餡蜜
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紫乃は、瀞霊廷内にある
行きつけの甘味処へ来ていた。
二番隊の執務室にも、饅頭や最中などの
ちょっとした菓子は常備されている。
けれど、仕事がひと段落した時には、
やはり自分の好物が食べたくなる。
今日は、まさにそんな日だった。
「餡蜜を一つください」
「はいよ」
注文を済ませると、
紫乃は店先に置かれた
床几台へ腰を下ろした。
ほどなくして、餡蜜と熱いお茶が運ばれてくる。
「いただきます」
手を合わせ、まずは寒天と小豆を一緒に口へ運ぶ。
甘さを控えた小豆。
つるりとした舌触りの寒天。
そこへシロップの程よい甘さが重なる。
「んー…美味しい……」
思わず、声に出ていた。
その時だった。
「何や。えらい美味そうに食べるんやな」
聞き慣れない関西弁が耳に届く。
紫乃が声のした方へ顔を向けると
――そこには、平子真子が立っていた。
「平子隊長、お疲れ様です」
紫乃は慌てて立ち上がる。
「お疲れさん。確か、二番隊の三席やんな?」
「はい。花房紫乃と申します」
改めて名乗り、丁寧に頭を下げる。
すると平子は、軽く手を振った。
「畏まらんくてええよ。休憩しとったんやろ」
そう言って、当然のように
紫乃の隣へ腰を下ろした。
そして、目の前に置かれた
食べかけの餡蜜へ視線を落とす。
「餡蜜か。ええな」
平子は店の方へ顔を向けると、声を張った。
「おばちゃーん!俺にも餡蜜持って来てやー!」
「はいよー」
店の中から、のんびりとした返事が返ってくる。
どうやら平子も、ここで休んでいくらしい。
紫乃は少し意外に思った。
平子真子という男は、
こういう甘味処へ一人で立ち寄るような
タイプには見えなかったからだ。
そんな紫乃の様子を見て、平子が口を開く。
「ひよ里から聞いたで。
喜助がなんか企んどるんやろ」
「……」
紫乃は一瞬だけ考えた。
おそらく、涅マユリのことだろう。
けれど、蛆虫の巣の存在は非公開だ。
その情報を口にするわけにはいかない。
ひよ里も、いくら浦原への愚痴が多いとはいえ、
勢いで機密を口にするような人間ではない。
恐らく、浦原が何かを企んでいるという話を、
愚痴の中で聞いたのだろう。
「本人は、生き生きしてますね」
紫乃は、それだけを答えて微笑んだ。
その表情を見て、平子も柔らかな笑みを浮かべる。
「式典の時は、こいつ大丈夫なんかってくらい、
えらいユルそうな奴が入ったなぁと
思ってたけど……」
平子はそこで一度言葉を切った。
「おもろい奴やな」
ちょうどその時、
平子の注文した餡蜜が運ばれてくる。
「お待ちどうさん」
「おおきに」
平子は器を受け取ると、匙を手に取った。
「浦原隊長は相当な変わり者なので。
面白いと思いますよ」
紫乃もそう言って、再び餡蜜を口に運ぶ。
その横顔を見ながら、平子も一口。
「……上手いな」
「此処の餡蜜、美味しいんですよ」
紫乃は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、平子も小さく笑う。
「此処には、よく来るんか?」
「餡蜜が食べたくなった時に来ますよ」
紫乃は少し考えてから付け加えた。
「浦原隊長に買って行った栗羊羹は、
此処ではなく一番街の和菓子屋さんです」
「ああ。あれも美味かったな」
平子は、先日のことを思い出したように呟いた。
「平子隊長は、甘い物がお好きなんですか?」
「ぼちぼちや」
何とも曖昧な返事だった。
好きなのか、そうでもないのか。
判断のつかない答えに、紫乃は小さく首を傾げる。
すると平子は、餡蜜を食べながら笑った。
「俺が此処に寄ったんはな」
紫乃が顔を上げる。
「何や、美味しそうに
食べてる子がおるなぁと思って、
声掛けただけやで」
「……!」
紫乃の頬が、ほんの少し熱くなった。
そんなに顔に出ていたのだろうか。
無意識に、自分の頬へ手を触れる。
「……そんなに美味しそうに食べてましたか?」
「そらもう」
平子は楽しそうに笑う。
「見てるこっちまで食いたなるくらいや」
「……そうですか」
紫乃は少し恥ずかしそうに視線を餡蜜へ戻した。
けれど、口元には小さな笑みが浮かんでいる。
やがて平子は餡蜜を食べ終えると、
湯呑みを持ち上げた。
「また、美味しいもん見つけたら教えてや」
「はい」
平子はそう言ってお茶を飲み干すと、
いつの間にか空になっていた
餡蜜の器も持って立ち上がった。
「ごちそーさん」
店の中へ声を掛け、器を返す。
そのまま支払いを済ませると、
平子は紫乃へ振り返った。
「ほな、俺は行くわ」
「お疲れ様です」
紫乃も立ち上がり、頭を下げる。
平子は片手を上げた。
「またな」
長い金髪が揺れる。
そのまま平子は、
瀞霊廷の街並みの中へと消えていった。
紫乃はその背中をしばらく見送っていた。
やがて自分も餡蜜を食べ終え、店主へ声を掛ける。
「ごちそうさまでした。お会計を――」
「ああ、もう貰ってるよ」
「……え?」
紫乃が目を瞬かせる。
「さっきの隊長さんが、
お嬢ちゃんの分も一緒に払っていったよ」
「……」
紫乃は、平子が消えていった
街の方へ視線を向けた。
「……平子隊長……」
誰もいない街角に、その名を小さく呟く。
初めてまともに言葉を交わしたばかりなのに。
その人は、随分と風のような人だった。
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