あと5cm

「……鹿立?こんな所で何をやっているんだ?」
「………神童」

あの後家に帰ってもこの酷い顔を家族に見せればきっと心配するだろうと思い、近所の公園のブランコに腰掛けていた。ぼーっと空を見上げて足をぶらぶらと揺らしていると、通りかかった神童がこちらへやってきたのだ。私の表情に目を見開くと、神童は隣のブランコに同じように腰を掛けて優しく私に話しかける。

「どうしたんだ、らしくない顔をして」
「……うん、」

答えになっていない、曖昧な返事をすると神童は眉を下げて苦笑いをする。キィ、とブランコの鉄の部分が音を立てて、揺れを止めると音も一緒に止まる。

「……蘭丸と、喧嘩したんだ」
「蘭丸と?いつものじゃないのか?」

ぱちぱちと目を瞬かせて聞いてくる神童に、私は静かに頷く。蘭丸は気にしていないかもしれないけれど、私にとっては一大事なのだ。

私は感情的にならないように注意しながら、ゆっくりとあった事を話して、そして謝りたいという事も伝えた。すると神童はブランコから腰を上げ、さっきの私と同じように、橙色に輝く空を見上げてから私の方に視線を移動する。

「お前達は……本当、空回りすぎだな」
「……空回り?」
「いや、何でも無い。気にしないでくれ。…まあ、そうだな。一度感情を思い切り外に出したらどうだろうか?」

微笑みながら私にそう提案する神童に、今度は私が疑問符を浮かべて瞬きをする番だった。外に、なんてもう蘭丸に対して八つ当たりという形で出してしまったというのに、どうすれば良いのだろう。

神童はゆっくりと私に近づき、私の頭に手をぽん、と優しく乗せた。突然の事に驚いて、ばっと顔を上げると、そのまま神童は私の頭を撫でながら話し始める。

「俺が言うのも何だか変な話だが……泣きたいんだろ?」
「……え、」
「ふふ、そんな顔してるぞ?泣いて発散するのも一つの方法だ」

やっぱり、私は表情に出やすいようで、神童にすら見抜かれていたらしい。まあ神童はサッカー部のキャプテンだし、それは当たり前なのかもしれないけれど。

「何とかなるさ。……これ、俺の後輩受け売りの言葉なんだ」

ふわりと安心させるように笑って私の頭をなで続ける神童を見ていたら、何故だか視界がぼやけてきた。ずっと我慢していた物が、でもさっきのとは違う感情があふれ出す。きっと蘭丸の前で泣いたら迷惑を掛けてしまうだろうから、彼のいない今泣いてしまおう。そう心の内で思ったら感情は歯止めが効かなくなって、次々にあふれ出した。

「蘭丸は、何も悪くないのに、わたし、酷い事言って、傷つけて、迷惑かけて、」
「ああ、」
「小さい頃からそうなの、いつも私はわがままで、もうこれ以上、わがまま言う権利なんて、ないのに、」
「ああ、」

嗚咽を漏らし、あふれる涙を手で拭いながら感情を零すと、神童はひとつひとつに相槌を打ってハンカチで私の涙を拭ってくれる。後で神童にも謝らなきゃな。ちゃんとハンカチも洗って返そう。

「お前は、幼馴染思いな奴だな」
「……我が儘なだけだよ」
「いや、そうじゃないんだ」

そう言って否定した神童の顔をちらりと見る。ふっと瞼を閉じて、何かを思い起こすようにゆるりと話し始める神童に私は耳を傾ける。

「霧野が前に言っていたんだ「満はいつも俺の事を思って行動してくれるんだ。それは小さいときからずっと変わらなくて……俺より頼もしい奴なんだよ」って。これは確かに、霧野の本心だよ」
「蘭丸が、そんな事を?」

信じられない、という目で神童を見ると、神童は頷いて「本当だ」と呟いた。

知らなかった、そんなこと。蘭丸は一度もそんな事言ってくれる素振りも無かったから、私は全く思ってもいなかった。それでも私と今まで通り関わってくれる理由が私には分からなかったから、”もしかしたら”なんて淡い期待が心に芽生える。早く、蘭丸に会いたい。ようやく思えたその感情を零すことのないように、ぎゅっと心にしまって抑えておこう。

「神童?……に、満?」
「っ、…蘭、丸」

公園の出入り口には私服姿の蘭丸が立ってこちらを見ていた。タイミングが良いのか悪いのか、今、この時に現れた蘭丸の姿に、私の心臓は忙しなく動き始める。言わなきゃ、言わなきゃと急かすように動く心臓をどうにか落ち着かせるためにふぅ、と息を吐く。

「じゃあ俺はもう行くよ。……がんばれ」
「あ、ありがとう神童!」

蘭丸に聞こえない声で私にエールを送ってくれた神童に慌ててお礼を言うと神童は微笑んで公園を出て行った。

さて、ここからどうしようか。神童は去って、この広い公園の中には私と蘭丸の二人きり。覚悟を決めよう。拳をぎゅっと握りしめ、ようやく蘭丸の顔を視界に入れる。揺れる瞳に私の心も動揺しながらも、私は一歩踏み出そうとした。



(当たって砕けろ!)

欲を言うならば、そのままでいたいのです