2−1
朝。カーテンの隙間から迫った朝日に目を細めながら起床する。がらんと広い室内には、ウエストを絞ったワンピースやフリルがあしらわれたスカートが入る箪笥とぎいぎいと鈍い音を立てるベッド、化粧棚は後から設置された。
寝間着に厚手のガウンを羽織って室内から外に出る。部屋のすぐ横に洗面台があるため、ハルの部屋はここに決まったのだろう。桶に水を入れて顔を洗い、すぐに部屋へと戻ると化粧水と乳液を顔に塗る。少し白粉の入った化粧水に、脂肪質のクリームという組み合わせだが、この時代から基礎化粧品はあったのかとハルは少しばかり感心した。
洋服箪笥から白地に薄紫色の花の刺繍が施されたブラウスを着て、きゅっと息をつめてスカートを履く。白粉を薄く引き伸ばして、紅を頬と耳たぶにひと添え、あとは髪をまとめてしまえば完成だ。
「よし」
気合を入れ、ドアノブを回す。
ハルがこの場所に来て2週間ほどが経っていた。
結城中佐の執務室を離れた後、ハルは神永と三好に連れられて食堂へと足を運んだ。踏み入れた先にいたメンバーに目を瞬かせたことは記憶に新しい。
「誰だ、そいつ」
ハルをつま先から頭のてっぺんまで見てそう口にしたのは、小柄な体躯の彼。
(波多野だ…)
見たことのある顔に感慨深さが滲み出たハルを波多野は訝しげに見つめたため、慌てて表層を取り繕う。
「こらこら、お嬢さんに失礼だろう、波多野」
「すみません、不躾な物言いをしてしまって」
すくりと椅子から立ち上がり、恭しく手の甲にキスを落としたのは甘利。 次いで、実井が眉尻を下げて謝意を示した。
行動よりも先に、目の前で彼らが動いているという事実に、ハルは直立不動となる。呼吸をしている、心臓が動いている、生きている化け物達がそこにいる。虚構でも現実でもなく、ただそこに彼らは居た。
「……大丈夫かい?」
柔和な声にハルは、ぎぎぎと声の主に顔を向けた。
「大丈夫です…たぶん」
「たぶん?」
「……大丈夫です」
切れ長の目がさらに細められる。見定める視線にハルは口の端をわずかにあげて、無理に笑顔を作りだした。
田崎の端麗な顔は存外、心臓に悪くなかったが、蛇に睨まれた蛙よろしくハルはそのまま固まってしまった。
挙動がおかしなハルに、面々は見事な仮面を被りながらじりじりと近寄っていく。節々から伝わる不信感に、いよいよハルは助けを求めるように二人を交互に見た。懇願する視線に口元を緩めた三好が、しれっと応えた。
「今日から彼女も此処に住んでもらいます」
手短すぎる三好の説明にハルは頭を抱える。化け物ならば要点を押さえつつ簡潔明瞭に事の成り行きを話してはくれないかと嘆息した。ほら見ろ、夕餉の仕込みの真っ最中の福本は包丁の手が止まり、今にも小田切のキングを獲ろうとした蒲生も時間が止まったかのように停止している。
ハルはそこで、はたと気付いた。
(…蒲生はいるんだ)
ということは、此処は原作準拠か、と面々を見渡す。福本、蒲生、実井、田崎、波多野、小田切、甘利、それに加えて顔の知らない人間が2人ほどいた。
ハルの知っている紙の上の世界の彼らに顔はない。そこに、液晶画面によって付けられた面があるのは9人。あとの2人は、さてどの任地へと赴く顔なのだろうと思案する。
思考を整理している彼らより、かえってハルは状況を俯瞰していた。
「それは中佐の指示か」
口を開いたのは小田切だった。怪訝な瞳を向けることもなく、ただの純粋な口振りにハルはどこかほっと胸をなでおろす。
「中佐は、扱いは任せる、と言われただけだ」
肩を竦めた神永はハルを横目で眺めた。犬猫を見るそれにハルは萎縮する。彼らの胸ひとつでハルの今後が決まるのだ。
大人しく口は開かないでおこうと固く心に決めたハルは、黙って床の板目を心の中で数え始めた。
「ということは、此処に置かなければいけない理由があるということですね」
「まさかとは思うが、時期外れの同期か?それとも、中佐が惚れ込んだ猫(キティ)か」
