紅を唇に塗り、粉白粉をそれと目立たぬように肌に纏わせ、耳にも薄っすらと紅を塗れば結った髪から見えて煽情的になる。
適度に肌は露出させるが、胸元を出す服装は控える。大事なのは女性らしい曲線をイメージさせること。
鏡を見てもう一度確認をする。どこから見ても、らしくないといけない。

(上々)

流行りのバッグを手に、扉を開けた。



ジゴロの訓練。それはD機関の中でも異質な訓練だ。街に繰り出して適当な女を捕まえ、ダンスホールに誘うこともあればそのまま一夜を過ごすこともある。
嬉々として参加するのは、甘利、神永、田崎だった。特に田崎は爽やかな顔に似合わず遊び人だ。何人この男の笑顔に騙されたことだろう。
実井、波多野、三好はそこまで乗り気ではない。任務だからと相手はするが、することをしたらさっさと宿舎に帰ろうとするタイプだ。特に三好は、「女は本当に面倒くさい」と訓練のたびに吐き捨てるように愚痴を漏らしている。

しかし、全員に共通しているのはきちんと落とすことも、そして後腐れなく別れることも容易にこなしていることだった。甘言で惑わすことも、肉体的に満足させることも、手切りにすることも彼らにとっては朝飯前なのだ。

(本当にろくでもない)

小田切は自分を含めたそんなD機関のメンバーのことを考えて眉間にしわを寄せた。

時刻は日付を回る少し前、今日もこのジゴロの訓練だ。
二二○○から二四○○までに女を1人落とすこと、そして後腐れなく指定の場所まで戻ること。
いつも通り、甘利と神永、田崎は満面の笑みで街へと消えていった。三好、波多野、実井はやれやれとその後をついて行く。
残された小田切と福本はそんな様子を一瞥した後、やはり彼らの後を追った。
これは訓練だ。割り切って考えることくらい小田切にも造作ない。相手を落とすことに快感を覚えているわけでもないし、満足感を得ているわけでもないが、必要な技術だ。


今日も必要な女を捕まえた。
バーで酒を飲ませ適度に酔わせる。気を良くした女に甘い言葉を吐けば、うっとりとした目でこちらを見るのはいつものことだった。
しかし、今回は誤算が生まれた。


「ねぇ、なんでこんなに早く帰っちゃうのよぉ」

深夜の歓楽街では、情熱的な男女が歩く姿が珍しくない。男が女を買うことも、女が男に擦り寄ることもごくごく普通の光景だ。

けれど、タイムリミットのある小田切にとってこの状況は少々厄介だった。

「すまないな、もっと君といたいんだが」
「それさっきも聞いたわ。ねぇ、アタシそんなに魅力的じゃあない?」

腕に当たる女性の象徴たる胸、谷間を惜しげなく見せてくる女に小田切は内心舌打ちをする。

(厄介な奴を引っ掛けた)

恐らく彼女は、女を売りにする生業の輩だ。適当な女を選んでいたつもりだがしつこい奴に捕まったと、己の失態に苦虫を噛み潰したような心情にかられた。

「これからが楽しいんでしょう?ねぇ、そっちから来たのに…」

要するに、買えということだ。
確かにいつもならそうしても問題はない。しかし今日の訓練は時間制限がある。
ちらりと時計を見れば日付を回るまであと15分足らず。この女の指定する宿まで行き、満足させ指定の場所まで戻ることは不可能だ。

ならここを切り抜けるしかない。

「今日は少し予定があってね、次必ず迎えに行くよ」

頬に手を添え、紳士的にそう言っても女は食い下がる。

「その予定の方がアタシへのあの言葉より大切なわけ?ねぇ、なんで?あんな魅力的な言葉を囁いてくれたのに」

引き際を弁えない女の攻略とはどうするものだったか、しかし時間がない。
無理に引き離すことは可能だ、しかし条件は後腐れなく、だ。このまま離れれば、逆上した女が騒ぐ可能性は否定できない。

そして、焦る小田切の悪い予感は見事に的中する。

「本当にすまないと思っているんだ、僕は」
「だから!聞き飽きたって言ってるでしょ!」

女が声を荒げた。地雷を踏んだかと小田切は誤った選択に眉をひそめる。
道端を歩いていた男女も思わず小田切たちの方に視線を向けた。

(まずい)

野次馬根性で人が集まろうものなら確実に、後腐れなく、なんてことにはなり得ない。女に喚かれれば、なだめる為になし崩しで宿に行く羽目になるだろう。

冗談じゃない、と小田切は首を振る。が、状況は最悪だ。

「声かけたくせに何よっ、買いもせずに何様のつもりよっ」

エスカレートする女に小田切は頭を働かせる。時刻まであと10分を切った。

(どうする?)

冷や汗が流れた、その時だった。



「何やってるの?」


カツンとヒールを鳴らし、歓楽街に似つかぬ上品な服。鼻につかない程度の程よい香水の香りに赤すぎない紅。結った髪から見える耳元にもほんのりとその紅は塗られ煽情的だ。

普段は見慣れないその姿に思わず小田切は息を飲んだ。女性らしい体つきだけれど隙がない。有り体に言えば、男にとって高嶺の花、と言うべき様相だった。

「な、によあんた」

小田切の目の前の女が彼女を見て上ずった声を上げた。
彼女は女を一瞥すると、あらごめんなさい、と淡白に言い放つ。

「うちの人、火遊びが過ぎることがあるの。不快な思いをさせて申し訳ないわね」

全く謝罪の意思が含まれていない声音に女は閉口するが、彼女は女を押しのけて小田切の手を掴んだ。

「程々にしてもらわないと、私疲れちゃうわ」

有無を言わせずその場から小田切を引きずって行こうとする彼女に、我に返った女が小田切のもう片方の手を掴んだ。

「あ、アタシの客なのよ!」

まるで猫に立ち向かう鼠だ。
周りの野次馬は突然出てきた、男の妻、と遊女の攻防に、ある者は下卑た視線を、ある者は物珍しそうな視線を向けていた。

「そうね、それは申し訳ないわね」

女を見据えた彼女は小田切に近づくと、

「っ、」
「なっ!」

その唇を奪い、見せつけるような視線を彼女に投げかける。
一瞬の事だったが、周りからはどよめきが起こった。
ワナワナと体を震わせる女に彼女は近づくと、素早くその手にそっと手切れとなるものを握らせた。

