19.真実、現実
思えば兆候はあった。
部隊編成の際、なんの気もなく向かわせた今剣のいる第2部隊の合戦場は丁度あの時代だった。
厚樫山へと向かった部隊は滞りなく任を終えて帰って来た。おかえり、とかけた言葉にもちゃんと返事をしてくれていた。
それでも、僅かな綻びに気づけていなかった。
『手の届くところにおられてもぼくには何もできなかった』
きっとあの子は、変えたかったんだ。顕現した今なら変えられる元の主の未来を掴みたかった。
それでも、
『歴史を変えては何故いけないの』
「……ごめんなさい…っ」
使命と願いの狭間で揺れた想いを砕いてしまったのは、私だった。保っていた理性を決壊させたのは私だ。
なんとはなしに過ごして、考えることを放棄して、ただ今だけを保てれば良いと、ただ流されるまま生きれば良いと。
請け負った責務を果たすことを放棄した結果だと、折れた刀は物語っていた。
「ごめんなさい、ごめ…なさっ、い」
泣いたって何も変わらない。泣く前にできることがあった。
私の今を保つために逃げた現実。その現実を少しでも見ていれば、踏み込んでいれば変わったかもしれない。可能性の話でも良かった。不確定な未来でも、放棄してはその未来すら描けないというのに。
『あるじさま、教えてください』
記憶の中のあの子が問う。
『歴史を変えては、何故いけないの』
ーーー
「あるじの様子は?」
自室に戻ろうとした薬研に声を掛けたのは蛍丸だった。近侍の薬研に審神者の様子を聞こうとしたらしいが、薬研は首を振る。
「一人にしてくれと、その一点張りだ」
「………無理ないよね。目の前で今剣がああなっちゃったんだもの」
瞳を伏せた蛍丸の声は低く暗い。
ああなった、とはつまり、
「………まさか、堕ちるとは思ってはいなかった」
時間遡行軍。目の前で、己が刀が変貌する姿を主はどう見たのだろうか。狼狽、恐怖、絶望、凡ゆる負の感情が入り乱れたことだろう。つい先日まで、自分の元で屈託のない笑みを見せていた大切な一振りが目の前で堕ち、そして斬殺された現実に人の身の彼女が耐えられるはずもない。
ましてや、彼女は正規の審神者ではないのだ。
「あるじは普通の女の子なんだよ。僕達が顕現された時代みたいに、遡行軍が脅威となる時代じゃない、平和な時代の子。あの血生臭い場所が分からなくて当然なのに」
こんなのってないよ、と蛍丸が吐露したのは遣る瀬無さだった。同じ想いを抱えた薬研が同意するように深く頷く。
分からなくて当然、というのはその通りだ。正規の審神者、即ち自分達が顕現する技術が発達していない時代の審神者には、そもそも然るべき情報が開示されていない。
正確に言えば、禁止されていたのだ。
あの日、あの時、今剣が遡行軍に堕ちた夜。
ひとしきり泣いた彼女はすぐさまこんのすけを呼びつけた。
「今剣が折れました」
震える声でそう伝えた彼女は真っ直ぐにこんのすけを見据えていた。
「そうですか」
こんのすけは、わけもないと言わんばかりにさらりとその言葉を流した。
その態度に張り詰めていた空気がプツリと切れた。
「何が、そうですかなの」
震える肩は恐怖からではない、それは怒りだった。湧き上がるそれに彼女は蓋をしながら、しかし語気に含ませる。
「あれは、なんなの。なんで今剣が、あんな……だって、あれは!あの姿はっ、」
「時間遡行軍、ですね」
「……知っていたんでしょう?」
「ええ」
「っ、どうしてっ!」
弾かれたように立ち上がった彼女を、薬研が制止させる。憤りを隠せない彼女は薬研に鋭い視線を向けたが、首を振った薬研に視線を逸らし、元の位置に座した。
「教えてよ、なんなのあれは」
拳を握り締めた彼女の心情は計り知れない。昨日の今日でのこのこんのすけの態度は彼女の心労に拍車をかけているが、当の狐は淡々と説明するだけだった。
