はじめましてハーモニー



 絶句して固まる私を、スバルくんは心配そうに見つめていた。確かめるように何度か目の前で手を振られたが、それでも衝撃から立ち直れない私は上手く返事をできずにいた。

「はっ!もしかして俺のこと忘れちゃったの!?俺たちの仲なのに!それはないよ〜なまえ〜!」
「スバルくん!声が大きい!」

 それが茶番だと分かっていても、玄関先で繰り広げるにはリスクが高い。なんたって相手はアイドル、こんなところもしパパラッチにでも撮られたら、私の質素な生活に最悪のスパイスが加わることは間違いないだろう。慌てて宙を漂っていた意識を引き戻し、スバルくんの口を手で塞いだ。スバルくんは暫くはもがもがと喋りづらそうにしていたが、やがて諦めたように口を閉じた。

 私がここに住んでいることは、一部の人間以外だれも知らないはずだ。そして、その一部に彼は含まれていなかった。なのに、なぜ彼は私の家にいるのだろうか。いや、そんなことよりも、仕事は?会社は?
 疑問は尽きないが、ここでは安心して話もできないので、ひとまず彼を部屋に入れることにした。「お邪魔しま〜す☆」と随分と明るい声が部屋に響いて、慌てて「壁が薄いから静かにね」と釘を刺す。両側の部屋は幸いなことにまだ埋まっていないが、彼の声はきっとこのマンションの薄い壁なぞ二つくらい飛び越えて届いてしまうだろう。

「それで、急にどうしたの、スバルくん」

 なにが珍しいのか、キョロキョロと忙しなく部屋を見渡すスバルくんの意識を逸らすように、本題を切り出すと、彼は考えるように腕を組んだ。

「んー、なんて言えばいいかな〜?あ!そうだ!この部屋ってテレビはある?」
「ごめん、ないんだ」
「え〜!じゃあ、ちょっと待ってて!」

 彼は部屋にテレビがない事実に驚いたそぶりを見せたが、すぐに気を取り直したように、ポケットからスマホを取り出すと、なんの躊躇いもなく画面を私の方へと向けた。
 それは、とあるネットニュースの記事で、そこにはTrickster、明星スバルの無期限のアイドル活動休止を告げる内容が記されていた。全文を読む前に、画面が暗くなる。スマホの電源を切った彼は、再びそれをポケットへと仕舞うと、なんてことないように笑った。

「そういうことだから、暫く匿ってほしいんだ、あっ、もちろんその間の生活費とかは俺がぜ〜んぶ払うから安心してね!」

 もはや、気になるのはそこではなかった。けれど、明るく笑うスバルくんを見ていると、今聞くのはなんとなく違う気がして、私はわざと本筋からズレた質問をすることにした。

「なんで、うちに来たの?」

 そんな私の疑問を覆い尽くすように、スバルくんは嬉しそうに目を細め、こう言った。

「会いたくなったから!」
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