ただの違和感など存在しない。それは小さく見えて大きな綻びだ。常人には気付けなくても化け物には理解が出来る。
常とは違う息遣い、頬の紅潮、視線を指摘した途端に堰を切ったように溢れ出した欲の塊にどちらともなく手を取り合った。
大東亜文化協曾。レンガ調の古びた建物内にある書籍などが陳列された資料室で波多野は彼女を見つけた。同じ空間で生活しているのだ出会う事など当然のようにある。
しかし、見かけた彼女の様子に波多野に動揺が走った。
「千歳」
「波多野…さん」
資料整理をしていた彼女の頬は紅潮し、瞳は潤んでいた。それは、化け物でなければ気付かない変化だろう。しかしながら、残念なことに波多野はその化け物だ。一目で彼女が『何に侵されているか』を理解することができた。
「盛られたのか」
震えた肩は波多野の言葉を肯定していた。俯き窺い知れない表情は恐らく恥辱に歪んでいるだろう。
「悪趣味なものを入れられました。本当に、女遊びが堪能な人達はタチが悪い」
抱えていた最後の資料を棚に押し込み千歳はひとつ息を吐く。平静を装うその表情とは裏腹に身体の疼きは堪え切れないらしく浅い息が繰り返された。
綻びが大きくなるその姿はひどく人間的で、剥がれ落ちる仮面に目を奪われる。
「手伝ってやろうか?」
皮肉めいた言葉が口から出たのは気まぐれだ。別に放って置いても支障はない。自分には関係のないことだ。
口元を歪めて小生意気な態度を露わにすれば気怠げな視線が波多野に向けられる。
きっと自分達と同じこの化け物は、必要ないと申し出を一蹴するだろう。むしろ、己の失態に踏み込むなと威嚇するかもしれない、追い詰められた小動物の如く自分の身を大きく見せて。
さてどうするか、波多野は千歳の視線に目を細める。
千歳は波多野から視線を外すと面を伏せた。表情が隠れた矢先、足早に波多野に近づいた彼女はあろうことか、ピンと軽く爪先立ちをして彼の唇を易々と奪った。
目を見開いた波多野はしかしその申し出を拒みはせず、千歳の後頭部に手を添え更に深く口付ける。互いの咥内で熱が入り混じり時折千歳からはくぐもった声が漏れた。
「は、ぁ、波多野さん…」
「…なんて顔してんだよ」
ぞわりと波多野の背筋をかけた高揚感。千歳の瞳に映る熱っぽさに苦笑いしか出てこない。ガラガラと仮面が剥がれ落ちていく。
波多野の胸に顔を押し付けた千歳は縋る声を出した。
「手伝ってください…」
波多野さん、と上げたその表情にカタンと最後の仮面が剥がれ落ちた。
ーーー
D機関に在籍する者は皆カバーを被っている。偽の経歴と偽の名前、彼らは現実としてそこに在り、しかしその存在は虚構だった。空っぽで何もない存在。その虚無感に常人なら押し潰されそうであっても彼らにとっては好都合。
故に何者にでもなれて何事も出来る。どんな演技も完璧にこなしてカバーを演じ切る。
「あ、ん」
波多野は己の下で嬌声を抑える千歳の首筋にひとつ跡を落とした。
同じ訓練、同じ経験を積んできた彼女の常の表情がカバーなのかそうではないのかは分からない。分かる必要もない。
しかしながら、今目の前で肢体を曝け出し己を求める彼女はその常とはかけ離れていた。
実にいい気分だと、波多野は舌舐めずりをする。
「声、抑えんなよ」
波多野の言葉に千歳はふるりと首を振った。予想通りの反応に口元の歪みを抑えきれない。
つうと陶器のような肌をなぞり下肢へと手を伸ばす。そのまま濡れぼったその場所へ指を沈ませれば跳ねるか細い身体。嗜虐心を唆られる艶姿に沈ませた指で壁を擦りその身体を支配する。
「っ、やっ、あっぁ!」
千歳が達するまでにさほど時間は要さなかった。ぎゅうとシーツを握りしめ汗ばんだ相貌。達した余韻に浸る間も無く性感帯を摘めば見開かれたまなこが波多野を捉える。
「だ、めっ、今っ、やっぁあ!」
もはや悲鳴に違い制止の声など波多野の耳には届かず、呆気なく昂ぶらされた身体を反らし千歳は再度果てた。
虚ろな双眼を己に向けさせ、乱れる呼吸を封じるように唇に噛みつき身体を余すことなく弄ぶ。剥がれ落ちた仮面を拾い集めることなく、千歳は波多野の身体に腕を回して欲を求めた。
「波多野さん」
「ん?おっと」
くるりと波多野の身体が廻り、背から寝具へと落ちる。迫った彼女の面差しに瞳を閉じ波多野は彼の熱を求めるその行為を受け入れた。
見上げた彼女の瞳に宿る情欲は彼女足らしめる化け物としての要素を呑み込んでいく。
