家賃5万円の安アパートの六畳間。私の住むそこは、いつもしんとしていた。
物は少なく、唯一置いてあるのは生活に必要な最低限のものだけ。簡素なこの空間では、彼の存在はひどく浮いていた。
「スバルくん」
「なに〜?」
「この部屋、寝具が一組しかありません」
こんな部屋に住んでいるだけあって、来客が来ることなど想定していなかった。そのため、布団などの寝具は私が使っている一組しかない。今日は仕方がないとして、明日にでも彼の分の布団を買わなければ。……本当に、冬用の布団を考える余裕なんてどこにもないな。
「俺は全然気にしないよ?」
「気にする、気にしない以前の問題だよ」
私だって、彼との生活でなにか過ちが起きるなんてことは万が一もないと思っている。けれど、もうプロデューサーですら無くなってしまった私とアイドルのスバルくんでは、決定的に画するものがある。なのに、それのどこが問題なのかすらよく分かっていない様子のスバルくんを見て私は米神を抑えた。頭痛がする。プロデューサーだった頃も、彼のこういうところによく頭を悩ませていたことを思い出す。
「あれ、なまえもしかして体調悪い?」
「……大丈夫だよ。とりあえず、私は床で寝るから、布団はスバルくんが使って」
「ええ〜!それは絶対だめだよ!」
妥協案だったのだが、それでもスバルくんは折れなかった。それどころか、彼の中の何かを焚きつけてしまったようで、姿勢が少し前のめりになる。
「一緒に寝ようよ!この部屋すっごく寒いから、その方がいいよ!」
「それは隙間風で、慣れたらそんなに寒くは……」
季節は春の上旬、まだまだ肌寒くはあるが、冬に比べるとこれくらい大したことはない。でも、スバルくんがそう思うのなら、やはり慣れている私が床で寝るべきだと、そう言おうとした時、
「慣れちゃだめだよ」
それは、彼にしては珍しく諭すような声だった。同時に、叱られているようにも感じた。いつも少年のような無邪気さを宿していた瞳が、今は凪いだような色をしていて、驚く私を真剣な顔で見つめていた。だが、それはすぐに塗り替えられ、今度は子供っぽく頬を膨らませた。
「なまえが床で寝るなら、俺もそっちで寝る!」
「そ、それはだめ!」
「じゃあ一緒に寝よ!」
……結局、そこに戻ってくるのか。きっと彼はこれ以上は折れてくれないだろう。仕方なく私が頷くと、スバルくんはようやく納得したように笑った。
私が布団を敷こうとしたら、スバルくんが一緒にやろうと言って、二人でたった一組の布団を敷いた。私一人でやってもすぐ終わるその作業に、スバルくんは「ふたりだから早いね」と笑った。彼は、そういう考え方をする人だった。非効率的だと思ったことは内緒にして、私はそうだね、と頷いた。
相変わらず彼は、こちらが目を逸らしたくなるくらい真っ直ぐで、やっぱりこの部屋には馴染まないなと思った。
「なまえ」
よれたシーツを直していると、ふと名前を呼ばた。振り返ると、布団を掲げた彼と目があって、それにいやな予感がしたがもう遅かった。
「隙ありっ☆」
「わっ、」
波のように布団が押し寄せてきたかと思うと、そのまま呑み込まれる。真っ暗な視界の中で、子供のように楽しげに笑うスバルくんの声が聞こえてきた。
可愛げのある悪戯に、どう叱ろうかと考えてると、私を包んだ布団の上から、きゅっと抱きしめられる。
「楽しいね、なまえ」
その声が随分と穏やかだったから、すっかり毒気を抜かれてしまった。
優しく、簡単に振り解けるくらいの力で抱きしめる彼の表情が見えなくてよかったと、今だけは、なんとなくそう思ったのだ。
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