9.太刀な短刀
「大将、ちょっとこっち来い」
「え、…と、無理かなぁ?」
「………大将」
「う、ごめん!ごめん薬研!!」
不機嫌オーラ全開の薬研の顔に私の中の警報は鳴りっぱなしだった。
本日、大学の講義が終わってからここに来るまでは良かった。
いつも通り講義を受けて、友達とだべってやれあれわかんないよね、どうしよう、そんな平和な会話を繰り返していている時、確かに少し身体は熱かったけどそれだけだった。私の取り越し苦労だろうと、その場ではなんてことはないとさようならをしたのだ。
地下鉄乗り継いで、階段を駆け上がった先に熱っぽさから今度は頭痛がこんにちは。あらあら君はお呼びじゃないよ、と文字通り頭を抱えた私に、そんなことを言わないで、と頭痛はしがみついてきて更に頭を抱えてしまう。
それでも今日も今日とて私はバイトに行かなくてはいけない。
玄関先に靴をパパッと脱ぎ捨てて、一口お茶を飲んで準備完了、と本丸への扉を開けた。
此処までは、私の世界はたいそう平和だった。
「おい、大将」
へらりへらりといつも通り少しだけのやる気を見せながらの本丸運営をしていたら、怪訝そうな薬研が自室に入ってきた。どうしたの?といつものように小首を傾げて見せたら幼いながらその端正な顔が目の前に迫った。
「へ?」
コツンと額と額が合わさり薬研の切れ長で澄んだ瞳が私を射抜いた。途端にその至近距離に熱が急上昇。
勘弁してくれと身を引こうとしたら今度はひやりとした感触。
薬研の冷たく、付喪神のはずなのに血潮の通った掌が頬を撫ぜてぼうと目の前の光景が非現実のように見えた。あれ、今何をされているんだろう。
「大将、熱あるだろ」
「ねつ、てほどじゃないと思うけどなぁ」
「熱で馬鹿になっているのか、随分と熱いぞ」
「大将に馬鹿とはひどい言いようだね…」
「はぐらかすな」
むに、と頬をつねられて、いひゃい、と阿呆みたいな顔を見せてしまった。相変わらず薬研は眉を潜めて私を射抜いているものだからバツが悪くなって視線を逸らした。
はぁ、と溜息をついたと思えば薬研は、ちょっと待ってろ、と部屋を出て行った。待ってろ、なんて言われなくても此処は私の部屋なので逃げる気などないけれど、と至極当たり前の事を思いつつ指を滑らす。本日の遠征組の編成、畑仕事、手合わせ諸々の業務の割り振りのためにやたら怠い身体にエールを送りながら思案していた。
唸り転がりようやっと業務の割り振りを決めた時、丁度よく薬研が部屋に戻ってきた。
「あ、おかえ……り?」
戻ってきた薬研に視線を移してフリーズする。ゴロンと寝転がった私の視線の先は薬研の足元から上へと移り、ピタと留まったのは薬研の手に持たれた代物だった。
「……ねぇ、薬研」
「なんだ」
「それ、なに?」
「薬だ」
「うん?」
「薬だ」
薬。薬研の口から漏れたのは、細菌やウイルスに侵された人の身体を正常に戻す手助けをする物の総称の筈なのにどう見ても、
「その毒々しい色の物が薬?」
ポイズンです。劇薬注意と張り紙でも張っておきたい色を放つ代物をビーカーに入れ、薬研はたいそう和かに立っていた。
「色はアレだが効果は保証する、大将」
「はぁ」
「飲めば身体の怠さは格段に軽減するはずだ」
「そのまま魂も磨り減りそうなんですけど」
「というわけだ、大将、ほら」
ほら、じゃないんだ薬研。悪意があるのかないのかもはやそんな事はどうでもよかった。ジリ、と一歩踏み出した薬研に私は後ずさった。動物としての本能が告げている、あれは駄目だ。
ガンガンとなっている頭は、頭痛なのか警報なのか最早分からない。分からないけれど此処にいてはアレの餌食となる未来しか見えない。
