行く宛も何も持たないわたしは、やはりその、旅をするという選択肢を取らざるを得ないのだ。いくら泣き叫んでも、変わるのは時間ばかりで、あとは何も変わりようがなかった。全て、現実なのだから。
ユキメノコさんは野生に生きているのだと、人の世界にはあまり詳しくないのだと語るが、そうとは思えないほどの知識を有していて、それが大きな助けとなった。例えば、この世界では、ポケモンたちへの配慮で、交通網は発達しておらず、町から町への移動であれば徒歩で行われることが殆どである、ということなどである。それを聞いたときはこの世界の人々はその、ポケモンという生物にたいして寛容すぎるのではないかと思ってしまった。しかし、わたしがこの世界がどうあるかを知るわけでもないのだ。憶測だけであれこれ言うことは、きっと良くないことだ。あまり、考えないことにした。
「旅をするにはやはり、相応のものが必要となるんです。……何か、持っていたり、する?」
こてん、と可愛らしく首を傾けてユキメノコさんが問う。わたしは学校帰りにこんなところへ放り出されてしまったのだから、そんな訳ないだろうと思ったが、一応、鞄の中を確認してみることにした。でも、せいぜい役に立つのは筆箱やノート程度なのではないだろうか。それすらも、旅をする上で役に立つかなんてわかったものではないけれど。
「なに、これ……」
鞄の中に入っていたはずの教科書やノートは、もちろんあった。けれど、わたしを驚かせたのはもっと別のものだ。入れた覚えの……そもそも持っていた覚えのない道具たち。組み立て式のテントのようなものであるとか、よく分からない赤と白のボールのようなものであるとか、それこそ、わたしの頭の中で簡単に思いつく旅をするうえで必要になるであろうものたちが、全て入っていた。
大きくはある鞄であるが、そのなかに入りきることのない量のものが、わたしの鞄の中に並んでいた。
ひどく、気持ちが悪い光景だった。
思いきり顔をしかめるわたしをよそに、鞄を覗き込んでいたユキメノコさんが微笑む。
「これだけあれば、きっと大丈夫だわ」
それにしても、どうしてこんなものを持っているの、と彼女は問いかけてくる。けれど、そんなものはわたしの方が知りたかった。なぜ、見覚えのないものたちがわたしの鞄の中に並んでいるのか。これも、わたしをこの世界に放り出したという、虹の御方とやらの所業なのだろうか。
会ったこともないその人に対しての怒りやらなんやらの感情が溜まっていくのを、疼くような痛みとともに感じた。
「知らない……知らないよ。気持ち悪い……なんで、こんなものがわたしの鞄の中に入っているの? わけわかんない。こんなもの、捨てたい!」
高まる感情をそのままに吐き出す。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう! なぜ、わたしばかりがこんな目に遭わなくてはいけないのだろう!
わたしとユキメノコさん、二人だけの公園で、わたしは一人で叫ぶしかなかった。
「さゆりさん、さゆりさん……落ち着いて、どうか、落ち着いて……」
「知らないっもう嫌っ!」
鞄を投げ出して叫ぶわたしを、ユキメノコさんが宥めるけれど、それだって偽善的なものに見えて、つまりは信用のできない偽物に見えて、恐ろしい。とにかく振り回したわたしの手が、ユキメノコさんの白い手をぱちりとはたいた。
これは夢じゃない、現実である。
痛いほどにそれをわかってはいたが、やはり受け入れることなんて、出来ない。出来るはずが、無かった。
「ねぇ、落ち着いて!」
大きな声で、ユキメノコさんが叫んだ。
わたしの叫び声よりはかなり小さな声であったというのに、それでもその声は冷たく、わたしの高ぶった気持ちを冷やしてゆくのには十分すぎた。
「泣いても、叫んでも……変わらないわ。現実は、現実なのよ」
冷たい声は、わたしの心を抉りとっていく。わかっていたはずのことは、全くわかっていなかった。
「貴方が、今すべきことはなに? 全て、示されている。その為に必要なものも何もかも、用意されている。ねぇ、そうでしょう?」
ユキメノコさんの冷たい手が、わたしの手をとった。ユキメノコさんの声が、ゆっくりとわたしの中に染み込んでくる。
「知らないことなら、私が教えてあげる。貴方の手となり、足となり……私が貴方の為に、尽くしてあげるわ」
その後ろに続くであろう言葉は、考えなくとも容易にわかった。
ゆっくりともう一度、誰かの口から伝えられることによって、わたしはようやく自分の置かれている状況を、理解出来たのかもしれない。
結局は、その通りでしかないのだ。泣いても叫んでも現状は何一つ変わらない。わたしがすべきことは、目の前に示され続けている。虹の御方とやらの言う通りになってしまうのは癪であったけれど、それしかないのだから、仕方あるまい。
「……わかった、よ。わたしは、旅をするわ」
ユキメノコさんの、冷たい雪のような手を、ゆっくりと握り返した。
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無垢なる貴方へ
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