17.暗雲の気配

良い主、て何だろう。鶴丸の言葉を反芻しては頭をひねらせる。なんだかここ最近ずっと悩んでいる気がするけれど、それだけ色々なことに目を向ける余力があるということなんだろう。
審神者会議、恋仲となっていた刀剣とその主、鶴丸の言葉、薬研や長谷部の表情。そして、遡行軍の存在と、政府の刀剣達への認識。
平凡な毎日を生きる私は至って普通の人間だ。大学の講義に出て、友達と遊んで、テストに悩んでいる、凡庸な人間。

凡庸な私は、良い主なんだろうか。

(いや、いいも悪いもないんだけどさ)

ごろん、と畳の上を転がればい草の香りが鼻腔を抜ける。

審神者会議で出会った審神者達のように、常に本丸にいて編成のことや次の出陣先のことを考える主に比べて私は、審神者としては半人前どころか素人だ。こんのすけに日々手伝ってもらい、歴史の教科書片手に毎日悩んでいる。あの合戦場は強くない敵ばかりならしいからあの子達を、強い敵には第1部隊を、そんなテンプレ通りの差配しかできない。
海に揺蕩う海藻みたいに、ゆらゆらと芯のない人間だというのにどうして私に審神者に適した力があるんだろう。
何故、とか、どうして、とか考えても仕方のない問いはいつだって置いてけぼりにして来て、なんなら置いていったらそのまま其処に置き去りにして来た。さようなら都合の悪いこと、こんにちは楽しい日々。
そんな私がこんなに色々な感情に揉まれているんだから、人間考えなしに動き続けられるわけないんだなぁ、とか思ったり。

「……やめたやめた」

無為に思考が霧散して、面倒臭くなってまたゴロンと転がる。

何を心配して、考えたところで私のやることは変わらない。凡庸な私は凡庸なりの非凡に対処するのに手一杯だ。能ある鷹でもないので、爪だって隠さない。私は、

「ただの学生なんだから」

難しいことには蓋をしよう。
目を細めて夜のしじまに耳を澄ませれば、そのままスゥと意識が遠のく。

縁側に落ちる月明かりが瞼越しにやけに目に付いた。



ーーー



手を伸ばせば届く距離にいた。
今なら、手を伸ばせばその未来を変えることができた。
夢見た明日を、生きる命を、摘み取られることなく繋げることができた。

どうして、どうして、どうして。

考えてもまとまらない思考に苛立ち、焦燥は刃に乗って敵を穿つ。邪魔だと、湧き上がる激情に身を任せて己自身を振るった。
舞った鮮血を月光が地を照らした。仄暗い闇と対比したそれはひどく美しかった。

焦がれた彼に、届かぬ願い。
届かぬ願いは、何故、どうして。


「どうしてなのですか」


蠢く闇が、ぎらりと明滅した。



ーーー



「……嘘」

ぽつりと吐露された言葉に返ってきたのは無機質な現実だった。

「誠です」

無感情な声が響いた。



「昨日、ひとつの本丸が堕ちました」




審神者会議から日が経っていないというのに、そこで得た、本丸が消滅することがある、という無慈悲な現実がこうも簡単にやってくるなんて思ってなかった。
合戦場のデータをぼんやりと眺めていた平凡な私の日常に放り込まれた血生臭い現実は、鼻が曲がるほど強烈で、止まってしまった時を進ませるように、真っ先に気になったことを聞いた。

「……その本丸の審神者は?」

震えている小娘に、狐は何も思わないんだと思う。やっぱり、返ってくる声に色はない。


「遺体で発見されました」


嗚呼、わかっちゃいたんだけれど予想以上に心臓にどしりと重いものがのしかかった。
死がそこにあった。

「……そっか」

怖がるべきか、泣くべきか、狼狽して逃げ出すべきか、何だかよく分からない。いや、逃げ出すことはしない、仮にも私はみんなの大将だ。
ただ、こうもあっさりと現実が私の認識に追いついて、先の未来を問いかけてくる。どう思った、ならどうしたい?、といつも問いかけてくる。
ひとつ片付けたら次の課題、また次の課題、とキリのない思考の連鎖。
でも、これは少し荷が重い課題だ。


「審神者様が心を痛めるようなことではありません」


けれど、どしりとのしかかる重苦しい現実をこんのすけは一蹴した。
唐突なことにフリーズした思考を解凍してかみ砕く。え、今なんて言った?

「何言ってるの?」

凝視した私の瞳に映るこんのすけの表情は変わらない。能面のように変化のない相貌に薄ら寒さを覚えた。
肌寒さを感じるはずのない季節に、鳥肌が立った。

「かの審神者の死はその者の責です。刀剣達と深い関係を築いた故に、彼女はその情を一身に受け、そして破滅した」

淡々と死の経緯を説明するこんのすけの言葉は冷たくて。でも、待って。刀剣達と深い関係を築いてた?

「え、待ってどういうこと?」
「何がでしょう」
「審神者さんは遡行軍にやられたんじゃないの?」

思い出されるあの黒い靄と迫る敵。
私自身、目の前まであの脅威が迫ってきた感触は記憶に新しいから、てっきりあそこで敵を食い止め切れずに堕とされてしまったと思っていた。
怪訝な顔の私にこんのすけはぴくりとも反応せず答える。

「審神者様、前にも申し上げました。刀剣達との接し方は貴方が考えることであっても、深入りは不要です。替えが効くものとそうでないものの分別がつかなかった故にかの本丸は堕ちました」
「……どういう意味なの、それ」
「詳しくは申し上げられません。ただ私が言えることはこれだけです」

機密事項なのか、言葉を濁すこんのすけは珍しかった。

遡行軍に堕とされてはいない、ということは審神者をやることができる相手は限られてくる。
必然的に人型となった彼らということになるけれど、その理由は分からない。ただ、不仲ではなかったその事実だけしか分からない。

こんのすけをじっと見つめても返ってくるのは無言だけで、過ぎる時間に溜息が出てしまった。

「こんのすけは、刀剣達が嫌いなの?」

口にした疑問は、以前から感じていたこの子の彼らへの態度からだった。
刀剣達のことを話す時の口振りは、可もなく不可もなく。ただ、物としての使い道がある、その価値しか置いていない気がしていた。
刀剣は代わりがいる、審神者は代わりがいない。
しきりにそのことを話すこんのすけは政府の代弁者なのかもしれないけれど、こんのすけ個人としても何処か彼らとの間に厚い壁があるような気がした。

ぼつりと漏らした疑問にこんのすけは矢張り淡々としか答えない。

「好き嫌いではないのです」

それでも、その言葉に嘘偽りはきっとない。

「深く知るということは、それだけ多くの責任が伴うものです」
「…………責任」
「……審神者様が、彼らと過度な付き合いを望まれないことをお祈り申し上げます」

話はここまで。そう言わんばかりにこんのすけはくるりと踵を返した。待って、話はまだ、と声をかけようとした私に被せるように一言。


「駒は、駒であるからこそ幸せなのです」


淡白じゃない。どこか真のこもった声。そしてーー


(どうして)


ぴたりと止まってしまった私は言葉を飲み込んだ。その私に構うことなくこんのすけは去っていった。

誰もいなくなった室内でこんのすけの言葉を反芻する。去り際の声音が耳に響いた。


「分からないよ…」


どうして、そんな


「寂しい声なの……?」


去り際の狐のあと姿には、悲哀の色があった。