本音
*
先を歩く平子と、その長い金髪を数束掴んだまま
ふらふらと歩く紫乃。
二人は二番隊隊舎を目指し、
月明かりに照らされた瀞霊廷の石畳を、
散歩でもするようにゆっくり歩いていた。
平子にとってはちょうど良い酔い覚ましだったが、
紫乃の酒はまだまだ抜けていない。
「今日、楽しかったでれすねぇ〜、真子さん」
「そら良かったわ。
……あと、いつまで髪掴んでんねん」
平子は縄でも握るように自分の髪を掴んだまま
歩く紫乃を振り返り、呆れ半分で笑う。
「サラサラで、つい」
紫乃は悪びれもせず笑った。
「紫乃の髪もサラサラやろ」
「私より綺麗な髪してますよぉ〜」
指先で髪を梳きながら、羨ましそうに見上げる。
「私ももっと髪伸ばして、
真子さんみたいにサラサラになりたいなぁ」
「ほな今度、ええ椿油譲ったるわ」
「ほんとれすかぁ?」
ぱっと表情が明るくなる。
「約束や」
「やったぁ〜」
子どものように笑うその顔に、
平子までつられて口元が緩んだ。
「沢山約束出来ましたねぇ〜」
紫乃はそう呟くと、ふっと視線を落とした。
「ひよ里さん達とも、また飲む約束したしぃ……」
少し間を置いて、小さく笑う。
「まだまだ飲みたかったなぁ」
「何回でも、また飲みに行けばええねん」
平子は歩幅を合わせたまま答えた。
「絶対れすよ……?」
紫乃は足を止める。
月明かりの下で、
少しだけ潤んだ瞳が、
静かに地面に伏せて、
長い睫毛が影になる。
「私……お酒好きなんれす」
平子は思わず笑う。
「見れば分かるで」
紫乃も小さく笑みを浮かべている。
「お酒を飲むとぉ……」
声が少しだけ静かになる。
「仕事のこととか……柵を忘れられて……」
ふらりとしゃがみ込んだ。
「ふわふわしてぇ……重みが軽くなるからぁ……」
平子も足を止める。
紫乃は膝を抱えるように座り込んだまま、
ぽつりぽつりと言葉を零した。
「真央霊術院首席になれたのも……」
「二番隊選んだのも……」
「私がしたくてした事なのにぃ……」
夜風が髪を揺らす。
「上の人達は、『花房の御長女は優秀で、
よく尽くしてくれる』なんてぇ……」
少し笑う。
その笑顔は嬉しそうではなかった。
「望んでもいない言葉で褒められてぇ……」
「私は家の事なんて考えた事ないのにぃ……」
平子は何も言えなかった。
花房家。
上流貴族。
二番隊三席。
今まで頭に浮かんでいた肩書きが、
紫乃にいつものしかかる。
紫乃は誰かに評価されるために
働いてきたわけじゃない。
家のために尽くしたかったわけでもない。
ただ、自分で選んだ道を歩いてきただけだった。
それなのに周囲は"花房の娘"として称賛する。
誰も、"紫乃"として見ようとしない。
「だからぁ……」
紫乃はゆっくり顔を上げた。
「お酒飲んでる時はぁ……」
小さく笑う。
「花房じゃなくてぇ……
紫乃でいられる気がするんれす」
その笑顔には、酔っ払いらしい無邪気さと、
長い間胸の奥へ押し込めていた寂しさが、
同じだけ混ざっていた。
平子は静かに歩み寄り、
紫乃と同じ高さまでしゃがみ込んだ。
「真子さん……?」
紫乃が首を傾げる。
「酒なんか飲まんでも、関係あらへんで」
穏やかな声だった。
「俺は最初に会った時から、
お前のこと紫乃って呼んどる」
平子は真剣な表情で言う。
「花房家やから声掛けたんやない」
紫乃は目を丸くする。
平子は続けた。
「餡蜜、美味そうに食う子が
おるな思うて声掛けただけや」
その言葉に、紫乃の瞳が揺れた。
「今日おった奴らも、喜助も、海燕いう奴も」
「紫乃がええ奴やから良くしたんや」
「花房やからやない」
少し間を置く。
「な?」
「酒いらんやろ」
真っ直ぐな言葉だった。
けれど次の瞬間、平子は肩を竦める。
「……まぁ、言うても飲んでる時の紫乃も
おもろいから、俺もまた飲むけどな」
いたずらっぽく笑う。
その空気の切り替え方が、
いかにも平子らしかった。
紫乃はくすっと笑う。
「もぉ〜」
人差し指で平子の額をつんと突いた。
「そうですよぉ〜」
「お酒飲みたい口実なんれすから、
取らないでくださぁい」
平子も笑った。
「ほら」
立ち上がる。
「もう帰るで」
「え〜」
紫乃は頬を膨らませる。
「飲み直しましょうよぉ〜」
立ち上がった勢いで、
そのまま平子の腕へ自分の腕を絡めた。
ぴたり。
一瞬、平子の身体が固まる。
近い。
酒の香り。
柔らかな体温。
無防備すぎる距離。
「……はぁ」
思わずため息が漏れた。
「確かに、花房紫乃が今の自分見たら、
度肝抜かすやろな」
呆れたように笑う。
「紫乃は私ですよぉ〜?」
本人は何も分かっていない。
無邪気に笑うだけだった。
その笑顔を見つめながら、平子はふと気付く。
真面目で隙のない二番隊三席。
家の期待を背負う花房家の娘。
そして、肩書きを脱ぎ捨てれば、
餡蜜に目を輝かせ、
酒を飲めば無防備に笑う一人の女。
どちらも花房紫乃だった。
その両方を知ってしまった今。
家にも役目にも縛られながら、
それでも自分らしくあろうとする、
その小さな抵抗が。
どうしようもなく愛おしかった。
「……明日には、忘れとるんやろな」
夜風に紛れるほど小さな呟きは、
紫乃の耳には届かない。
月だけが静かに、二人の帰り道を照らしていた。
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