太陽が照っていた。燦々と降り注ぐ陽の光は肌を刺し、ジリジリと表面を焼いていく。
カンカン帽を被るのは久方ぶりだ。お陰で幾分かは涼を取ることができるものの、地面からの照り返しが身体の熱を上げて脳天まで熱に侵されていく気がする。
夏は盛りを迎えていた。

(猛暑だな)

ぐいと滴り落ちる汗を拭い小田切は重い足を動かした。
福本の代わりに市場へ買出しに出かけた帰り路。右手には、那須、トマトなどの旬の野菜が所狭しと籠に詰められている。青魚は波多野が買ってくるとのことだった。
茹だるような暑さに道行く人々の視線は下を向いている。団扇で風を送ったところで熱が更に体に纏わりつくだけだった。
暑い、暑い、と声なき声が脳内に木霊する。無意味だと理解しながらも無意識にそれは聞こえて来る。
さっさと帰ろう。小田切は駄々を捏ねる両脚を叱咤すると歩幅を広げた。
大股に帰路を駆け、風を切る。時折小走りになりなり、景色の移り変わりが若干早まったその時、小田切の視界に白く揺らめくものが映った。

(……あれは)

目を凝らすまでもなかった。白く揺らめいているのは、彼女だった。大判の白地の帽子に袖口が絞られた泡色のワンピースを着た彼女は、一歩進んではふらりと右へ、もう一歩すすめば左へ、そよ風に揺れる草花のように揺らめいていた。
常人から見れば小さな揺らめきに、ふむ、と唸った小田切は、足早に彼女の傍へ寄る。

「千歳」

呼びかけに対して、彼女は、千歳は一呼吸間を置いた。ぴくりと肩を鳴らした彼女は小田切へと身体を向ける。
緩慢に見上げた瞳に、小田切は息を呑んだ。

「小田切…さん?」

虚ろな瞳、上気した頬、掠れた声。
どれもこれも普段の千歳を知っている者ならば異質としか捉えられない要素で、一目見た小田切は彼女の異常に気が付いた。
凛とした彼女の姿が陰っている。

「……来い!」

考えるより先に身体が動くとはこのことか。小田切は千歳の手首を掴んだ。



風が運ぶ涼は、木陰で受け取るのが一番良い。陽の光の下では暑さに熱さが加わるだけだが、陰の下では幾分か熱が抑えられる。
人気の無い郊外の公園。がらんとした中でひとりふたり童子が鬼ごとをしているのが目に映るがそれだけだ。
小田切は傍で己に寄り掛かかる千歳に視線を落とした。

「気分はどうだ」

問いかければ返ってくるのはか細い声だ。

「……大丈夫です」
「熱さにやられるなんてお前らしくもないな」
「……すみません」

きゅ、と握りしめられた拳が視界の端に映る俯いているために彼女の相貌は伺えない。
小田切は、そっとその頭に手を添えた。

「気にするな」

口数は少ない小田切だが努めて柔らかな声音を発すると、千歳は応えるように頭を擦り寄せた。

ジィジィと蝉の鳴き声が響く。時間にして然程経ってはいないだろう。

「もう大丈夫です」

傍の重みがなくなったかと思えば、真っ直ぐ小田切を見つめた千歳は彼に頭を下げた。先ほどより顔色が良くなった彼女に小田切はほっと小さく胸を撫で下ろす。

今日は一等暑い。恐らく彼女はもともと体調が芳しくなかったのであろう。熱の暴力は化け物をも呑み込むのかと、小田切は苦笑した。

「歩いて平気か?」
「はい。随分と良くなりました」

小田切さんのお陰ですね、と彼女は朗らかな笑みを浮かべた。伏せられた瞳に木漏れ日が落ちる。己も熱さにやられたのか、と小田切が自嘲する程には花弁のような愛らしさがあった。思わずその姿に視線が奪われる。

瞬間、ちらりと千歳が小田切に視線を向けた。

視線が交錯すると、その口元が緩められ、ストンと白帽子を頭に乗せた彼女がベンチから軽やかに陽の下へと進む。

「小田切さん」

くるりと振り返った彼女の相貌は、ひどく楽しげだった。

「熱に浮かされてしまいましたね」

弾んだ声音が物語る。暑さというのは正常な判断力を奪うものなのかと小田切は頭を抱えた。
千歳は見事に曲線を描いた口元をひとつ見せると、彼に背を向けて歩き出す。足取りからその心内は嫌でも理解できた。
小田切は、その背を見つめながらひとり嘆息する。


(全部暑さのせいだと言いたいな)


今日は一等暑い日だ。


ーーー


熱暴走
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