錆と血の臭い









静かになった獄舎の中太宰は、
ポタポタと落ちる水滴の音に退屈し、欠伸を零した。

「(予想通りなら今頃彼方(あっち)も…)」



ジャラリと手首の手錠をチラリと見て、
「…頃合いかな」とぽつりと呟くと、
コツリと革靴の足音が鳴った。



「相変わらず悪巧みかァ太宰!」

其の声に、太宰は顔を怖ばせる。

「……その声は、」

「こりゃ最高の眺めだ。百億の名画にも優るぜ。」



其れはポートマフィア幹部、中原中也の登場だった。
太宰は彼の登場にあからさまに嫌そうな顔をして、
最悪と云う言葉を二度も零した。



「良い反応してくれるじゃないか。
嬉しくて縊り殺したくなる。」

「わあ 黒くてちっちゃい人がなんか喋ってる。」

「!」

「前から疑問だったのだけど、
その恥ずかしい帽子どこで購うの?ぷっ」

「ケッ。言ってろよ 放浪者(バガボンド)。
いい年こいてまだ自殺がどうとか云ってんだろどうせ。」

「うん。」

「否定する気配くらい見せろよ……。
だが、今や手前(てめぇ)は悲しき虜囚。
泣けるなァ太宰。否、それを通り越してーーー
ーーー少し怪しいぜ。」



中原は太宰の頭を掴み、引き寄せた。



「丁稚(でっち)の芥川は騙せても、俺は騙せねえ。
何しろ俺は手前の元相棒だからな。
……何する積りだ。」

「何って……見たままだよ。
捕まって処刑待ち。」

「あの太宰が不運と過怠で捕まる筈がねえ。
そんな愚図なら、俺がとっくに殺してる。」

「考え過ぎだよ。心配性は禿げるよ。
はっ……まさか!」

「ハゲ隠しじゃねえぞ。一応云っとくが。」



中原は苛立ちながらも、帽子を外し証拠を見せた。



「俺が態々ここに来たのは、
手前と漫談する為じゃねえ。」

「じゃ、何しに来たの。」

「嫌がらせだよ。
あの頃の手前の嫌がらせは芸術的だった。
敵味方問わずさんざ弄ばれたモンだ。だがーーー」

ドゴッ!!

「そう云うのは大抵、十倍で返される。」



中原は最も簡単に蹴りで太宰の手錠の鎖を千切り、
コンクリートの壁は凹んでいた。



「手前が何をたくらんでるか知らねえがーーー
これで計画は崩れたぜ。俺と戦え、太宰。
手前の腹の計画ごと叩き潰してやる。」

「………中也。」

「あ?」

パチンッ

「?」



太宰が指を鳴らすとジャラリと手錠が外れた。



「君が私の計画を阻止?……冗談だろ?」

「何時(いつ)でも逃げられたって訳か。
良い展開になって来たじゃねえか!」



中原は一気に詰め寄り素早く拳を入れに行く、
だが、太宰は簡単そうに避け、
その腕を掴み、腹部へ打撃を与え返した。
深く入ったように見えるが、



「何だその打撃(パンチ)」

ゴッ!バキッ!!   


身軽に右足で蹴り飛ばし、太宰は壁に打つかった。
その威力はコンクリートの壁に罅を入れる程だ。



「按摩(マッサージ)にもなりゃしねえ。」



マフィア幹部 中原中也。
能力名"汚れついちまつた悲しみに"
触れたものの重力のベクトルと
強さを操ることが出来る異能。
対して、武装探偵社社員 太宰治
能力名"人間失格"
直接触れたありとあらゆる異能を無効化する異能。
極めてシンプルな戦いとなるが、
それだけなら太宰は遥か昔に殺されている。



「手前(テメェ)の格闘術はマフィアでも中堅以下だ。
異能無効化は厄介だが、
この状況なら異能を使うまでもねえ。
立てよ。招宴(パーティ)は始まったばかりだぜ。」

「……流石はマフィアきっての体術使い。
防御(ガード)した腕がもがるかと思ったよ。」

「(寸前で腕を上げ、防御したのか。
攻撃を読まれているな。)」

「君とは長い付き合いだ。
手筋も間合いも動きの癖も完全に把握してる。
でなきゃ相棒は務まらない。だろ?」

「!」ピキッ



怒りで血筋が立った中原は、
また一瞬で太宰の懐に入り拳を出した。



「だったらこの攻撃も読まれてるんだろうなあ!」

ゴッ! 

太宰の頬に拳が重く入り、グラついた。
一呼吸付かぬまま、再び距離を積まれる。



「打撃(パンチ)ってのはなあ!
こうやって打つんだよ!」

ドッ!!ガ!!