そして冒頭に戻る。
ごめん、と叫び私は逃げ出そうとした。
逃げ出そうとしたんだ。
「させねぇよ?」
短刀は隠密行動が得意で初手が早いのが特徴とこんのすけ君が言っていた。狭い地域で彼らは大いに活躍すると、特に薬研は短刀の中でも戦慣れしているから重宝しろと。
逃げようとした私の足を払って上に乗った薬研を見てこんのすけ君の言葉の真実味がより色濃くなった。
「薬研落ち着いて、ね?ね?」
「落ち着くのは大将だな。逃げるなんて悲しいことするじゃねぇか」
「いや待って薬研、その色見て?それ薬じゃなくて毒だよ多分」
「見た目はアレだが効能は確かだ」
「い、いやだー!効能確かでも私の生が終わるよそれ!」
「つべこべ言うな大将」
膝あたりに乗られていては、幾ら薬研が小柄でも立ち上がることはできない。
ズイと身を乗り出してポイズンを差し出す薬研に、いやいや、と首を振った。
小一時間程度ならこの状況で乗り切ってやる。顔を背けて不満を露わにしてやれば、盛大なため息が薬研から漏れた。
「なァ、大将」
ごくり、と喉が鳴った音がした。驚いて薬研を見たら口端を拭った彼と目があう。
「別に毒でもなんでもないけどさ」
ニヤリ、その効果音が適切だ。トンと肩を押されて畳の上に仰向けにさせられると薬研を見上げる形になった。
「なんなら飲ませてやろうか?」
どんな方法で?と聞くのは駄目な気がする。なんのスイッチが入ったのか薬研はたいそう妖艶な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
あれ?この子短刀だよね?目の前にいるのは薬研の皮を被った青江じゃないよね?
「や、げん」
「別に俺はそれでもいいが、大将、どうする?」
「や、の、飲むから!飲むから退こう!ね?ね?」
本当か?、と目を細められたのでコクコク頷くと破顔一笑した彼はあっさりと私を起こしてくれた。
ただし、相変わらず逃げられないよう固定されたままだ。
ほら、大将と促されれば逃げることは叶わない。
恐る恐る貰ったビーカーに入るポイズ、薬をまじまじと眺める。薬研が口に含んだので死ぬことはないと腹を括った。
人間諦めが肝心です。
きつく目を瞑り一気に飲み干す。何の味かなんて考えるな考えるな考えるな不味っ!
「薬研…まずい」
「薬だからな」
「劇薬注意」
「失敬だな」
中々の味に顔をしかめ唸っていた私の頭に柔らかな掌がポンと置かれた。
「まぁ、これで寝とけば直ぐ回復するから、な?」
ーーよく頑張りました。
労いの言葉と細められた目はいつも弟分の短刀達にしているのだろうか。それを見た目上彼よりうんと年上の私にされるのは些か可笑しな……いや、
「なんだか薬研、世話焼きな弟みたい」
ヘラ、と思わず口に出た言葉。
けれど、この温かみに嫌な気はしない。
「………まったく、な」
ひとつ間を置いて薬研がぼそりと呟いた。下がった眉尻が何を示すのかは分からないけれど、薬の効果なのかなんだか眠い。
「薬研、ねむい」
「おう、寝とけ寝とけ」
上から退いた薬研は押入れから布団を引っ張り出してあれよと言う間にキチンと整えてくれた。流石お兄ちゃん。
フラフラとその中に吸い込まれるように包まった私の頭に再びあの温かな掌が乗せられる。
「ゆっくり寝とけよ」
「ん、なんなら薬研も一緒に寝る?」
「バーカ。俺は仕事があるんだよ」
「ふふ、分かってる…、よ…やげん」
あぁ、意識がふわふわする。
「ありがとうね」
刀にしては温かなその掌を握り返して、私の意識は沈んでいった。
「馬鹿だな、大将」