女は彼女を凝視する。

彼女は女にウインクすると耳元にも口を近づけた。

「あんなのに騙されちゃ駄目よ、もっと高いのを狙いなさい」

注目する周りの人間からは聞こえない程度の声量だ。手切れとなる物の受け渡しも分からないだろう。はたから見れば、妻となる女が、か弱い遊女を黙らせているようにしか見えない。

女は口をパクパクさせ、そして今度こそ小田切から手を引いた。

その様子に彼女は口角を上げ、しかしすぐに真顔に戻り小田切へと視線を向ける。

「さ、行きましょうか?」

亭主を連れ戻しに来た見目麗しい妻に野次馬の注目が集まる中、2人はその場から足早に離れた。



彼女に手を引かれ野次馬の目の届かぬところまで足を運ぶ。
人目を確認し、するりと人通りのない路地に入ると彼女は漸く小田切の手を離した。

「狙う相手を間違えましたね」

先ほどまでの、高嶺の花、から一転。いつもの彼女の雰囲気に一瞬で戻った目の前の人物に小田切は畏敬の念すら覚えた。

しかしそもそも、何故あの場に彼女がいたのか。

「何故あそこに」

小田切のその質問に、彼女、千歳は相変わらず淡々と説明する。

「監視役です。他のメンバーはつつがなく終えていましたけれど、小田切さんは厄介なのに声をかけられていたんで尾行していたんです」

千歳の説明に小田切は、やられた、と頭を抱えた。そもそも尾行に気づかなかった己の失態に悔しさが込み上げる。
彼女は、この訓練での自分の体たらくをずっと見ていたのだろう。

閉口する小田切に千歳は、行きましょう、と指定の場所へ行くよう促す。
まだ訓練は終わってはいない。時間まであと数分だ。

「あのままにしていても良かったんじゃないのか」

彼女のあとを歩きながら小田切は不満そうに問うた。その声音を聞き、尚彼女は淡々と返す。

「訓練のフォローは私の仕事ですから」
「尻拭いってことか」
「悪く捉えればそうですね」

否定もせずにさらりと言ってのける千歳に小田切は言葉を詰まらせる。
事実をこうも嫌味なく返されると、逆に心に来るものがある。

再度閉口する小田切に千歳は改善点を指摘した。

「あの手の女性もそうですが、女性という者は女としてのプライドがあるんです。特に彼女は、自らの性的な魅力へのプライドが人一倍強かった」

歩きながら、ちらりと千歳は小田切を一瞥した。

「買わずに済まそうなんて、甘いですよ」

たかが女と侮るな、と釘をさす彼女に小田切は舌を巻いた、よく人を見ていると。

甘利、神永、田崎なら最初からあの手の女の扱い方など心得ていたろう。愚痴を言う三好も、他のメンバーさえ難なくこなすであろう。
必要な技術だからという理由で、女心、というものを侮っていた自分のミスだ。

小田切たちが指定の場所に着けば、すでに全員が集まっていた。
そして案の定、彼女のその姿に目を丸くする。

「え、小田切千歳を落としたわけ?」
「そんなわけないだろう」

神永の言葉に小田切は思わず苦笑した。他の面々は彼女の姿を観察している。

「是非一曲踊って欲しいね」
「俺は一杯付き合って欲しいかな」
「着飾ればそれなりなんだな」
「波多野さんは相変わらず可愛らしいですね」
「前言撤回な」

好き勝手なことを言うメンバーに無表情で返す姿はいつもの彼女だ。

「それにしても、何故小田切と?」

三好の質問に他のメンバーも、そういえば、と彼女と小田切を見た。
己の失態を思い出し、小田切は顔をしかめる。しかし事実は事実だ。

「俺が」
「そこでお会いしたのでご一緒したんです」

小田切が口を開く前に、千歳は表情1つ変えずにそう言ってのけた。
ぽかんとする小田切を他所に千歳は続ける。

「私も同じようなことをしていたので」

あくまで訓練の一環だと、そう言う千歳に彼らはそれ以上は詮索しなかった。訓練は終了だ。

「日付回ったし帰るか」
「だな。今日もやるか」
「何賭ける?」
「今晩のメニューだろ」

大きく伸びをしたり、欠伸を噛み殺しながら各々が帰路につく。軽口を叩きながら前を歩く彼らの後を追えず、立ち止まっていた小田切の横に千歳がスッと近づいた。

「嘘は言っていません」

ハッと彼女を見れば、人差し指を口に当て薄っすらと笑みを浮かべていた。
小田切が口を開く前に、千歳は彼の横を通り過ぎ自らも帰路へとつく。

その後ろ姿を見つめながら小田切は眉尻を下げ、笑みを浮かべた。

(適わないな)

心の機微に女性は敏感だ。特に彼女はその点で一枚上手ならしい。

小田切はハットを被り直すと、彼らとともに闇へと消えていった。


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紳士と淑女
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