「動きが読める程度で勝てる相手と思ったか?」

「……ぐっ…」



中原は太宰の腹部を殴り壁へ押し付け、
首を掴んで乃武(ナイフ)を取り出した。



「終いだ。最後に教えろ。
態(わざ)と捕まったのは、何故だ。
獄舎(ここ)で何を待っていた。」

「……」

「だんまりか。いいさ。
拷問の楽しみが増えるだけだ。」

「……一番は、敦君に付いてだ。」

「敦?」

「君達がご執心の人虎さ。
彼の為に70億の賞典を掛けた御大尽が、
誰なのか知りたくてね。」

「身を危険に晒してまで?
泣かせる話じゃねえか……と云いたいが、
その結果がこの態(ザマ)じゃあな。
麒麟も老いぬれば駑馬に劣るってか?
"歴代最年少幹部"さんよ。」

「……」

「ま、運にも見放されたしな。
何せ俺が西方の小競り合いを鎮圧して、
半年振りに帰ったその日に捕縛されるんだからな。
俺からしたら幸運だったぜ。」

「……くくっ」

「!、何がおかしい。」

「いいことを教えよう。
明日、五大幹部会がある。」

「五大幹部会?莫迦な。あれは数年に一度、
組織の超重要事項を決定する時だけ開かれる会だ。
あるなら疾っくに連絡が……、」

「理由は私が先日、
組織上層部にある手紙を送ったからだ。
で、予言するんだけど……、君は私を殺さない。
どころか、懸賞金の払い主に関する情報の在処を
私に教えた上で、この部屋を出て行く。
それも内股歩きのお嬢様口調でね。」

「はあ!?」

「私の予言は必ず中る。知ってると思うけど。」

「この……状況からか?巫山戯る…………手紙?」

「手紙の内容はこうだ。
"太宰 死没せしむる時、汝らの凡る秘匿公にならん"」

「……?」

「!!」ザッ



中原は何かに気付き、
思わず太宰から距離を取った。



「真逆手前…!」

「元幹部で裏切り者の私を捕縛した。
だけど上層部に"太宰が死んだら組織の秘密が
全部バラされるよ"っていう手紙まで付いてきた。
検事局に渡ればマフィア幹部全員百回は死刑に出来る。
幹部会を開くには十分過ぎる脅しだ。」

「そんな脅しに日和るほどマフィアは温くねえ。
手前は死ぬ。死刑だ。」

「だろうね。けどそれは幹部会の決定事項だ。
決定より前に私を勝手に私刑にかけたら、
独断行動で背信問題になる。罷免か、最悪処刑だ。」

「そして……俺が諸々の柵を振り切って、
形振り構わず手前を殺したとしても……
手前は死ねて喜ぶだけ?」

「ってことで、やりたきゃどうぞ。」



笑顔で命を差し出す男に、
リスクを冒してまで殺す利益は無い。
傷付くのは、己のプライドのみだ。
それを昔から知っている中原は怒りで震える。
殺したい。嫌いな太宰を殺したい。
そんな怒りよりも身の安全を取り、
中原は乃武(ナイフ)を地面に落とした。



「ふっ 何だやめるの?
"私の所為で組織を追われる中也"
ってのも素敵だったのに。」

ギリ…
「糞………!、真逆……って事は…、
二番目の目的は、俺に今の最悪な選択をさせる事?」

「そ」

「俺が嫌がらせをしに来たんじゃなく……、
実は手前こそが、嫌がらせをする為に、
俺を待ってたって事か?」

「久しぶりの再会なんだ。
このくらいの仕込みは当然だよ。」



太宰は嬉しそうにニッコリと笑みを浮かべ、
中原は憎たらしい太宰に殺意を抱く。
そして奴の言われるがままの自分にも腹が立ち、
思わず両膝両手を付いて気が沈んだ。



「おっと。倒れる前にもうひと仕事だ。
鎖を倒したのは君だ。私がこのまま逃げたら、
君が逃亡幇助の疑いをかけられるよ?
君が云うことを聞くなら、探偵社の誰かが
助けに来た風に偽装してもいい。」

「……それを信じろってのか。」

「私はこういう取引では嘘を付かない。
知ってると思うけど。」

キッ!
「手前…、」



中原は再び怒りが上乗せされ、
ピキッと思わず怒りの擬音が鳴ったが、
ガクッと再び気が沈み腰を下ろした。



「……望みは何だよ。」

「さっき云ったよ。」

「人虎がどうとかの話なら芥川が仕切ってた。
奴は二階の通信保管所に記録を残してる筈だ。」

「あ そう。予想は付いてたけどね。」

「てッ……!…チッ
……用を済ませて消えろ。」

「言われなくてもそうしま、」



ガチャッ

「!!」バッ



中原の背後の重い扉が開いた音がした。
人一人入ってきたような感覚で閉まるが、
その姿は中原には見えていなかった。



「誰だ…?」

「ふふ…いつ見ても滑稽だね中也。」

Σ「ああ!!?(怒)」

「挨拶くらいしたらどうだい?W朔太郎くんW」