四十にもなれば、今までは気にしなくて良かったものが途端に近く感じ始めるもので、外見にも変化が見え始め、健康も徐々に蝕まれていく。
いつだったか、重いものを持った時、身体からブチっと嫌な音がして、その場に崩れ落ちたことがあった。
それが人生初のギックリ腰の体験で、お医者さんに無理をしていい年ではないのだと諭されて、歳を取ることの恐ろしさを改めて実感した瞬間だ。
その日から、買い物をする時、いつも荷物を持ってくれる貞ちゃんが、危ないからと口にするようになった。
「出掛けるけど、足りないものはない?」
万屋へ行こうと玄関へ向かう最中、途中で出会った大倶利伽羅になんとなく訊ねると、彼は私の姿を見るなり、訝しげに顔を顰めた。
「……貞はどうした」
「寝てる。夜戦から帰ってきたばかりだから、ゆっくりさせてあげたいの」
応えると、彼は益々顔を顰めて、暫し口を閉ざした。そのまま悩ましげに私のことを見つめた後、観念したように体の向きを変え、どこまで行くんだと聞いてくる。
「付いてきてくれるの?」
「あんたを一人で行かせたら、後で貞になに言われるか分かったもんじゃないからな」
仕方なくだと、自身にも言い聞かせるように呟いた大倶利伽羅に、思わず笑みが零れる。相変わらず口下手な男だが、その短い言葉には確かな優しさが含まれていた。
ありがとうと礼を言えば、あんたのためじゃないからなと返されて、素直じゃないその言葉にまた笑った。
店に着くと、終わったら呼べと言い残して大倶利伽羅は何処かへと消えてしまった。それに、買い物には付き合ってくれないのかと少し残念に思いながら一人で店内を回り、必要なものをカゴに入れていく。それが済むと手早く会計を済ませて外へと出た。
さて、大倶利伽羅は何処だろうかと探すまでもなく、タイミングを見計らったかのように近付いてきた彼は、ごく、自然な流れで私の手から荷物を奪い取った。以前までは、頼んでも持ってくれなかった大倶利伽羅の意外なその行動に、なんとなくもやっとした気持ちを抱いたが、素直にありがとうとお礼を言った。
「そういえば、私を待ってる間何してたの?」
私の問いかけに、大倶利伽羅の眦が、ぴくりと僅かに動いた。
明らかに嫌そうなその反応に、言いたくなければいいよ、と私が口を開く前に、目の前に小さな箱が現れる。
「キャラメル?」
それは、確かにキャラメルの箱だった。手に持って揺らしてみるとかさこそと中から音が聞こえてきた。どうやら中身もあるようだ。
「まさかこれを買ったの?」
想像していたよりも随分と可愛らしい買い物に驚くと、すいっと目を逸らされる。
「自分用、じゃないよね」
大倶利伽羅がキャラメルを食べてるところなんて、見たこともないし、想像もつかない。
なら、一体誰に。それを考えた時、脳裏にはぺかっと晴れた太陽のような笑顔が浮かんだ。
「……ひょっとして、貞ちゃんに?」
「……」
確信めいたその言葉に返事はされなかったが、否定だけは早い大倶利伽羅がそれさえもしないのだから、きっとそうなのだろうと思った。
一匹狼な気質のある彼だが、伊達の刀が相手となると流石に群れるようで、特に貞ちゃんには甘いようだ。
微笑ましい気分になりながら一度受け取ったキャラメルの入った箱を返そうとしたが、それを断るように掌で押し返されてしまう。
「あんたが渡してやれ」
その方が喜ぶ、と。素っ気なく呟いた大倶利伽羅の言葉に、しぱしぱと数回瞬きをする。
「……驚いた。貴方って意外とお節介なのね」
「言ってろ」
「ええ、面白いから貞ちゃんにも教えてあげるわ」
「あいつはもう知ってる」
素直なその返しに、ついに声を出して笑った。
「主──!」
本丸に着くと、飛びつきそうな勢いで貞ちゃんが駆けてきた。大倶利伽羅はその姿を見るなり、持ってくれていた荷物を私に押しつけて反対方向へと踵を返す。後は頼んだ、とでも言うように、キャラメルの入った箱を私に託して。
未だ続いている私と貞ちゃんのすったもんだの関係について、大倶利伽羅は光忠ほど深く介入はしてこなかったが、こういう時、決まって二人きりにさせてくる辺り彼も一枚噛んではいるのだ。
近くにきた貞ちゃんは、自然な流れで私の手から荷物を奪うと、拗ねたように唇を尖らせる。
「出掛けるなら俺も誘ってくれっていつも言ってるんだけどな、主も人が悪いぜ」
「ごめんね、でも疲れて寝てるところを起こすのは忍びなかったし、それに、今回は大倶利伽羅が付いてきてくれたから」
そう言うと、貞ちゃんはその大きな瞳を丸くして、加羅が?と訝しむように声を上げた。
「そう。あとこれ、お土産」
「おっ、主から?」
「大倶利伽羅から」
私の付け足した言葉に、貞ちゃんの眉間に皺が寄った。
それが予想していた反応ではなくて、どうしたのだろうかと首を傾げた。ひょっとしてキャラメルが嫌いだったのだろうかと考えるが、貞ちゃんをよく知る大倶利伽羅が選んだものだと思うと、その可能性は薄い気がした。
「嬉しくないの?」
「嬉しいけどさ、ご機嫌取りのつもりだぜ?あいつ」
貞ちゃんは分かりやすく不機嫌な顔をしていたが、それでも、キャラメルには罪はないと箱から一粒取り出すと、口の中へと放り込んだ。……にしても機嫌取り、とは。
「……拗ねてるの?」
「ちょっとな」
格好悪いとでも思ったのだろうか、いつも凛々しい貞ちゃんの眉が少しだけ下がった。
「なあ、今度は俺としようぜ、デート」
「買い物であって、別にデートじゃなかったよ」
「じゃあ俺とはデートしようぜ」
「どっちも一緒よ、もう、どうしてその呼び方に拘るの」
「わかってる癖に」
しらばっくれる私に、貞ちゃんはそれだけ言った。
四十歳。貞ちゃんが余り好きだと云ってこなくなった年。
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