JG連載、彼方から此方への27話『哀別』の後の話になります。
夢主が渡米する前、波多野との一夜限りの思い出の話になります。



――


今だけだと苦悶に満ちた色を浮かべた彼は言った。その顔色は確かに彼で、吐露された心内に落涙しそうになった己を恥じた。今だけ、今だけなのだ。
交わした口付けが合図となりベールがとられる。色づいている己を見られ、その色が彼に移らないようにとそれだけを願った。今だけの色だ。明日にはもう互いの色は消え去る。

結わえていた髪はパサリと左右に広がった。その髪を梳いた手が首筋から頬へと添えられ、千歳は思わず身震いした。

(温かい……)

そっとその手を包み頬をすり寄せる。例え彼という存在が虚構であっても、今ここにある温もりは、これは現実なのだと教えてくれる。
「千歳」と名を呼んだ彼を見上げる。気怠げな、重たい瞼から放たれている視線は色っぽく、情愛に溢れていた。
その相貌に千歳は悩ましげに瞳を揺らした。


(そんなに染まらないで)


例え今だけでも、熱を持ちすぎてはいけない。理解している筈の、己の理性が伝える警報音。戻れなくなるほどの交わりは決してあってはならない。
しかし、


「波多野さん……」


くるりと回した腕は理性に背を向けた。警報音は耳に入らない。
ただ今は、この胸の内の苦悩も煩わしい世情も化け物としての規律も己に課した掟も、全てなくなってしまえばいい。
何もかも忘れて、置いて、この熱に呑まれたかった。

言葉は交わされない。後はひたすら溺れるだけだ。


「ん、っふ、ぁ」

響く水音が鼓膜を刺激する。耳朶を食みねっとりと這わされる舌と下肢に走る感覚に回した腕に力が込もった。
彼は度々千歳の名を呼んだ。確認するように名を呼び応えればこうして愛撫を繰り返す。
何度も何度も名を呼び呼び返し、互いに仮面を被っていた筈がもはやそれは意味をなさなくなっていた。

「千歳」
「あ、んぁ、やっ…ぁあ!」

ざらりとした箇所を何度も擦られ、千歳の身体はピンとしなった。回していた腕は真白なシーツに皺をつくり、締め付けた彼の指の感触に背徳感が芽生える。達した余韻に浸り、劣情に濡れた瞳を伏せていた千歳の額に彼のそれがコツンと当てられる。
触れ合う肌の感触に、意識が微睡んで行く中、ふとやはり現実は首をもたげた。


刻み付けられる彼の熱は何処かで終わらせなければいけない。


溺れてしまう中で唯一千歳を引き戻す理性は、己に全てを与えた魔王の存在だった。
「波多野さん」と名を呼べば離れ向き合う形となる。脳裏にちらつく魔王の相貌と目の前の苦悶に満ちた相貌に、今度こそ、千歳の瞳からはらりとひとつ雫が落ちた。


(こんな、感情…)


知らなければよかった。理解しなければ幸せだった。
自分も、そして何より


(貴方にそんな顔させたくなかった)


波多野というカバーを被っている筈の彼の相貌は化け物とは程遠かった。苦悶に満ち、化け物たる己と無用な情に板挟みとなっているその表層は痛々しかった。

今だけ、今だけなのだと言い聞かせていても広がる痛みにはらりはらりと雫は落ちる。静かに流れるそれを波多野はじっと見つめ、何も言わず掬いとった。

言葉を交わさない情交に想いは乗せられない。
しかしながら、外面から見ることのできる内面に互いが互いを理解していた。

「あっ、ん」

ずしりと下肢に感じた鈍痛と圧迫感。己の中が押し広げられる感覚にえも言えぬ充足感が千歳の中を駆け巡る。
ぴたりと全てが収まり、身体を彼に文字通り捧げている形となった。

かちりと視線が合う。しかしすぐにそれを覆い隠すような情炎に溢れた口付けが降ってきた。
咥内を貪り、舌を絡め取られ、奥まで全てを呑み込む感覚に強張った身体を突き上げられる。

「んっ、ふっあ、あんっ!あ!」

離された時には声を抑える術もなく、霰もない音が空気を震わせた。阿呆みたいに鳴くだけの女と化している己のなんと浅ましいことかと自嘲する。
必死に押し殺そうと、千歳は口元に掌を遣りかけた、がそれは叶わず、掬われた掌が縫い付けられた。

「声、殺すな」

真っ直ぐな瞳に射抜かれ息を呑む。小生意気でもない、自負心の塊でもない、ただ純粋な1人の人間のしての波多野の姿に千歳は静かに涙した。

「波多野さんっ、あ、やっ、ひぁ!あ」

劣情に濡れた淫らな女だ。叶わぬ想い、置かなければいけない記憶を夢想して千歳は抱かれた。己の中に感じる彼の雄も瞳に焼き付けられるその姿も全て、今だけ、そして此処に未来はない。

抉るような攻めはしかし容赦無く千歳を高みへと誘う。その先には何もない。其処までの関係となる。


(本当に、浅ましい)


求めてはいけないのだ、何も。

最奥を突き上げられ、子宮口をごつりと叩かれた瞬間、全身を駆けた快感に千歳の中が彼の雄を締め付けた。均整の取れた波多野の肢体もふるりと震える。
吐き出すことのできない悦にピンと伸ばされた掌。そこに波多野の指が絡められ、互いを確認するように握り合う。

抑えきれない情動だ。
しかし、これは置いていくものだ。

脈打った波多野の竿はすんでの所で千歳の肌に白濁を吐き出した。


(あぁ、これで)


「千歳」


最後に交わされた口付けにひとつ涙し、千歳の意識は深淵へと沈んだ。




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置かれた感情
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