鶴の一声



 人は月日が経つ毎に、歳を重ねて、老いていく。
 気付けば、審神者に定年退職という制度があればとっく迎えていたであろう歳になっていた。

「そんな顔をしていると、また皺が増えるぜ」

 書面の小さな文字を読むのに苦労していると、頭上からけらけらと揶揄ったような笑い声が降ってくる。一度かけていた眼鏡を外した後、私はその人物を一瞥する。

「……静かに出来ないなら出て行ってもらうけど」
「おっと、俺なりに和ませようと思ったんだがな」

 乙女には逆効果だったか、と態とらしく肩を竦める鶴丸に息を吐いた。彼の、暇になるとここへ来る癖はまだ治っていないようで、今のように仕事中に訪ねてきては一方的に話しかけてくるのだ。

「もう乙女って歳ではないけれど」
「外見の話じゃない、心の話をしてるんだ」
「心もよ」
「そりゃないな」

 早い否定に、また眉間に皺が寄ったが、どうして、と聞き返すような愚かな真似はしなかった。それなのに、鶴丸は勝手に答えてくる。

「身近にあれ程惚れたそぶりを見せる者が居るんだぜ?枯れるわけがないだろう」

 敢えて人物をぼかした物言いに、言外に責めれた心地になった私は目を逸らした。視界から少し外れた先で、鶴丸は柔らかく微笑んだ。いつもふざけた態度ばかりとっているくせに、こういう時の対応は年長者らしく穏やかで、そんな彼を前にすると、忘れたはずの少女時代が蘇る。それは審神者になる前の記憶、母親に叱られている時の心境と一致していた。

「ここまで来てまだ試すとは、君も存外諦めが悪いなぁ」
「ここまで来たからこそよ、……今更でしょう。何もかも」

 思えば、とっくの昔に絆されていたのかもしれない。この人生、本丸という狭い世界の中で大半を過ごしてきたが、男性と良い仲になる機会は確かにあったはずだ。貴重なその機会をこれまで全て棒に振ってきたのは、そこまで考えて、思考を放棄するように目を瞑った。これ以上はやめよう。もう、過ぎたことだ。

「……君なあ、その今更を、もう五十年と待ち続けている奴がいるのを忘れたわけじゃないだろうな」

 そんな私の様子を見ていた鶴丸が、もどかしげに声を絞り上げる。やれやれと手を振ってみせるその姿はどこか楽しげで、その様子に、途轍もなく嫌な予感がした。そして、この予感は恐らく的中するのであろう。

「なあ、君が驚くことを言ってやろうか」

 勿体ぶった前置きの後、にんまりと、鶴丸は頬を吊り上げる。そうして、内緒話のように私の耳に唇を持っていき、囁くようにこう言った。

「最近な、貞坊に墓の中での暇の潰し方を聞かれたんだ」

 は、と真近にある鶴丸の瞳を凝視する。少年のように煌めいている癖に、そんな純粋さの裏で全てを見透かしているような瞳が、私は昔からちょっぴり苦手だったのを、今、思い出した。
 私の手が鶴丸を捉える前に、彼は素早く立ち上がると、そのまま駆け足で襖の前へ移動する。

「生きてるうちにさっさと観念した方がいいぜ、じゃあな!」
「ちょっと待ちなさい!」

 そんな捨て台詞を残して、逃げるように部屋から出て行った鶴丸。その後を追えるような若さが今の私にあるわけもなく、ただぼんやりと開けっ放しの襖を見つめていると、その空間からひょっこりと誰かが顔を出した。

「よう、主!」

 ああ、なんというタイミングなんだろうか。鶴丸の仕業かと疑ってしまうくらい、偶然にしては出来すぎている人物の登場に、心臓がひどく高鳴った。それはまるで本丸中に響いているのではないかと疑うほど、やけに大きな音だった。
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