まあるい、ここ最近では一番丸い逸品だ。
千歳はその丸さに足早に歩いていた両脚をぴたりと止めた。かさりと籠の中の他の品々が擦れる。朝市で獲れた新鮮な野菜達、茄子、茸、胡瓜。丁度帰り道には鮮魚店と精肉店があるので、さて今日はどちらにしようかと思案しながらの道すがら。
それは大層まあるくて、大きさも一等品だった。瑞々しさも申し分なく、思わず目を引く鮮やかさは女性ならば正に高嶺の花。ほうら見なさい、どう?あたしは。
千歳の目の前にあるそれは、そう言わんばかりの美しさを放ち千歳をじっと見上げている……ような気がした。あくまで、そのような気がするだけで本当にそれが語り掛けているわけではないが、少なくとも真夏の照り付ける太陽は、千歳から正常な思考を奪っていたため、千歳はじっとその声に耳を傾ける。
うん、すん、と声に出さずに喉を唸らせ、しかし、答えなんて出ているでしょう?、とそれは陽の光を燦々と浴びて千歳に己が魅力をアピールしてきた。
きらりと雫は光り、同時に眼を光らせたのは、仏頂面で千歳を見上げていた店主。その視線は、千歳が脇に置いた籠に移り、そしてそれから視線を外した千歳とバチリッ、と合ったのだ。
「…………まけとくよ。」
「………はい。」
負けたのはこちらではないか、と嘆息した千歳に水を浴びたそれはカラリと笑った、ような気がした。
「で、見染めたそれを運ぶのに苦慮していたら、偶々通りがかった福本がそれを持ち、二人を見かけた波多野が残りの荷物も持って帰ってきたと。」
「まぁ、そういうことですね。」
「馬鹿なんですか。」
「馬鹿…ですか。」
「馬鹿でしょう。福本や波多野がいなかったらそれをどうやって持って帰るつもりだったんですか?幾ら貴女が世間の女性より多少頑丈でも、見るからに一級品のそれを持ちながら夕餉の食材も持って帰るなんて、足りない頭を少し捻ればわかるでしょう」
「まぁ、そうなんですけど…ね」
腕組をしながらくどくどと説教を垂れ、片眉を吊り上げる彼、三好に千歳は苦笑しながらちらりと、それに視線を走らせる。あら、あたしのせいじゃないわよ?、だなんて、分かっていると肩を落とせば、彼の眉間に更に皺が寄った。
しまった、と表情を取り繕うにも、此処の訓練生にはそのような仮面は通用せず、再び三好が口を開く。
「ちゃんと分かっていますか?」
「いや、分かっています。その、分かってはいますが…」
「が、じゃない。大体貴女は、」
「三好、その辺にしとけば?」
伸びやかな声が二人の間に入った。
隠そうともしない苛立ちを、千歳から声の主に三好が向ける。
「甘利、今僕は彼女と話しているんだが。」
「話すというよりただの説教の垂れ流しだろ。千歳ちゃんも参っちゃうって。」
なあ?と片目を瞑って笑みを向ける甘利に、千歳は、はぁ、と無理に口の端を吊り上げる。助け舟を出してもらっておいて申し訳がないが、今の三好には逆効果では、との思いが頭を掠めたためだ。
その予感は的中したのか、三好は甘利に食って掛かった。
「説教を食らうようなことをしたのは、この考えなしのお嬢さんだろう。」
「考えなし…。」
「でも、千歳ちゃんも俺らの為に買ってくれたんだし、ありがたく頂けばいいんじゃないの?三好はお堅いんだよねぇ。」
「皆さんのため…とはちょっと違うような。」
「ハッ、僕らの為という免罪符があれば行き当たりばったりの行動が正当化されるとでも?此処に身を置く一員としてあってはならないとわからないのか。これだから女に甘い奴は。」
行動の正当性などそもそもこちらも、誰も求めてはいないのだが、何故かその論議に熱を上げている甘利と三好を尻目に千歳は再度それに視線を向けた。
ちょっと、あたしを差し置いて何しているのいい加減にして、きちんと食べてよ。
そんな憤慨が聞こえてきそうなほど彼女を放置してしまっているため、背後で聞こえる不毛なやり取りに見切りをつけて一歩踏み出す。
しかし瞬間、鋭い三好の視線が千歳の背中に突き刺さった。
「千歳さん。」
「……はい。」
ぎぎぎ、という音がぴったりだ。振り向くことを拒否する首を歪んだ笑みと共に方向転換する。視線の先には、尚、不服そうな三好。
嗚呼、もうどうだっていいと言いたい。
「三好。」
頭を抱えそうになった千歳に手を差し伸べたのは、重い瞼が特徴的な彼だった。
方向転換の最中だった首をぐるんと、彼、福本へと戻せば、手にした彼の代物が鈍く光る。
「そろそろ切ってもいいか。」
