野良犬は彷徨う











戻って来た貧民街は以前よりも孤独だった。



細くて小さな僕は食料を得られず、
ボロい空き家を見つけ住みつけば、
力のある者に住処を奪われる。
殺されないだけマシだと云われようが、
その時は寧ろ殺された方がマシだった。

街中を歩けば人にぶつかられ怒鳴られ
またまるでそこに僕がいないかのように忘れられる。
僕みたいなゴミと話す事さえ嫌われる。
死人のように見えない者のように扱われる。

それもお似合いなのだろう。
僕は僕を幸福へ導いてくれた人を、
自ら捨ててしまった様な人間だから。



記憶を消したらどれだけ楽だろう。
そんな自問自答を繰り返し続けて、
フツフツと呟けば君悪がられ、
フケとノミで全身がかさつこうと
鼻が締め付けられるような鋭い異臭でも、
僕はあの時の記憶を繰り返し見続けた。



地獄と云うには甘い程 重い僕の罪に対し、
幸福だった時の記憶を消す事は出来なかった。



"朔太郎!"



Σ「!?」バッ



声がして振り返っても、
もう太陽のような彼は居ない。
僕が未だ魅ている幻聴に過ぎない。
耳を引き千切る事が出来ればしたい。
幻聴を聴けば聴くほど、
僕は苦しめられるだけだった。



苦しいのに忘れたくない。



僕になら忘れられる事が出来るからこそ、
苦しめられる選択肢だった。



「僕は……僕は、愚かだ………
死ねない…死にたくない……苦しい……
忘れたくない……先生…犀星…」

「大丈夫かい?」



優しい声がして思考が停止した。
ぐしゃぐしゃになった顔で見上げると、
包帯が目立つ綺麗な身なりをした
近い年齢であろう若い男が見下ろしていた。



「ッ……あ…ぃや……」



仮面のようなニッコリとした笑みは
何か企んでいる様子の笑みだと知っている。
しゃがみこんでいた僕は尻餅をつき、
後ずさるように彼から離れるが、
二、三歩彼が歩けば直ぐに追い付かれる。



「そんなに怯えてどうしたのかな?
ブツブツと不気味な声がして来てみれば
まだ若い子供じゃないか。
そんな臆病者じゃ此処では生きていけないよ。」

「……ぼ…僕みたいな人間は…
飢え死にがお似合いだ…から…」

「先生と犀星って人は助けてくれないのかい?」

「!!」

「助けを求めていただろう?」



悪戯のような顔をした彼は、
僕が呟く意味を理解していながら、
敢えて僕自身に答えさせようと
二人の名前を口にしていた。
他人から聞いた二人の名前に、
僕はまた頭を叩き割りたい程、
衝動的に苦しくなった。



「ぁ…あぁ……僕は愚か者だ…愚かだ……、
ほっといてくれ……野垂れ死ぬならそれでいい…
僕は、生きているだけ無駄なんだ……」

「そんなに死にたいなら私と死ぬかい?」

「!」



彼は何を云ったのだろう。
僕は思わず顔をあげたのだが、
彼の表情は全く読み取れなかった。
きっとまた冗談を云って僕を揶揄っているのだろう。
服も綺麗で良い服を着ている。
金が良い仕事についていて、彼は幸せだから僕を揶揄う。
良い仕事の暇潰し相手にされている。
全く僕は愚かな人間だった。



「私は自殺志願者でね。
然しなかなか死ねないのだよ。
其処で心中相手を探しているのだけれど…、
ああ、でも君は綺麗な顔だけど男だから駄目だね。
私は美しい女性との心中が夢だから。」

「………ぼ、僕の事はほっといて下さい。
死人のように誰にも気付かれずに彷徨うしかない
人間以下の愚かな社会のゴミだ…」

「そうだね。君はあっという間に死にそうだよ。
今まで生きている事が奇跡の様だ。」

「ッ……」



そうだ…直ぐ死にそうな程弱い僕なのに何故か生きてる。
あの時も僕が死ぬべきだったのに先生や犀星が…
僕が手を伸ばしても届かなかった。
あの時からだ 僕が僕としていないようになったのは。



「あの…幹部……」

「なんだい?」

「突然立ち止まられてどうされましたか…?
そこに何か幽霊でも?(汗)」

「ッ……!(汗)」



綺麗な男の後ろにいたサングラスをかけた黒服は
怯えた様子で声を掛けた。彼だけじゃ無い。
その周りにいる複数の似たような黒服達も
まるで僕を見えていないかのように綺麗な男だけ見て
僕の事は幽霊かのように扱っていた。

こうして目の前で会話をしているのに
それでも僕を見えない者にする必要なんてあるのか?
まさか…まさか僕は気付かない内に死んでるのか?



「はぁ…何を言ってるんだい?
僕は目の前にいる見窄らしい少年と話しているのに
全く見えないほど君の目は老眼なのかな?」

「い、いえ…我々には幹部の前には誰も…(汗)」

「何?(どういう事だ…私にだけ見えている?
私だけ特別だとしたらこの少年は…!)」

「!?」



綺麗な男がバッと振り向いて真剣な表情をしていた。
自分の霊感に気付いて驚いているのか?
でも妙だ。僕が死んでいたとしたら
何故こんなにも飢えがあるのだろうか。
建物からの隙間風を、貧民街の生臭い臭いを感じるのか、
地面に立つ重みや、土に覆われた掠れた肌が、
五感がこんなにも感じるものなのか……?
これが罪を侵した人間の地獄なのだろうか……



「成る程ね。ちょっといいかい?少年。」

「え、」

ポンッ「異能力W人間失格W」



綺麗な男がそう言うと
僕の周りには細かい文字が覆っていて光っていた。
そして綺麗な男の周りにも別の光が放っている。
それが弾けるように消えると、



Σ「な!なんだこいつ!いつの間に!!」

「何かの異能力者か!」

「離れて下さい幹部!!」

「な…え、ぁ……(汗)」



後ろの黒服達は今僕に気付いたかのように
驚いて拳銃を抜いて向けてきた。
僕も訳が分からず動揺している他所に
綺麗な男は吹き出して天を仰いで笑い出した。



「ふふふ…ははははは!!
実に愉快だよ少年!今まで気付かず異能を使ってたなんて!
誰にも気付かれず貧民街の亡霊となるところだったね!」

「な、何をしたんですか…ぼ…僕は一体……(汗)」

「君は異能力者だったのだよ。
そしてそれに気付かずに異能を使っていて
異能無効化の私には効かずに君を認識出来ていた。
私と出逢わなかったら君は貧民街の亡霊と化して
誰にも認識される事なくのたれ死んでいたよ。」

「異能力……?(先生が使っていたようなものか…?
そんな力まさか僕にあったなんて……)」

「私は太宰治。ポートマフィア幹部だ。
君のような異能は組織では有力になる。
是非ポートマフィアに来て欲しい。
私も君には興味があるからね。」

「ポート…マフィア……?」



ニッコリと笑う太宰治という男は
僕に手を差し伸べてくれた。

先生の手と同じように白く細く綺麗な手だった。

僕はその手を取ったその日から
地獄よりも地獄だと言える程恐ろしい日が始まった。