境界
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二軒目の飲み屋へとやって来た紫乃は、
すっかり酔いが回った様子で、
京楽と楽しそうに話しながら座敷へ通された。
二人は向かい合うように座る。
「僕は熱燗で」
「私は冷酒でお願いしま〜す」
先ほどと変わらず、紫乃は冷酒を注文した。
やがて酒が運ばれてくる。
「じゃあ、二軒目に乾杯」
「乾杯〜」
二人は杯を合わせ、再び酒を口にした。
それからしばらくして。
「もう、本当に大変なんれすよぉ〜」
紫乃は、すっかり気を許した様子で隊長や
副隊長への愚痴をこぼしていた。
京楽は熱燗を傾けながら、うんうんと頷く。
「それは大変だねぇ〜」
「そうなんれすよぉ。隊長は好き勝手するし、
副隊長は副隊長で大変だしぃ……」
「浦原隊長も大変だったのかな?」
京楽が何気なく尋ねる。
すると、紫乃は途端に不満そうな顔をした。
「喜助もサボって、自分の好きなことしか
やらないからぁ……四席の時の方が大変れした」
「へぇ〜」
すっかり酔っているせいか、
紫乃は普段なら他隊の隊長を前にして
口にしないようなことまで、
親しい死神を相手に話すような調子で語っている。
「でも、今の喜助は楽しそうで……」
紫乃は少しだけ笑った。
「正直、私は今の二番隊って向いてるのかな、
なんて思ったりもしてぇ……」
その言葉に、京楽は少しだけ目を細めた。
真央霊術院を卒業する際、
紫乃には複数の隊から声が掛かっていた。
それでも彼女が二番隊を選んだ理由は、
四楓院夜一がいたからだ。
そして、それだけではない。
花房家には、四大貴族の当主と繋がりを持ち、
家を安泰にしたいという思惑があった。
夜一の側で仕えることを望む紫乃の気持ちも、
決して嘘ではない。
けれど、その望みさえも
花房家に利用された形だった。
「夜一様は、とてもお慕いしているし…
学ぶことも多かったから、
悔いはないんれすけど……」
紫乃の目が、次第に潤んでいく。
それでも、手にした酒をぐいっと煽った。
「うんうん。大変なんだねぇ」
京楽は否定することなく、
穏やかに紫乃の言葉を受け止めた。
そして、ふと思いついたように口にする。
「それなら、うちに来る?」
「……え?」
「紫乃ちゃんなら大歓迎だよ」
京楽は冗談めかして笑う。
けれど紫乃は、迷うことなく首を横に振った。
「夜一様が当主でいる間は……
お側でお仕えしたいれす」
その声音だけは、酔っていてもはっきりしていた。
「ありゃ」
京楽は残念そうに肩を落とす。
「ふふ……」
紫乃は小さく笑う。
「京楽隊長も飲んで、楽しみましょ!
私の愚痴なんて、つまみになりませんよ〜」
そう言うと、紫乃は立ち上がった。
そして、そのまま京楽の隣へ腰を下ろす。
「ほら、熱燗注がせてください」
「ありがとう」
紫乃は徳利を手に取り、京楽のお猪口へ傾けた。
ほのかに温かな酒が、静かに注がれていく。
距離が近い。
酒で火照った頬。
潤んだ瞳。
そして、いつもの落ち着いた雰囲気からは
想像もつかないほど無防備な表情。
京楽は思わず、頬を緩ませた。
「参ったなぁ〜」
「……?」
紫乃は不思議そうに首を傾げる。
「京楽隊長ぉ、どうされましたぁ?」
そう言いながら、紫乃は京楽の胸元へ手を添えた。
そして、さらに顔を近付ける。
「……」
京楽は思わず息を呑んだ。
男女を問わず、見境なく距離感を失ってしまう。
これが、紫乃の酒癖だった。
二人きりでいるには、あまりにも危うい。
「紫乃ちゃん、だいぶ酔っちゃったね」
京楽は苦笑しながら、紫乃を見下ろす。
「明日、僕、本当に四楓院隊長に
蹴り飛ばされちゃうかも」
「夜一様ならぁ……面白がるだけれすよぉ」
紫乃はそう言って、少しだけ目線を落とした。
「自分はお酒飲まないのにぃ…
人には飲ませてきますしぃ……」
その言葉には、ほんの少しだけ
寂しさが滲んでいた。
おそらく、心配してくれないことに
寂しさを感じているのだろう。
けれど、それを本人が自覚しているかは
分からない。
京楽はそんな紫乃を見ながら、
困ったように笑った。
「でも、確かにこんな紫乃ちゃんを見れるなら、
お酒を勧めたくなっちゃう気持ち分かるなぁ」
そう言いながら、自分の胸元に添えられていた
紫乃の手を取る。
「……?」
紫乃が首を傾げた、その時だった。
「飲ませ過ぎですよ。京楽隊長」
その手を、別の手が取った。
「……え?」
紫乃が顔を上げる。
「……海燕?」
此処にいるはずのない志波海燕が、
紫乃の手を取ったまま立っていた。
「海燕も飲んでたのお?」
紫乃は嬉しそうに身体の向きを変える。
「私には飲むなって言ってた癖にぃ」
「矢胴丸副隊長がうちの隊舎まで来て、
京楽隊長と飲んでいるって聞いたので」
海燕はそう事情を説明しながら、
京楽へ視線を向ける。
「つい楽しくなっちゃってね。ごめんね」
京楽は素直に謝った。
「お酒は楽しんでなんぼれすよ〜」
紫乃は反省する様子もなく、
にこにこと笑っている。
「お前は水飲め、水!」
海燕はそう言って、
店員から貰っていた水を紫乃へ差し出した。
「水なんて味しないよ〜」
紫乃は不満そうに唇を尖らせる。
「味の問題じゃないだろ」
海燕は呆れたように言った。
そのやり取りを見ていた京楽が、
そろそろ頃合いだと判断したように口を開く。
「紫乃ちゃん、今日はお開きにして、
今度みんなで飲もうよ。大勢で飲むのも楽しいよ」
「絶対、誘ってくらさいね……?」
紫乃は少し寂しそうに京楽を見る。
「ああ、約束するよ」
京楽は穏やかに笑って頷いた。
やがて三人は店を出る。
夜の街には、涼しい風が吹いていた。
「それじゃあ、お疲れ様です」
海燕は京楽へ礼儀正しく頭を下げる。
「お疲れさまれ〜す」
紫乃は気軽に手を振った。
「お疲れ様」
京楽も手を振り返す。
海燕と紫乃が去っていくのを見送ると、
京楽は一人、夜道を歩き始めた。
しばらく歩いたところで、ふっと息を吐く。
「あのまま二人きりで飲んでたら、
まずかったなぁ〜」
先ほどまでの紫乃の姿を思い返す。
酔って潤んだ瞳。
無防備な距離感。
普段からは考えられない甘え方。
京楽はその破壊力の余韻に浸りながら、
涼しい夜風に当たって帰路を歩いていった。
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