君の隣で
*
紫乃が瀞霊廷にある馴染みの甘味処へ向かうと、
今日も見覚えのある金髪が床几台に腰掛けていた。
「紫乃、お疲れさん」
湯呑みを片手に振り返った平子へ、
紫乃は自然と笑みを返す。
「真子さん、お疲れ様です」
近付いてみると、いつもなら目の前にあるはずの
餡蜜が見当たらない。
湯呑みだけを手に、のんびりとお茶を啜っている。
「餡蜜は召し上がらないんですか?」
「もう食べ終わった」
平子は何でもないように答えてから、
少し口元を緩めた。
「なんや、今日は紫乃が来そうな気ぃしてな。
もうちょい待っとった」
あまりにも自然に言われて、
紫乃は一瞬言葉を失う。
頬がほんのり熱くなるのを
誤魔化すように視線を逸らした。
「私が藍染副隊長に叱られるような理由ですね」
照れ隠しのようにそう返し、店の暖簾をくぐる。
「餡蜜を一つ下さい」
「はいよ」
店主の返事を聞いて外へ戻ると、
紫乃は平子の隣へ腰を下ろした。
「仕事はひと段落したんか?」
平子は湯呑みを置きながら尋ねる。
「ええ。真子さんは?」
「まだ残っとるけど、急ぎやないし」
肩を竦める。
「惣右介が勝手にやっといてくれるやろ」
その言い方がおかしくて、
紫乃は思わず吹き出した。
「副隊長に任せ切りですね」
「頼れる副隊長は便利やで」
「そう言われると、私も胸が痛いです」
二人で笑い合う。
然し平子が、ふと思い出したように口を開いた。
「せや、紫乃」
「はい?」
「惣右介には気ぃ付けや」
あまりにも唐突な言葉に、
紫乃は一瞬だけ目を瞬かせた。
「……はい?」
「いやぁ、お前みたいな真面目な奴は、
ああいう優男に騙されそうやからな」
平子はそう言って、いつもの調子で笑う。
紫乃も、その言葉を深く考えることなく苦笑した。
「私、そんなに騙されやすく見えます?」
「見える見える」
「失礼ですね」
「ははは」
紫乃が呆れたように肩を落とす。
「あいつは紫乃以上に真面目で、おもんないで」
平子はそう言って茶を啜った。
いきなり如何したのだろうかと
紫乃が不思議に思うと平子は、
「まぁ、ひと段落したならええわ」
と言いながら湯呑みを持ち直す。
「最近物騒やからな。
夜道はあんまり歩かん方がええ」
その表情を見て、
紫乃は浦原との会話を思い出した。
「さっき喜助にも会いました。
その話題になりましたよ」
少し考えるように続ける。
「何か掴み掛けているような雰囲気でした。
でも、まだ確証は無いみたいで」
「そおか……」
平子も短く頷く。
そこで店主がお盆を持って外へ出てきた。
「餡蜜、お待ちどうさん」
紫乃の前へ小鉢を置き、
もう一枚の小皿を平子へ差し出す。
「あと、あんたには塩豆大福。良かったら食べ」
「おばちゃん、ありがとうな」
平子は嬉しそうに礼を言う。
「良かったですね」
紫乃が笑うと、平子も大福を見ながら笑った。
「待った甲斐あったな」
「またそうやって揶揄うんですから」
「半分本気やで?」
その返しに紫乃は何も言えず、小さく笑った。
餡蜜を一口。
寒天のひんやりとした弾力。
控えめな甘さの小豆。
黒蜜の優しい香り。
「ん……美味しい」
自然と頬が緩む。
その横顔を見ていた平子も表情を和らげた。
「ほんま、美味そうに食うな」
「……あまり見られると食べづらいのですが」
少し頬を赤くしながら睨む。
平子は悪びれもせず笑った。
「そんな睨まんでも」
塩豆大福を半分に割る。
「こっちも上手いで」
口を付けていない半分を差し出した。
「食べ」
「ありがとうございます」
受け取ったものの、何となく釈然としない。
子どもの機嫌をお菓子で取る
みたいな渡し方だったからだ。
「……何だか誤魔化された気がします」
「んな事ないて」
そう言いながらも、
平子は笑みを浮かべている。
「顔に出てますよ」
そう言いながら一口齧る。
塩気の効いた餡が想像以上に美味しかった。
「美味しいです」
「せやろ?」
得意げな顔を見て、
紫乃は下がり眉で笑みをこぼす。
「真子さんが作ったみたい」
「俺のおかげやからな」
その後も他愛のない話は尽きなかった。
現世の文化。
レコード。
最近増えた洋風の家具。
平子は現世の新しい物がよほど
気に入っているらしく、
隊首室は以前にも増して
ハイカラになっているという。
レコードの音色を思い出しながら、
紫乃は少しだけ残念そうに笑う。
「また聴いてみたいです」
思わず零れた本音だった。
「今度聴かせたる。遊びにおいで」
平子はそう言うが、
他隊の三席が気軽に
隊長室へ通うものではない。
そう思えば、それ以上は口に出来なかった。
特別な約束を交わしたわけではない。
待ち合わせを決めたわけでもない。
それなのに、
いつしかこの甘味処は、
二人が顔を合わせ、
肩の力を抜いて話せる場所になっていた。
一人で味わう餡蜜も好きだった。
けれど、こうして隣で誰かと笑いながら
食べる餡蜜も、気付けば好きになっていた。
平子も、この時間を大切に思っている。
紫乃にも、それは伝わっていた。
それでも、進もうとは思わなかった。
今の距離が、あまりにも心地良かったから。
けれど——。
これが、二人でこの甘味処で過ごした、
最後の日になる。
そのことを、この時の二人はまだ
分かるはずもなかった。
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