夜桜見物と洒落込もう、と神永が訓練生全員に声を掛け終わったのが夕刻にかかる頃合いだった。福本が握り飯を用意している間に、甘利が貰い物だと皆に見せたのは吟醸酒。
桜見物なのか花より団子なのか定かではなかったが、それは瑣末な問題だったようだ。
(……楽しそうなこと)
年相応の様で、桃色がひしめく土手沿いに腰を据えた訓練生達は思い思いの時を過ごしていた。
四月も半ばの今、遅咲きの桜達は満開を迎えている。ぼんぼりが薄く淡い光を放ち、雲ひとつない空にかかる月も輝きを地に落としていて、それはたいそう桃色を艶やかに彩っていた。
幻想的な空間に踏み入り、その麗しさに驚嘆し持ち得る言葉を紡ぐことも綴ることもままならない、それほどこんにちの桜は美しかった。
ふと千歳は訓練生たちに目を向けた。
神永と甘利、田崎は一杯交わしながら桜を見つめ、時に通りがかりのモガに目移りしながら談笑している。福本の料理を頬張っているのは波多野と実井。小田切が1人ぼう、としているところには福本が寄って行った。
化け物、と陸軍中尉が称した彼らでさえ、この桜の優麗さを前にただこの場を楽しんでいる。
人の営みの音の中に木々の騒めきが僅かに聞こえた。
「立ったままで何をしているんですか」
呆れた声が掛かり、千歳は声の主を見遣った。お気に入りのワインレッドのスーツを身に纏った彼、三好は、腰に手を当てて呆れた様子で千歳を見ていた。
背後の桜の美しさに負けず劣らずの彼の美貌に千歳はくすりと笑う。
「皆さんが花見を楽しんでいらっしゃるので、少し観察したくなったんです」
「それは随分と無意味なことをされますね」
意味がわからない、と言いたげに大仰に肩を竦めた三好は千歳の隣に立つと嫋やかに咲く桜達に視線を移した。
端麗な相貌だ。男にしては赤すぎる唇、パッチリとした瞳と白く陶器のような肌、女性に見劣りしない艶やかさが彼にはあった。
夜桜の淡い桃と、ぼんぼりの薄い橙が入り混じり彼の横顔を照らす。ぼう、と幻想世界に佇む三好は息を呑むほど美しく、しかし…ーー。
ふと、千歳は視線を落とした。
「……嫌いなんですか」
「え」
「桜、嫌いなんですか」
伏せた瞼を上げれば三好と視線が絡まる。
端整なその顔には何の色も見えない。純粋な疑問として聞いたのだろう。
ふわりと風が吹く。花明かりを放つ木々が騒めき、花弁が舞った。ひらりひらりと、数枚が2人の間を舞い落ちる。
そのうちの1つが舞い散る中で、彼の元へと辿り着いた。
「嫌いではありません。けれど、寂しいんです」
「寂しい、ですか?」
「えぇ」
佗しげに微笑を浮かべ、千歳はそっと三好の柔らかな髪に手を添えた。ひとつ落ちた花弁を拾い、掌で遊ばせる。
「短い命で直ぐに散ってしまう。だからこそ美しくても、やっぱり早すぎるのは寂しいです」
零れる桜を手に乗せ、地に落とす。
年月をかけて咲き誇り、土手沿いでは花の雲になる桜達の命は短い。
「三好さんは桜に映えますね」
一瞬の輝きに生をかける桜の美しさが、彼と重なった。美しく、そして儚い生命の輝きがあまりにも似通っていて視線を通わすのが堪らなくなった、など馬鹿馬鹿しいと彼なら笑うだろう。
桜に映える色男が、桜に連れていかれそうだ、と。
(馬鹿みたい)
戯言だと千歳は苦笑する。
自分はロマンチストでは無いのだ。 桜はただ其処に在り、己の生を生きているだけで、彼もまた彼の生を生きている。
関連づけられることなど何ひとつないというのに、情緒的になっている心の内がなんとも人であることに千歳は眉尻を下げた。
「貴女は時折、妙に感情的になる」
スッ、と三好の手が千歳に伸びた。頂部に触れたと思えば、次に見えたのは、彼の掌に落ちた桜の花で。髪にかかっていたのかと、千歳は眼を瞬かせる。
「僕は、直ぐに散るなんて真似はしませんから」
三好は、さも当たり前のように宣った。
それは確かに彼にとって至極当然の事柄だった。舌に乗せて確認するまでもない。
死ぬな、殺すな、とらわれるな。何者にもとらわれることのない彼らは、決して己の生を刹那的に終わらせることなどしない。
例え彼らの行く先が真っ黒な孤独で暗闇の中の綱渡りの人生であっても、死、にすらとらわれることなく彼らは進み続ける。
散る、なんて華々しい最後を迎えるよりも、己の矜持を以ってしぶとく生きる。
それが、彼らなのだ。
桜と共に散りゆく運命など認めない。
化け物はどこまでも貪欲に生を貪り続ける。
確信を持った三好の言葉に千歳は安堵した。
「だから、千歳さん」
淡白な表層に、暖かな色を乗せて三好は紡いだ。
「そんな辛気臭い顔をしないでもらえますか」
目尻を下げた柔い笑みが千歳を捉える。
常なら大仰に肩を竦めるか、小馬鹿にしたように鼻を鳴らすかの選択を選ぶ彼が見せた、ひどく人間味のある顔に、千歳は図らずも眼を奪われた。
自負心の塊、化け物、ひとでなし、外からの、訓練生にとっては意味のない評価の中では彼もそう位置付けられる。
合理性を突き詰め、自らにとっての最適解を導き出し生きることに至上の幸福を見出す、正にろくでなし。
(それでも)
嘘か真か、その三好の柔らかな相貌を千歳は好ましく感じた。
三好の言葉に答えるように、千歳も吊られて口元を緩める。
行きましょう、と三好が訓練生達の元へ一歩踏み出した刹那、わっ、と声が聞こえたかと思えば、一陣の風が通りを抜けた。
さざめいていた程度の桜達が大きく揺れ動く。同時に、無数の花弁が視界を埋め尽くした。
「明日は花冷えしそうですね」
しんとした寒さを含んだ風に、三好は千歳に苦笑する。
その相貌はやはり色を帯びていて。
しかし振り返った彼は桜吹雪によく映えた。
ーーー
零れ桜
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