違和感
*
「では、この考案書は鬼道衆へ報告する」
「よろしくお願いします」
紫乃は一番隊副隊長・雀部に
大前田の疑似重唱に関する考案書を手渡した。
雀部が内容を確認し、
確かに受領したことを見届ける。
これで、鬼道の歴史に
大前田の功績が刻まれることになる。
本人はさぞ満足することだろう。
紫乃は一礼すると、執務室を後にした。
一番隊隊舎の廊下は、
普段とは明らかに空気が違っていた。
先ほどまで行われていた緊急招集の影響か、
隊士たちは皆、いつでも事態に対応できるよう
張り詰めた様子で持ち場についている。
九番隊で起きた異常事態。
隊長・六車拳西。
副隊長・久南白。
二人の霊圧反応が、同時に消失した。
その事実が、瀞霊廷全体を緊張させている。
紫乃も二番隊へ戻れば、
待機命令のもと警戒態勢に入ることになるだろう。
だからこそ、戻るべきだった。
けれど――。
廊下の途中で、紫乃の足が止まった。
「……真子さん」
ぽつりと、名前が零れる。
心配している。
それは、平子を信用していないからではない。
むしろ逆だった。
平子真子という男が、
そう簡単にやられるとは思っていない。
けれど今回の事件は、あまりにも異例だった。
魂魄消失。
原因も分からず、犠牲者だけが
増えていく不可解な事件。
事件が広まり始めた頃、
浦原喜助は確証こそ持っていなかったものの、
何かに気づき始めているように見えた。
そして、ひよ里を現場へ向かわせたことを
後悔した時の、あの焦りよう。
もしかすると――。
「……喜助は、もう何か掴んでいるんじゃ……」
そう考えが過った。
浦原喜助は、昔からそういう男だった。
何かを思いつけば、
周囲が止める間もなく強引に突っ走る。
そして、その予想を外さない。
二番隊にいた頃から、
紫乃が浦原を一目置いていた理由の一つでもある。
ならば。
今夜も浦原が何かを知り、
現場へ向かう可能性は十分にある。
けれど、今から本人に話を聞きに行く時間はない。
それなら――。
もう一つ、気になることがあった。
平子が以前、甘味処で紫乃に告げた言葉。
『惣右介には気ぃ付けや』
その時は、単に「優男に騙されるな」という
冗談混じりの忠告だと思った。
だから紫乃も笑って流し、
それ以上は追及しなかった。
何より、その直後に
平子自身がこう言っていたのだ。
『あいつは紫乃以上に真面目で、おもんないで』
だからこそ、
あの言葉を真剣には受け取っていなかった。
けれど――。
もし、あれが平子なりの忠告だったとしたら?
紫乃は、考える。
酒の席で一緒になることもない。
仕事以外で、
二人が共にいるところも見たことがない。
最近では五番隊へ書類を届けに行っても、
藍染本人が応対することはなく、
決まってギンに書類を渡していた。
「……私に会いたくない理由……?」
口にしてみても、答えは出ない。
確証など、どこにもない。
それでも。
違うとも言い切れない。
一つ一つは些細なことだった。
けれど、いくつもの小さな違和感が重なれば、
それは無視できないものになる。
紫乃は、静かに一歩を踏み出した。
息を呑む。
これは――
夜一から言われた忠告に背くことになる。
『無茶はするな』
分かっている。
それでも。
「……確認するだけ」
小さく呟いて、紫乃は瞬歩を使った。
向かう先は、五番隊隊舎。
◇
五番隊隊舎へ到着すると、
紫乃は玄関先にいた隊士へ声を掛けた。
「藍染副隊長は、居られますでしょうか?」
「花房三席?こんな時間に、
どうされたんですか?」
突然の訪問に、隊士が戸惑ったように尋ねる。
しかし紫乃は、その問いには答えずに
もう一度訊いた。
「藍染副隊長は?」
少しだけ、声が急いていた。
「副隊長でしたら、今夜は待機で執務室に……」
「呼んで頂けませんか?
緊急で、お話があります」
淡々と告げる。
隊士が慌てて取り次ごうとした、その時だった。
廊下の奥から足音が聞こえてくる。
そして現れたのは――藍染だった。
「これは、花房三席。
夜分遅くに、どうされましたか?」
「藍染副隊長……」
いつもの穏やかな物腰。
いつもの柔らかな声音。
何一つ、おかしなところはない。
紫乃は、ほんの僅かに眉を寄せた。
――やはり、自分の考え過ぎだったのだろうか。
「先日お渡しした書類に不備があったと、
大前田副隊長から報告を受けましたので。
回収に伺いました」
咄嗟に考えた訪問理由を口にする。
藍染は少し考えるようにしてから答えた。
「書類の……?
不備などは無かったはずだよ。
大前田副隊長の勘違いでは?」
「こちら側のミスですので、
一度確認させて下さい」
「仕方ないね……。
少し待っていなさい。
今、取ってくるよ」
藍染はそう言うと、紫乃に背を向けた。
「お手数を取らせてしまい、申し訳ありません」
紫乃が頭を下げる。
その時だった。
ふと、気づいたことがあった。
「……ギンくんは、今、不在なんですか?」
その言葉に、藍染の足が止まった。
ほんの一瞬。
「……彼なら、今は仮眠してもらっているよ。
今夜は護廷十三隊が全面待機だからね」
「そうですか」
紫乃は頷く。
「最近、藍染副隊長の代わりに
ギンくんが対応していたので、つい質問を……」
何気なく告げた言葉。
その瞬間だった。
藍染を包んでいた空気が、僅かに変わった。
ほんの僅か。
気のせいだと言われれば、それまでの変化。
けれど紫乃は、それを見逃さなかった。
――何かを隠している。
そう思った。
「最近、忙しかったんだ」
藍染は穏やかに笑う。
「処理済みの書類を探すのに、
少し時間を要するからね。
良かったら、お茶でもどうかな?」
「いえ」
紫乃は即座に首を横に振った。
「それでしたら、明日すぐに取りに伺います。
申し訳ありません」
「そうかい?」
「はい。夜分遅くに失礼しました」
一礼する。
藍染もまた、穏やかな笑みを
浮かべたまま紫乃を見送った。
紫乃は五番隊隊舎を出る。
そして、振り返らなかった。
隊舎から十分に離れたところで、
紫乃は瞬歩を使う。
向かう先は――九番隊。
六車拳西と久南白の霊圧反応が消失した、
あの野営地だった。
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