04



 “話がしたい”
 饒舌な口が告げたのは、口下手のような一言だった。

 通じはしたものの、通話先の相手は相槌は疎か口さえ開いてくれなかったので聞こえているか不安なところではあったが、待ち合わせ場所にした居酒屋のカウンター席で不機嫌そうに居座る彼女を見つけ、それが杞憂であったことを悟った。
 彼女と目が合うや否や、不満そうに顔を歪められる。その表情の移り変わりに思わず目を逸らしかけたが、なんとか堪える。

「……自分が呼んだくせに、待たせるなんて酷い男」
「貴女が早過ぎるんですよ」

 聞き飽きた減らず口に安心する日が来ようとは、内心で自分に呆れながら、彼女の隣に腰を下ろした。

 運ばれてきたお冷やを手に取れば、冷たい筈のそれが手に馴染み一瞬で生ぬるい温度へと変化する。居酒屋特有の下品な笑い声がそんな自分を嘲笑っている気がして、思わず息を吐いてしまった。
 それが自分に対するものだとでも思ったのだろうか、隣に座る彼女は口を尖らせる。

「来て早々溜息なんて、失礼な人ね」
「貴女に対しての物ではありませんが?」
「うそ。今にも文句の一つや二つ飛び出しそうな顔してる癖に」

 今日の彼女は、やけに突っかかってくる。その言動は喧嘩を誘発させようと必死になっているようにも見えた。

 出会った頃から、彼女は口喧嘩を吹っかけてくることが多かった。それなりに弁が立つ彼女との喧嘩はいつも平行線で、これ以上続けても意味がないと判断した自分が会話を終わらせるのだが、彼女はそれがつまらないとでも言うように、いつも顔を顰めていた。
 昔は何時間と繰り広げていたその舌戦も、最近は数分で決着が付くほどに短いものとなっていた。最初に折れるのは自分の方だった。それが分かっているのに、度々乗ってしまうのは自分の直すべき短所である。

 ふう、と。もう一度息をついた。頭の中には用意した台詞で埋まっていて、それを整理するべく一息吐いたのだ。

 今から、自分はそれを読み上げていけばいい。
 ただそれだけなのに、思いとは裏腹に口からは用意した台詞とは正反対な言葉が飛び出した。

「……貴女、急に出て行きましたけど、うちにあるマグカップとスリッパはどうするんですか」
「しょうがないから使っていいよ」
「サイズが合いませんし、女物を男に使わせるとはいい度胸ですね」

 むっ、と少しだけ彼女の目が吊り上がった。
 何を言ってるんだ。とまるで幽体離脱でもしたかのようにもう一人の自分がこうして多弁に語る俺を白けた目で見下ろしている。
 ああ、そんな目で見なくても自分が一番分かっている。

「その二つ以外にも、貴女のものはまだ沢山残っているんですよ。
好みも趣味も合わないんですから、どうせなら冷蔵庫の中身ごと、全部持って行ってくれたらいいのに、俺だけじゃ消費しきれませんよ、それ以外にもまだ残っているものが――」
「ねぇ、なにが言いたいの?」

 終着点を見失った会話に、痺れを切らしたのは珍しく彼女の方であった。
 その後の言葉がするりと口から出たのは、この騒音のおかげだろうか。

「帰りましょうか」

 騒がしい居酒屋で、彼女が息を呑む音だけはしっかりと聞こえた気がした。

「俺と、結婚してください」

 随分と遠回りをしてしまったが、漸く、その台詞を言うことができた。
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