02



「これはこれは、見事な紅葉ですね日和殿下!」
「君は気遣ってるのか馬鹿にしてるかわからないね、まぁどうせ後者なのだろうけど」

 愛想笑いが必要以上に緩んでしまうのは、秀麗な顔に傑作なもみじが浮かんでいたからだ。
このお方の顔をここまで容赦なく引っ叩ける人物は自分の知りうる限りではたった一人しか存在しない。顔はアイドルの商売道具だ。次会ったときはあまり傷つけないように言っておかねば、とそんなことを頭の片隅で考える。
 大方、喧嘩でもしたのだろう。軽い口喧嘩はしょっちゅうだと聞いていたが、それにしたってこれはあんまりにも……。込み上げる笑いと葛藤する自分など気にも留めず、日和殿下は顔にもみじをつけたまま、我が物顔で街を歩く。変装をしているとは言え、頬のもみじは注目は浴びていて、男の端麗な容姿とはまた別の意味で目立っていた。

「見ての通り喧嘩しちゃったからね、甘いものでも買って機嫌を取らないと、帰ってもまたすぐ喧嘩してしまうね」
「成る程、プライベートにおける無駄な労力は省きたい、と。流石は日和殿下ですね!」
「……言っておくけど、そんな打算的なものではないね。君だって、無駄だと知っていながら相手のしょうもない口喧嘩に付き合ったことくらいあるよね?」

 こともなげに続いたその言葉に、返事はしなかった。無言は肯定とも取られるが、下手に否定して揚げ足を取られるよりかは幾らかマシだろう。
 喧嘩ばかりをしてきた。学生の頃の思い出を振り返ってもそのシーンが浮かぶくらいには、ずっとお互い言葉で殴り合ってきた。だから、彼女に優しくするということを忘れていたのかもしれない。

 彼女のことを、自分は知らずうちに壊れぬ玩具だと誤認していたのだ。

「そっちの彼女は、まだ帰ってないんだっけ。
どうするつもりなのかな?」
「ご心配いただきありがとうございます!しかし今はこんな自分の事ではなくご自身の方を心配をした方が良いと思いますよ」
「ぼくの奥さんは“巴”だからね、必ずぼくの帰る家に居るよ」
「素晴らしい惚気ですねぇ」
「羨ましい、の間違いじゃない?」

 このお方は、どうしてこうもずけずけと踏み込んでくるのだろうか。慈愛を孕んだ眼差しが痛くて、思わず目を逸らした。

 ――そうだ、自分はいつも、そうだった。
怒った顔、不満そうな顔、苦しげな顔、泣きそうな顔。その全部が彼女にさせたくなかった表情で、けれども見慣れてしまったものだった。

 その顔さえも思い出せないということは、つまり、そういうことなのだ。

「君達はただ遠回りをして居るだけだと、そうぼくはそう信じたいね」

 ショーウィンドウに映った男の顔は、恨めしいくらい晴れやかだった。
prev next


top/back