柔和な顔つきでサディスティック。腹の中で蠢くのは、如何に相手を出し抜き欺くかという野心だけ。
人生というゲームにおいて、他人は只の道具であり駒である。情が移るなどあり得ない。否、あってはならない。
他人も世界も虚構だ。もたれ掛かってしまえば最後、砂上の楼閣はサラサラと崩れ、砂地残るのは空虚な現実だけとなる。

世界は、実井にとってその程度のものだった。

(また、か)

実井はよく夢を見る。
暗闇の中でひとり佇み、ただ時の流れに身を任せる。虚空の中には何もなく何も聞こえない。決して光は落ちず、静寂が支配する。
それは正に、夢ではなく現実だった。

(僕に見えている、世界)

それは虚構、すべてが作り物で紛い物である、なにひとつ本物がない世界。
実のない物には色もなく、光も届かず、その声は実井の耳には届かない。
実井に見える世界はモノクロに支配された、決して色付かない世界だった。

夢も現実も、境界線などない。
常に実井は泡沫の世界で灰色を眺めている。

(現実も、夢も、全て色なんていらない)

その必要はないのだ。
実井が生を受けて、歩んで来た道もまたモノクロだった。世界の全てが等しく下らなかった。
できないことはない、その能力も技量も兼ね備えた己という存在だけがあれば、外界の価値など無に等しい。
既存の価値観、文化、風習。世を構成する凡ゆるものが実井にとって取るに足らない俗物であった。

しかし、俗物に溢れた世界でただひとつ。

(認めたくはないが)

一筋、光が落ちた。




「起きられましたか」

眼前に映った表層に実井は顔を歪めた。
常なら笑みを貼り付け、柔和に振る舞う実井がこのようにぞんざいな態度を取るのは珍しい。
しかし、その不遜な態度に彼女は何事もなかったかのように振る舞う。

「この教室を使うのはいいですが、もうすぐ夕餉の時間ですよ」

茜色が差し込む窓際の棚に、彼女は、千歳は脇に抱えた瓶を並べていく。
薬品庫である寂れた教室は、訓練生である実井達以上に世話係の彼女が立ち寄ることが多い。夢現の時を過ごしていた実井が見つかるのも無理はない話だった。

実井は、ミチリと鈍い音を立てるソファから立ち上がった。彼女を見遣れば、実井には目もくれず薬品入りの瓶を丁寧に陳列している。
横顔は夕陽に照らされ、艶やかな髪が茜に映えた。
室内全体に灯る色が実井の視界にはひどく毒々しい。

徐に、実井の足が前へと動く。一歩、二歩と歩んだ先にいた彼女はちょうど瓶を陳列し終えたところだった。
真横に立った実井に視線が向けられる前に、実井はそのか細い手首を掴むと、窓際へと身体を押し付けた。
茜色が差し込む室内で、唯一光の届かない場所。茜と薄闇のコントラストが美しく、闇に隠れた彼女はモノクロだった。

(嗚呼、落ち着く)

実井は胸を撫で下ろした。

「……実井さんは……」

その刹那、彼女が紡いだ言葉に実井は息を詰まらせた。


「存外感情豊かですよね」


見上げた瞳が映しているのは紛れもなく己だ。真に迫る双眼が、実井を捉えて深淵を見つめてくる。
此処にいる実井を、その本物を暴かんとする、実井にはそう見えてならなかった。

何を馬鹿なことを、と紡げば良い言葉を実井は発することができず、代わりに不満を露わにして千歳の手首を捻りあげる。
常人なら痛みに眉を潜め、顔を歪ませる程の強さは、彼女にとっては意味をなさない。

「時々思うんです。貴方の狡猾さも、冷淡さも、自己防衛に過ぎないんじゃないかと」

心臓の音がやけに響く。
発せられる一言一言が実井の心の臓に打ち込まれていく。

「実井さん、貴方は」

見据えた瞳は、ひどく真っ直ぐで、外すことなど敵わない。


「ままならない現実を直視しないために、予防線を張っているように見えるんです」


茜が届かない筈の空間で、激しく燃える色が彼女の中に見て取れた。



モノクロの世界に於いて、重要なのは己の価値だけだ。己という唯一無二の存在こそ救いであり、それを構成するのも己だけ。
自分自身こそ世界でただひとつの認識できる、色のついた存在。虚構の世界は価値のない空虚な存在に満ち溢れている。

母子の愛情など幻だ、それは無条件に付与されない。
友との友情は吹けば風に吹かれ消えていく。どこにも信頼などありはしない。
語られる美しい物語は欺瞞に溢れている。全て、群れることしかできない人間をコントロールするための御伽噺に過ぎない。

実井は知っていた。
愛情、友情、信頼、尊ばれるとされる感情すべてが、状況ひとつで消え去り、真逆の感情になることを。
憎悪に満ち、裏切りを重ね、妬みと嫉みに支配される人間という生き物。その生き物の住まう世界はすべて虚構でありモノクロだ。

虚構の世界の凡ゆる感情は、己に影響することは、決してない。



「……戯言ですね」

吐き捨てたのは言葉か、思いか。
実井は己を見据える双眼に口元を歪めた。三日月に曲げた瞳に闇を浮かべる。

「誰に対しても、何に対しても、僕は何も思わない」
「実井さん」
「だから」

千歳が開いた口を実井は塞いだ。


(忌々しい色を見せるな)


ただ、ひたすら実井は口付けた。

己より小さなその身体に灯る色を消し去り、モノクロにしたかった。
心地良い灰色の世界を実井は望んでいる。



ーーーー



愛すべき灰色
prev next
back


言葉の遊び リンク文字