07
「まだ決まらないのか、網問」

目の前には眉を顰めて険しい顔をした一人の先生が私に向かって問いかけていた。私の中では全てにおいて覚悟の上で立ち上がろうと決心したつもりだった。眩しい光のような彼等から沢山の力を貰って、これからは上手くやるつもりだった。ただ一つの質問で、私の考えはいとも容易く崩れ落ちてしまったのだ。

「お前なら陸上で推薦を取れるレベルだったのに……手段を消したのはお前自身だぞ」

分かってる、そんなのよく分かってる。だけど何も知らない第三者から言われたら、誰だってカチンと来るはずだ。……けど、ここで私がキレるのもお門違いだってこともよく分かっていた。第三者の言葉一つで揺らいでしまうのか、私の決心は。少し、私自身が嫌になった。嫌悪感を覚えてしまった。

「そう、ですね」

まず、私は進路の事まで気が回っていなかった。そして、今更推薦を取ろうと、もしくは強豪校へ行こうと努力を積み重ねても、もう間に合わないのではないかと思ってもいた。周りはどんどん将来を決めて進んでいるのに対して、決心なんてものは脆く、ずっとその場で立ち止まっている私自身が恥ずかしくてたまらなかった。

先生に見えないように、痛いくらいに拳をぎゅっと握りしめる。これ以上進まないと判断したのか、目の前の進路主任の教師は諦めたようにはぁ、と溜息をついて「ちゃんと決めておけよ」と言って教室から気怠げに去って行った。その姿を追いもせず、私は自分のつま先を見つめる。どうしたら、いいんだろう。もやもやと気持ち悪い感情が私の中を右往左往している。

「……とりあえず、走ろっかな」

嫌なことがあったり落ち込んだら、まずは走る。それは以前の私がいつも行っていたものだった。何というか、ルーティーンに近かった。外気に触れると身体だけで無く、何故だか頭も冴えるのだ。……それがいい。立ち止まっていても何もならない事はよく理解出来ているのだから、とりあえず走ってみるのも得策かもしれない。






外気の冷たい風が、暖まった頬に触れてぶるりと体を震わせる。冷たくも心地の良い風が私の体にぶつかって、何だか頭も冴えてくるような気がしてくる。

陸上をやっていたあの時より、私の走りのフォームはそこまで崩れていた訳ではなかったが、そうは言っても全く変化が無いとは言い切れなかった。どんなスポーツだって同じだ。一日でも練習をせずにいたら、体が怠けて本調子とはいかない。そこはよく分かっているから、別に落ち込んだりはしない。……けれど、悔しい気持ちは人一倍感じていた。立ち止まっていた自分にどれだけ憤りを感じたか。もう、あんな思いはしたくない。

「…!網問先輩、ちょっと来て下さい!」
「え、宮坂?え、何、ちょっ待って引っ張らないで」

色々と思い出すものがあり、ぼんやりと空を見つめながら足を動かしていたら、曲がり角から突然宮坂が現れた。かと思ったら突然私の腕を掴んで突然走り出したのだ。いきなりの事で全く理解が出来ていない。……え、これから集団リンチとか始まらないよね?宮坂多分私の事嫌いだし、陸上部のメンバーを味方に付けて………?い、いや、それはないよな。多分。そこまで捻くれた事をする子じゃない。………はず。

「宮坂?急にどうしたの?」

腕を掴まれ走りながらもどうにか訳を聞こうと試みると、宮坂はしばらく間を置いて小さく口を開いた。

「風丸さんの、サッカーの試合を見に行くんですよ」
「風丸の……?急にどうして…」

どことなく納得の行かないような声色で答えた宮坂に疑問符が浮かぶ。今まで風丸がサッカー部にいることを否定し続けていた宮坂が、急にサッカーの試合を見に行くと言い出したら、過去の事を知っている人間は誰でも疑問に思うだろう。ずっと陸上部で張りし続けて尊敬していた大好きな先輩が、いきなりサッカー部に行ってしまったらそれは不安だろうし、私が宮坂だったら同じ反応をしたかもしれない。別に同じ事を経験した訳ではないけれど、宮坂の気持ちは分からなくも無かったから、無下には出来なかった。

「……僕、本当は風丸さんに陸上部へ戻って来て欲しいんです。でも、何だか風丸さんは迷っているみたいで。……そしたら風丸さんが、」
「……ああ、なるほどね」
「そういう事ですよ」

風丸らしいやり方だと思った。つまり、風丸は宮坂に見せて証明するという手段に出たのだ。確かに宮坂は頑固だし、口頭で説明をしても納得しない事はずっと一緒にいた私たち陸上部のメンバーはよく分かっていた。私もそれが最適だと思う。それにそれほど風丸がサッカーに対して本気ならば、きっと宮坂も分かるはずだ。……いや、本当は分かっているのだと思う。分かっているけど認めたく無い。そんな思考を持っているのが宮坂だと私は知っているから。

先ほどまでの憂鬱な気分はどこへやら、気がついたら後輩の心配ばかりをしていた。どうやら、悩んでいる暇などなさそうだ。私は強く掴まれた腕をほどいて、逆に私が宮坂の腕を掴んで走るスピードを上げて行く。

「なあに、現役陸上部はこの程度?」

ニッと歯を見せて笑ってみると、宮坂はムッと眉間にしわを寄せた。

「…ナメたら痛い目見ますよ!」

そう言ってぐん、と力強く地面を蹴る。風が私たちに当たって邪魔をするけれど、これだけ意思が屈強な私たちは風ごときで止まる程弱くは無かった。

風丸が何をしようとも、宮坂がどう思おうとも、第三者の私からしたらどうでもいいことだと思っていた。けれど実際はこんなにも後輩達にハラハラさせられているのだから、きっと私も宮坂と同じなのかもしれない。