桜並木には緑が増え、あれほど道を覆い尽くしていた桃色は掃除されたのか綺麗さっぱり消えていた。
スケッチブックに描かれていたという桜の絵はこの光景を見て描いたのだろうか。
そんなことを考えても、塗り潰された先の光景に想いを馳せてもその先が透けて見えるわけではないので、成る可く考えないように目を逸らした。
「……あ」
「……」
逸らした先で、ひとりの少女と目が合う。
朱色のランドセルに、黄金色の瞳。薄っすらと赤い目元が薄らいでいた記憶を鮮明に思い出させた。
少女の方も覚えていたのか、私の姿を視認すると、足を止めた。
「えっと、……みょうじなまえさん、だよね?」
「……」
胡乱げな眼差しでこちらを見ながら、少女は静かに首肯する。それを確認し、スケッチブックを差し出そうとした時、矢張り、あの時と同じように少女は顔を強張らせながらこう言い切った。
「私のじゃないです」
……そうも辛そうな顔で言われると、その言葉が本心なのか分からなくなる。
ここに茨が居れば、少女の心情を見抜くことくらい造作もないのだろうけどこの場に彼を連れてくることなんて出来なくて、困ったまま話を続けた。
「でも、ここに貴女の名前が書いあるよ」
「中、見たんですか」
「……うん、ごめんね」
少女の目線が少しだけ冷たくなる。見てしまったのは事実で、それに言い訳なんて思い付かなかった私は、素直に謝った。
「……あの絵、桜、だよね?」
あの絵で伝わるだろうかと、少し不安に思いながら訊ねれば、少女は驚いたように顔を上げた。
「……その絵を塗り潰した子達が何を思っていたのかは分からないけど、私は好きだよ、貴女の絵」
そう言って、もう一度スケッチブックを差し出せば、ぱちぱちと目を瞬かせる少女と目が合う。
揺れる瞳の奥にどんな感情が隠されているのか、そこに気付ける私ではないけど、きっともう大丈夫だろう。
少女がスケッチブックへと手を伸ばす。
耳に入った少し震えた小さな声が、「ありがとうございます」と礼を言った。私はそれが空耳でないことを願いながら、泣きそうな少女を見て微笑んだのだ。
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