「歴史を変えようとする彼らもまた刀、刀ということは即ち彼らも元は付喪神、そう…」
傍に仕える薬研に視線を一瞬置いてこんのすけは事実を突きつけた。
「あれは、堕ちた刀の成れの果てです」
こんのすけの言葉に名前の顔が曇った。
語られた真実はあまりも彼女には大き過ぎて、それでも予想はできていたことだった。
今剣の変貌、己の手をすり抜けて哀しみに呑まれたその姿に重ねた無数の遡行軍。彼らの一人一人、その靄に覆われた素顔は果たしてどうなっているのか。
しかし、それに考えを巡らせていたとしても彼女にはどうしようもないことだった。
「時間遡行軍とは、歴史を修正しようとする勢力ということは説明致しました。しかし、そもそも彼らが何なのか。私は貴方にそれを説明していませんでした。それは、政府からの厳命だったためです」
「政府からの…?」
「別の時代の審神者、即ち私達の時代ではない審神者の貴方にはいくつかの制約があります。知るべきこと知らなくても良いことを明確に分け、伝えるべきでないことには口を噤む。それを遵守することを求められました」
「…どうして」
「生きる時代が違うということは様々な弊害があるからです」
生きる時代が違うということは、物事に対する価値観も違って来る。物の価値だけではなく命の価値さえも変わってしまう。
2205年、彼女の生きる時代から200年の時が経った時代では時間遡行軍による歴史への介入とそれに伴う戦いは当たり前のように認知されていた。
「常に死と隣り合わせの現実を知りながら、審神者は遡行軍と対峙しています。刀剣の破壊、裏切り、或いは友の死まで、多くの命が散ることを許容できるだけの精神が育っている。そんな人間と微睡みに生きる貴方は同じではない」
明確な線引き、未来の審神者と彼女は同じ審神者ではないため接触は禁じられた。
できるだけこの戦いを、ゲームのような感覚で進めていくための布石だった。
「出来うるだけ、貴方には現実を見せないようにしていました。ただ画面越しに見えるデータを見ながら駒を進める、それだけで良い、それ以外は必要としなくても良いと」
「……それでも」
震える声音で名前はこんのすけに叫んだ。
「知っていたら、変えられたかもしれない!遡行軍になる前に手を打つことだって、」
「無駄です」
ピシャリと冷や水を浴びせるように、こんのすけは遮った。
「いくら心を込めて育てたところでままならない現実はあります。事実、主人を慕い過ぎて我が物にせんと刃を振るった事例もあるのです。何をどうすれば、ではなく、刀剣男士とはそのような存在なのです」
心を救おうとしたところで、一度救えたとしても次はどうなるかわからない。
物であり人である彼らの限界でもあった。
堕ちるか堕ちないかが分からない中で、審神者を管理する政府は対策をとった。
「審神者が刀剣男士を刀に戻すことができるのは己が身を守るため。己が身を守る事態というのは即ち、そういうことなのです。審神者様…」
一呼吸置き、こんのすけは最後に彼女に言い放った。
「刀に思い入れをしてなんとしますか」
「こんのすけの言おうとしていることも分からなくはないがな…」
ぼそりと低く呟いた薬研に蛍丸が小さく頷く。
「大切に扱ってくれて嬉しいんだ。それでも、刀と人の境界線が曖昧になるといずれ関係は拗れていくから」
絡まった糸は解き方が分からなくなる。どこまでも纏わり付いて、結局それを断つのはひとつの刃だ。
薬研は己の主に想いを馳せた。
審神者という立場に翻弄されながらも本丸を回していた彼女に、刃を止める決断は出来なかった。
しかし結果、別の刃によって止められた。
「大将……」
ごめん、と後悔を吐いても現実は変わらない。