「すみません、もう」
苦悶の表情を浮かべ、消え入るような声音を発した彼女はそろそろ限界なのだろう。「来いよ」と波多野が先を促してやれば、目を逸らし羞恥に下唇を噛みながらも千歳は己が身を彼へと沈めていった。
「ふっあ」
緩々と腰を動かし、悦を求める。ただの人間であるただの女である千歳の姿。
その姿に波多野は自分がひどく興奮しているのを自覚していた。
これが何処にでもいる行きずりの女だったら、或いは訓練で指定された何処かの貴婦人ならば演じ切ることなど容易い。求められた人格を被せて偽りの甘言で塗り固める空間の演出など、ここに身を置く者ならば造作もない。
仮面を拾い集めない彼女の姿に、女として暴かれている核の部分に手を伸ばしたくなった。
溺れた顔など見られまいと覆われていた両の手を波多野は掴み取った。
「え、っ!あっ!やっ!ぁあ!」
隠すものなど何もない。眼の淵に雫を貯めた彼女を波多野は突いた。丸い目からははらりはらりと落涙する。両の手の自由が効かない千歳の口からは霰もない嬌声とはしたない液が溢れていた。
「やっ、みない、でっ」
きゅうと締め付けが強まり波多野の顔が歪む。扇情的な彼女の身体に己の熱も高まる。
目眩のするほどの昂りが波多野にも伝染していた。
「波多野さ、ん、あっ、」
「お前、乱れすぎだろっ」
「ごめんなっさ、あっ、ん」
本心からそう思っている。苦しげに歪められた相貌から読み取ることの出来る感情に、波多野は苦笑した。
波多野は繋いでいた両の手を離し、彼女の細い腰に手を伸ばすと、
「っ!!やっぁあ!」
がしりと掴み一気に下へと下ろした。同時に自身の腰を突き上げれば一等高い嬌声が鼓膜を刺激する。
千歳の行き場のない腕が波多野の首に回され、しなやかな肢体が彼にもたれかかった。
「そんなに良いのかよっ」
容赦ない攻めは千歳の、そして波多野自身の余裕さえ奪っていく。
「あっ、やっ、気持ちいい、のっ」
己から腰を振り、口付けを強請るその姿にえも言えぬ感覚が身体を支配した。肉欲に塗れるなどD機関の一員である己にあるまじき行為だ、そんなことは分かっている。
訓練ならば、何も感じない。理性という葦により操られる己が身体は欲に落ちるなんて浅ましい結末を許しはしない。己の矜持は決してそれを受け容れない、否受け入れることが出来ない。
「波多野さ、んっ」
ーーおく、下さい。
しかしながら悲しい事に、これは訓練ではなく、更に波多野は健全な日本男児だった。
「お前さ、勘弁しろよ、本当にっ!」
「え、ひっ、やっあぁ!あっ」
何のことだと千歳が聞き返す前に激しく身体を揺さぶり雄を叩きつける。
「あっ、んっ!波多野さんっ、ぁ」
「はっ、千歳、舌出せ」
回らぬ思考は千歳に素直さを与え、波多野の前に差し出された赤を波多野は食みやがて1つに絡めていく。
心身ともに溺れて、状況を受け入れている己の浅ましさに反吐が出そうになる。
しかし、何も纏わぬ彼女を受け入れることを決して拒むこともなかった。
「あっ、もうっ、やっだ、めっ」
ズン、と一等深く波多野が中を突いた瞬間、収縮した壁に波多野の雄が刺激される。駆け上がる吐精感に波多野もまた思考を放棄した。
何も考えずぐちりと押し付けた子宮口に注ぎ込まれる精の感覚は彼にとって存外悪くはなかった。
「何故俺を受け入れたんだ」
紫煙を吐き出しながら波多野は徐にそう尋ねた。
くたりと肢体を寝かせた千歳はパチリと開けたまなこを彼に向けそしてまた思案するように逸らす。
「……何故でしょう」
「は?」
「よくわからないんです。自分でも処理は出来ましたから」
何だそれ、と返せば、さぁ、と互いが合点のいかぬ感覚に首を捻らせた。
「お前は自分で理解していない感覚に身を任せたのか」
魔王の元で育ち、化け物と肩を並べる彼女が人間の感覚で行動した。それは何と滑稽なことだろうか。
揶揄する彼に千歳は視線を合わせた。じぃと見つめるその双眸に居心地の悪さを感じる。
「何だよ」
「いえ、その通りなんですけど……そうですね、」
放たれた彼女の言葉に波多野はやはり居心地の悪さを拭えきれなかった。
「波多野さんなら大丈夫と思ったのは事実です」
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落ちた化け物
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