福本の眼下にあるまあるいそれ、彼女は、待ちわびた瞬間が来たと歓喜の歌を歌いそうだった。まったく、遅いのよこの愚図共、と己の真上にある鈍色に恍惚な眼差しが向けられているように見える。
好機だと言わんばかりに、機関の炊事場を担っているといっても過言ではない福本の一言に言葉を詰まらせた三好を追い込む声が、部屋のあちらこちらから上がった。
「俺も早く食べたいんだけど。」
「右に同じだ。」
「此処までそれが来た過程はどうだっていいだろう。」
「寧ろ、か弱いお嬢さんが運ぼうとしてくれたとか、喜ばしいことじゃん。」
「神永の言葉に同意はしかねますが、この暑さですからそれの水分は非常に早く欲しいです。」
実井辛辣、とテーブルに突っ伏した神永に、暑苦しい、と眉を顰める実井。他愛のないやり取りに、千歳は苦笑いを浮かべて、他の面々を見た。
確かに、今日はとりわけ暑いのだ。油蝉がけたたましく鳴き続けて雌を呼ぶ。途切れることのないその求愛の歌はこの暑さを助長させている。如何に極寒の冬の海を泳ぎ、しかしそれを何てことはないと強烈な自負心で笑い飛ばす訓練生の彼らと言えど、寒いものは寒いように、暑いものも暑いのだ。
要するに皆、涼を求めている。
「福本、早くしてくれ。」
共に荷物を運んだ波多野が、木椅子に背を預けて、覇気のない声で福本に懇願する。うんうん、と頷く面々に彼もひとつ首を降った。
腕組をして、尚不満げな三好に誰も構わず、ざくりざくりと彼女は手を入れられていった。
「美味い!」
「あれだけ大きかったのに、甘みは最高だな。」
「女の子に例えるなら、駅前のカフェーの櫻子ちゃんくらいか?」
「あ、あの子この前甘利に持ち帰られたぞ。」
「ハァ?!おま、甘利!」
「他の子にうつつを抜かした神永の責任だって。」
「……黙って食べられないのか。」
各々好き勝手に感想を述べながら、しかし手に持つ極上の品に舌鼓を打つ。
その様子の尻目に、千歳もしゃくりとその先端を口に含んだ。
「……美味しい。」
当然でしょう?手元から聞こえるハイソな声に、零れたのは純粋な笑みだ。自分の目は間違っていなかったと妙に誇らしい気分さえ湧き上がる。
赤くよく熟れた実、瑞々しいのは外側だけでなく内側もだったらしい。一口含むたびに広がる甘みと水分は、茹だる様な夏の暑さに清涼を与える。
9人で食べるだけでも十二分の量だが、ひとつまたひとつと男たちは手を伸ばしていた。
(……一応、取っておこう。)
千歳は底の丸い皿をひとつ棚から取り出した。切り分けられたものから、食べやすくしかし少々大きなサイズを手に取り皿へと移す。
9人が10人になったところで大差はない。
「甲斐甲斐しいことですね。」
小馬鹿にしたような声音に千歳が顔を上げれば、端正な顔立ちに似合わず、シャツを腕まくりし、一切れのそれを持ちながら、しゃくしゃくとあっという間に平らげていく三好を拝めた。
何だ、食べているではないか、と思わず笑いが噴き出した千歳が気に入らなかったのか、三好は食べ終わったそれを流しに置くと、更に一切れを乱雑につかみ取り、大口を開けてかぶりついた。
「お裾分けくらいは、一応しておいた方がいいかと思ったので。」
美味しいものは、美味しい、仕方がない。夏を代表する逸品の更に最上級品だ。口に合わないことはないだろう。
魔王の食事が、若者の生き血などでなければ、の話だが。
ふん、と鼻を鳴らした三好が、口を開ける。しかし、かぶりつこうとした状態で彼はしばし止まり、実は喉を通ることなく、その口は閉ざされる。
奇妙なその動作に小首を傾げた千歳にほんの一瞬だけ視線が走らされた。
「まぁ、その。」
直ぐに逸らされた視線は宙を泳ぐ。
「……美味しいんじゃないんですか。」
「そうですね、季節ものですから。」
「えぇ、それはそうですが…」
「それでも、矢張り形も良かったですし、お値段は少し張りましたが、妥当な金額でした。」
買って損はなかった、と顔を綻ばせた千歳と三好の視線が絡まった。下げた目尻が、彼の口を緩くしたらしい。
「千歳さん」
ふと、笑みが零れる。
「ご馳走様です。」
刹那、見えた表層に千歳は目を瞠った。その一瞬に、言葉が失われしかしそれもまた一瞬だった。
そして彼女もまた、一瞬だけ『見せた』
「はい、どういたしまして。」
ーー妬けちゃうわね。
赤く熟れた彼女が笑った気がした。
――――――――――
其処に在る日常
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