静かな答え


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執務室を出た紫乃は、
廊下を歩いて隊首室へと向かった。

藍染惣右介の裏切りから半月。

浮竹の体調も最近は安定しているようで、
隊長としての仕事も以前と変わらぬ様子で
こなしているらしい。

そのことに、紫乃も密かに安堵していた。

隊首室の前で足を止める。

軽く二度、扉を叩いた。

「どうぞ」

中から浮竹の声が返ってくる。

「失礼します」

一言断ってから、紫乃は扉を開けた。

「花房か。どうかしたか?」

執務机に向かっていた浮竹が筆を置き、
顔を上げる。

紫乃は手にした冊子を胸元へ抱えたまま、
少しだけ躊躇ってから口を開いた。

「急ぎのものがありまして……
今、お時間宜しいでしょうか?」

「勿論だよ。長引くなら、
茶でも持って来てもらおうか?」

浮竹が席を立とうとする。

「いえ、質問を幾つかさせて頂くだけですので。
座っていて下さい」

「どうした?改まって……」

浮竹は不思議そうに紫乃を見上げながら、
再び腰を下ろした。

いつもなら、もう少し気軽に
話しかけてくる紫乃である。

それが今日は妙に姿勢が固く、
言葉遣いもよそよそしい。

執務机を挟んで、紫乃は浮竹の前に立った。

「花房でも分からない内容なのか? 
そんなものもあるんだな」

浮竹は少し嬉しそうだった。

普段は何でもそつなくこなす紫乃が、
自分に質問を持ってきた。

それだけで、頼られている
ような気がしたのだろう。

しかし。

「ええ……流石の私も、
この内容は分からなくて……」

紫乃は手元の冊子を開く。

そして、最初の質問を確認した。

「一つ目の質問ですが
――好きな異性の好みはありますか?」

「…………」

浮竹の表情が固まった。

まるで、予想もしなかったところから
不意打ちを受けたようだった。

「好きな異性の好み……?」

「はい」

「な、なんだ、その質問は……」

肩ががくんと落ちる。

先ほどまでの「花房でも分からない内容なのか」と
いう嬉しそうな表情は、跡形もなく消えていた。

「そうなりますよね……」

紫乃も困ったように眉を下げる。

そして、何か誤解されてはいけないと思ったのか、
慌てて付け加えた。

「あっ、これは私個人の質問ではなくて……! 
瀞霊廷通信の特別アンケートとして、
女性死神協会が出している質問ですからね!?」

「なんだ、女性死神協会か……」

浮竹はようやく納得したように息を吐いた。

「また変なことをするなぁ……」

「……私も、そう思います」

紫乃は小さく頷いた。

それでも、質問しなければ仕事は終わらない。

「それで……好きな異性の好みとは……」

そこまで言ったところで、紫乃はふと考え直した。

浮竹の顔を見る。

そして、冊子を見る。

「……あ、口頭でお答えするのがお嫌でしたら、
こちらの冊子に直接書き込んで下さい」

紫乃は冊子を浮竹の前へそっと置いた。

「書き終わった頃に、また取りに来ますから」

「そうだな。ああ、書いとくよ」

浮竹は苦笑しながら冊子を受け取った。

「では、また取りに来ますね」

「うん」

紫乃は軽く頭を下げると、隊首室を後にした。

扉が閉まる。

廊下を歩き始めた紫乃は、
少しずつ歩調を速めていった。

そして、自分の頬に手を当てる。

「……熱い」

先ほどのやり取りを思い出しただけで、
顔が熱くなる。

「上司の恋愛事情って……
なんか恥ずかしいのよね……」

誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

よりにもよって、
自分が仕えている浮竹に向かって。

好きな異性の好みはありますか、
などと尋ねてしまったのだ。

そう考えると、ますます恥ずかしくなってくる。

紫乃は顔を手でぱたぱたと扇ぎながら、
自室へ向かった。

ふと、別の疑問が浮かぶ。

浮竹は総隊長ほどではないにせよ、
かなり長い年月を生きてきた死神だ。

それでも、未だに籍を入れていない。

それは京楽も同じであり、卯ノ花もそうだ。

そもそも尸魂界で正式に
籍を入れている死神自体が少ない。

低い席官や一部の隊士には
そうした者もいるが、
隊長や副隊長となると、
紫乃の知る限りでは多くはなかった。

「……そう考えると、珍しいことでもないのかな」

紫乃は一人で納得する。

それでも、瀞霊廷通信のアンケートを
楽しみにしている死神たちがいるのも事実だ。

恋愛事情そのものを知りたいというより、
普段は知ることのできない
隊長たちの一面を楽しむ。

そういう意味では、ちょっとした娯楽なのだろう。

「…まあ、皆が楽しんでいるなら……」

紫乃はそう呟いて、少しだけ笑った。








そして、しばらく経った頃。

紫乃は再び隊首室を訪れていた。

「失礼します」

「ああ、花房か」

浮竹は、机の上に置いていた冊子を手に取る。

「これだろう?」

「ありがとうございます」

紫乃は両手で受け取った。

「では、こちらを女性死神協会へ
提出しておきますね」

「よろしく頼むよ」

「はい」

紫乃はそのまま冊子を持って隊首室を後にした。

後日。

発行された『瀞霊廷通信』には、
特別アンケートの回答が掲載された。

紫乃も気になってページを開く。

そして――。

「…………」

思わず無言になった。

浮竹の回答欄だけ、異様に長い。

質問一つひとつに対して、
まるで報告書のように
丁寧な文章がびっしりと並んでいる。

「……浮竹隊長らしい……」

紫乃は思わず苦笑した。

そこに綴られていたのは、
派手な恋愛観でも、
胸を躍らせるような理想像でもない。

共にいて安心できること。

互いを尊重できること。

無理をせず、穏やかな時間を過ごせること。

どこまでも堅実で、真面目な回答だった。

女性死神協会が期待していたような
「胸キュン」とは、少しばかり方向が違う。

むしろ――。

「……老夫婦みたい」

紫乃はぽつりと呟いた。

それでも。

浮竹らしい、と。

そう思うと、紫乃の口元には
自然と小さな笑みが浮かんだ。







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