慣れ
*
「浦原隊長、お疲れ様です」
昼下がりの十二番隊隊舎。
隊舎の廊下には、金属がぶつかり合う乾いた音や、
蒸気の吹き出す音が絶え間なく響いていた。
他の隊とは違い、ここだけはまるで
工房のような空気が漂っている。
紫乃は書類の束を抱え、
隊首室の前で浦原へ声を掛けた。
蛆虫の巣に収監されている
涅マユリの解放手続きを進めるため、
中央四十六室へ提出する書類へ
署名を貰いに来たのだ。
「紫乃さん、お疲れ様っス」
隊首室の中から浦原が顔を出す。
相変わらず室内は配線や見慣れない機械で
埋め尽くされており、
浦原は足元の配線へ引っ掛かって転びそうに
なりながら慌てて体勢を立て直した。
「いやぁ、最近増えちゃいまして」
へらりと笑う姿は、
隊長になっても何一つ変わっていない。
紫乃は苦笑しながら書類を広げる。
「これ、中央四十六室へ
提出する書類だから記入して。
ここは夜一様が署名するところだから
書かないように」
一枚ずつ指差しながら説明する。
「了解っス」
浦原は素直に受け取った。
その時。
ドタドタドタ、と廊下へ荒々しい足音が響く。
「また二番隊来てんのか!暇なんかお前!」
猿柿ひよ里が腕を組み、紫乃を睨み上げていた。
「猿柿副隊長、お疲れ様です」
紫乃はいつも通り丁寧に頭を下げる。
「ひよ里さん、頼んでた義手できました?」
浦原が紫乃の後ろからひょいと顔を覗かせた。
「まだや!」
ひよ里は即座に怒鳴る。
「腕なんか作ったことないねんから!」
「義手?」
紫乃が首を傾げる。
浦原は書類を抱えたまま説明した。
「今、現世で死神が霊子を
肉体化できるよう器を作ってるんスよ。
まだ初期段階なんで、人形の見本作りを
ひよ里さんに手伝ってもらってるんス」
「へぇ……」
紫乃は素直に感心した。
「現世で肉体を持つなんて発想、喜助らしいね」
「まだ試作段階っスけどね」
浦原は照れくさそうに笑った。
「これ、今書いてくるんで少し待っててください」
「うん、待たせてもらうね」
浦原が隊首室へ戻る。
残された紫乃が振り返ると、ひよ里はまだ
腕を組んだままこちらを睨んでいた。
「何やねん。今日は菓子ないんか」
その一言で紫乃の表情がぱっと明るくなる。
「栗羊羹、気に入ってくれました?」
嬉しそうに身を乗り出した。
「同じお店で今、新作の栗餡どら焼きが出たんです。
先日食べたんですけど、とても美味しくて」
一番街の和菓子屋で夜一と買った
季節限定のどら焼きを思い出しながら話す。
「ウチは副隊長やぞ!」
ひよ里は指を突き付ける。
「買ってくるのが筋やろ!」
「今日は仕事で来たので」
紫乃は穏やかな笑顔のまま正論で返した。
「ぐっ……!」
ひよ里は悔しそうに歯噛みする。
そこへ。
「外まで大音量で聞こえとるで、ひよ里」
聞き慣れた声が廊下へ響いた。
矢胴丸リサだった。
「矢胴丸副隊長、お疲れ様です」
「お疲れさん」
短く返事をする。
「リサまで何しに来たんや!」
ひよ里が噛み付く。
「お前、うちの書類忘れとるやろ。取りに来た」
「あー!」
ひよ里は頭を抱えた。
「忘れとったわ!ちょい待ち!」
そう言って自室へ駆け戻っていく。
その後ろ姿を見送ると、リサは紫乃へ向き直った。
「紫乃は何でおるん?」
「私も仕事で」
紫乃は手元の書類を示した。
「今、浦原隊長が記入している書類待ちです」
「ふーん」
リサは何気なく頷く。
すると紫乃が思い出したように口を開いた。
「先日は遅くまで、ありがとうございました」
柔らかく微笑む。
「京楽隊長、二日酔い大丈夫でしたか?」
「万年二日酔いやから大丈夫ちゃう?」
リサは平然と答えた。
「ふふっ」
紫乃は小さく笑う。
「お二人とも、本当によく飲まれてましたものね」
その言葉に、リサはじっと紫乃を見る。
「……紫乃は何ともなかったん?」
「私は残りにくいタイプなので」
紫乃はけろりとして答えた。
「目覚めは良かったです」
「……」
海燕の話も出ない。
京楽との二軒目の話も出ない。
リサは静かに察した。
――こいつ、何も覚えてへんな。
そこへ浦原が書類を持って戻ってくる。
「紫乃さん、お待たせしましたー」
そしてリサへ気付く。
「あれ、矢胴丸副隊長。どうされたんスか?」
「うちはひよ里に書類止められとんねん」
「あー」
浦原は納得したように頷いた。
「僕が仕事お願いしてたんで……申し訳ないっス」
へらへら笑いながら頭を掻く。
「では、私は戻りますね」
紫乃は書類を受け取り、二人へ丁寧に頭を下げた。
「お疲れ様です」
黒い死覇装を揺らしながら、
十二番隊隊舎を後にする。
その姿が見えなくなるまで見送った後。
リサはぽつりと呟いた。
「あんた、紫乃の上司やったんやろ」
「そうっスよ」
「酒、一緒に飲んだことあるん?」
「何度もありますよ?」
浦原は即答した。
そしてリサの表情を見て、何か察したように笑う。
「もしかして、紫乃さんと飲みに行きました?」
「行った」
リサは腕を組んだ。
「あいつ、飲んだ時の記憶飛ぶんか」
「ああ、飛びますね」
浦原は慣れたように笑う。
「覚えてる側は毎回大変っスよ」
「やっぱりか」
リサは深く息を吐いた。
「全部忘れとった」
「いつも通りっスね」
浦原は肩を竦める。
「海燕さんも苦労してると思いますよ」
二人は顔を見合わせる。
そして同時に、小さく笑った。
「本人だけ、何も知らんのやな」
「それが紫乃さんっス」
十二番隊の廊下には、また機械音が響き始めていた。
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