12.記憶と感情
本日の本丸は梅雨前線の影響で雨日和だ。
前言撤回、梅雨前線が本当に影響しているかは定かではない、何せ天気予報というものがない以上、何故雨になるのかなんててんで私には分からないのだ。
とは言え、紫陽花が見事に咲き乱れる6月なのだから梅雨前線の影響といっても間違いではないだろう。
桃色、薄紫、可愛らしい淡い色の花弁が露に濡れると艶やかさも醸し出す。可愛くて美しいなんて良いな、私も是非そうなりたいものだ。
「大将、ちょっと良いか」
しとしと降る雨。うねる髪をいじっていると、近侍である薬研が声を掛けてきた。うん?、と見遣れば誰だいその人は。
「あれ?新入りさん?」
「大将……昨晩、鍛刀してそのままにしてただろ」
「………あ。ごめん忘れてた」
そういえばそうだ。昨晩はサークルの飲み会があり、ほろ酔い状態で此処に来た。
仕事しなくていいから寝とけと薬研の忠告をヘラヘラ笑ってかわしながら、資材を投げ入れ鍛刀したんだった。
そのままお風呂に入って直ぐにすやすや眠りに落ちたから、この時のことは記憶の隅に追いやられていた。
パチンと両手を上にあげて謝罪のポーズを取れば薬研は大きく溜息をつく。その様子に、後ろにいた彼が急に膝をついてこうべを垂れた。
え、なにこれ何の状況?
「主が謝罪されるようなことなどでは御座いません!主命とあらば、俺は何刻でも待ち続けることができます!いつ何処でも主の命を忠実に果たすことこそ至上の幸福なのです、どうぞ主命を」
「待って待ってちょっと理解が追いつかない」
刀の名前すら分からないのに主命と来たものだ。理解が追いつかない私の制止に薬研が助け舟を出す。
「へし切、少し落ち着け。大将が混乱している」
「っ!、も、申し訳ありません主!」
今度は急に謝罪をし出した。何だろうこの忠義心に溢れた青年は。
「とりあえず、自己紹介を良いかな?」
全身全霊をかけて私を慕ってくるのが、どう見ても私より年が上の青年なのが違和感ばりばりなんだけれど取り敢えず対等な口調で話しかけてみる。
青年君は片膝をついてまたこうべを垂れた。
「へし切長谷部と申します。主に戦国の世で使われました。主命とあらば、雑用から人斬りまで何でもこなしますので、お申し付け下さい」
うん、最後不穏な一言が付け加えられたけどスルーで良いのかな?
「よろしくね、えっと…長谷部で良いかな?」
「主の呼び易いように呼んで頂ければ」
「うん、ならやっぱり長谷部かな。えっと、……長谷部は打刀なんだね」
指先を空に出せば、自然と浮かび上がった液晶画面。この世界の便利グッズだ。
刀剣のデータ表を指先でスライドしていくと、へし切長谷部の情報がズラっと出て来た。
打刀としては珍しいレアな刀剣、戦国時代に活躍した。名前の由来は……
「あ、織田信長なんだ」
茶坊主を棚ごと切ったことが名前の由来、だなんて物騒な。綴られているへし切長谷部の情報は何だか物々しくて、目の前のこの青年とのギャップがかなりある気がする。
「こんなに礼儀正しいのに物騒な名前だね」
へらりと笑みを浮かべて長谷部に視線を戻す。世間話程度の会話だったが、視線の先で何とも形容しがたい表情を拝めた。
「そういう男なんですよ、織田信長って奴は」
あ、これ地雷か。失敗した。
瞬時にその顔から読み取れたのは自分の失言だった。
長谷部の表情は笑みを貼り付けてはいるものの顔には影が落ちていて。歪められた口元から推測されるに、織田信長に対して正の感情だけを持っているわけではないようだった。
織田信長といえば、天下統一を為そうとして最後には家臣の裏切りにあった武将。圧倒的なカリスマ性があったと言われているけれど、反面、寺社の焼き討ち部下の手打ちなど散々な凶行にも手を染めてきた時世の人。
なるほど、想うところは多々ある、というのは何となくは理解できる。諦観したような笑みとそれを受け入れ難く思うような眉間の皺、複雑な胸中に何があるのか、何を思うのか。
そこまでは外見から判断できはするものの、それでも私が及び知ることができるのはほんの一部分だろう。
ならば、私にできるのは、
「じゃあ、これからは私の部下としてよろしくね長谷部」
ただ笑うこと、そして今の主として、彼らをサポートすることだけだ。
にこりとひと笑みしてやれば、破顔した長谷部は深々と頭を下げた。
「悪かったな、大将」
「ん?」
「へし切のこと」
長谷部を下がらせた後、薬研と一緒に縁側でお茶を味わっていると、ぽつりと薬研が呟いた。
何に対して謝られているのかよく分からない私は、うんん?、と首を捻る。
「長谷部がどうかした?」
「……いや、気にしていないなら良いが」
「織田信長のこと?」
思い当たるのはそこしかないのでストレートに問えば、薬研はこくりと頷く。
「へし切は信長さんが本能寺で命を落とす前に黒田家に譲り渡されている。想うところが色々あるんだと思う」
「譲り渡された、か……そうしたら、最後の時は一緒じゃなかったんだ」
そうか、と湯呑みへと視線を落とす。
最後の時、本能寺の変。明智光秀の裏切りにより齢五十で織田信長が落命した事件。
炎に包まれた武将は天下統一を目前に何を思ったのだろう、だなんて神妙に考えたこともある。教科書を見ながら歴史の先生が黒板に書く、織田信長という人間の生涯はものの数十分で説明が終わったけれど、当の本人はうん十年の時を生きていたわけで。どんなことを思っていたんだろう、とその数十分の説明を聞きながらぼうと考えたものだ。
けれど、そこにあった武器に想いを馳せることなんてしたことがなかった。武器に神が宿り意思があるだなんて考えもしなかったから。
かつての主の訃報だなんて、聞いたところでどうすることもできない刀という身。
ーーあぁ、そうか。
「寂しかったのかな、長谷部」
あの複雑な想いを抱えた顔はどことなくそうだ。嫌いたくないけれど嫌いになりたい、好きではないけれど嫌いにもなれない。曖昧で判然としない心持ちの顔だった。
言うなれば、侘しさ。怒りより悲しみの方が大きい、そんな感覚。
「どうだろうな。俺達は刀だから時代が変われば主も変わる。それは仕方のないことだ」
私の呟きに薬研は肩を竦めた。可愛らしい姿をしながら言うことはストイック。感傷になんて浸らないということか。
いやぁ、流石は我が近侍、と笑みを零して薬研を見る。
と、同時に、私のへらりとした笑みが霞んだ。
捉われた視線を離すことができすに、そのまま口角がピタリと固まる。
ーーなんだ、そんなわけない。
「………薬研は?」
とくんとひとつ高鳴った心臓。微かに震えた声音がやけに耳につく。
ん?、と小首を傾げた薬研に投げ掛けた。
「薬研は寂しかった?」
違わない。どの刀剣も違わない。
どの刀剣にも思い出があるのなら、どれだけストイックな受け答えをしていても私の目敏い両の目とそば立てる両耳は、その表情を認識してしまう。
「さァ、どうかな」
へらり、と私の笑いを真似たように薬研が苦笑する。
その姿に薬研に目を細めた。
薬研藤四郎、彼もまた織田信長の刀でありそして、
(敵わない)
彼と命運を共にした刀だった。