「可能性としては後者の方が高い気がするけどな」
「冗談だろ」
なんとまあ好き勝手に宣ってくれる。無心無心無心、と細かな板目を見逃さずに頭を数字で埋めていたハルは神永に小突かれ意識を戻した。
「現実逃避をせずに、説明に加わってくれないかな」
「すみません…」
現実逃避ではなくトラブル回避のための最善策だと思っていたが違ったらしい。先を促すふたつの視線はハルに事態の収拾を求めている。
大方、説明が面倒なのだろう。奇異の眼差しを隠すことなく向ける化け物達相手に言葉を選ぶ必要はおそらくない。話さなければならない状況になってしまった以上、むしろ、簡潔に話してしまった方が時間をとらせない。
ハルは言葉を整理すると、情報を連ねた。
「戸張ハル、年齢は二十五歳です。勤めていた会社を辞めて部屋で寝ていて起きたら三好さんのベッドにいました。1990年代生まれで西日本の田舎で過ごしました。昭和の次の元号となる平成の世に生を受けたのでこの時代に詳しくありませんがよろしくお願いい致します」
息継ぎをすることなく一気に言い切ったハルは即座に頭を下げた。自分のつま先が見えるところまで下げたところで、緩慢に姿勢を戻していく。
顔を上げた先の彼らの表情は一様だった。
「……この手の病人の有効な治療法を知っているか?」
「ペンでも取らせたらいいんじゃないか。どこかに寄稿すれば彼女も満たされるかもしれない」
「此処で診る訓練か何かですかね」
呆れ、落胆。見える表情は本物だろう。
(神永より辛辣…)
予想されていた反応に苦笑しつつ、ハルはさらに情報を乗せた。
「波多野さん。甘利さん。実井さん」
ひとりひとり、名を呼びその目を、はし、と見据える。知っている名を呼び顔を合わせた後、知らない顔には何人かの名前を挙げた。
「仲根さん、葛西さん、中瀬さん、宗像さん、のどれかですか」
2人は羅列される名前に全く反応を示さなかった。睨め付けられ、ハルは眉尻を下げる。
どれに当てはまるのか、あるいは当てはまらないのか。なにせ原作の彼らの名前は話ごとに変わる。ここにハルの知らない、現実、があっても何もおかしくはない。
しかし、そこは大して重要ではなかった。
「真冬の海での遠泳。金庫破りを招いた実技講習。ここが、陸軍内に秘密裏に設立されたスパイ養成学校で、皆さんはその映えある第一期生」
情報を上乗せしていくにつれて、彼らの顔から色が薄れていった。探る視線が四方から突き刺さる。この女は、何だ。場の空気が張り詰める感覚にハルはため息を吐きたくなった。
(好きで言いたいわけじゃないのに)
澱みなく簡潔に説明できる化け物が2人もいるだろう。視界の端の2人に気を遣っても、助け舟を出すどころかむしろこの状況を愉しんでいるかのように口の端が上がっているのが見えた。
もちろん、そのつり上がった口の端を面白く思わないのは目の前の彼らも同じだ。
「悪趣味だな、貴様ら」
吐き捨てたのは、ハルの知らない顔の男の一人だった。目を眇め、苛立たしげに紫煙を吐き出すと灰皿に先端を押し付ける。睨め付ける男に神永の表情は変わらない。
視線が自分から2人に注がれることとなりハルはひとまず一息ついた。が、この険悪な空気を呑むほど心も強くない。
長く深いため息を吐きたい気持ちを堪えて、ハルは再び説明を始めた。
結局のところ、反応はさして変わりはしなかった。
朝陽の落ちる廊下を進み、食堂へと足を踏み入れたハルを待っていたのは既に炊事場に立っていた福本だ。視線をハルに寄越し「起きたか」と一言低音で囁くように聞いてきた彼にハルは首肯するとその横に立った。洗い替えの割烹着を身に纏い、食器棚から人数分の皿を用意する。鍋に視線を落とせば、季節の野菜が醤油をベースに煮詰められていた。
鼻腔をくすぐる匂いに腹の虫が声を上げ、思わず腹を抱える。瞬間湯沸かし器のように顔に熱が集まるのを感じたと同時に、胡瓜をきっていた隣の福本の手が止まった。
「戸張、口を開けろ」
「へ……む…ん」
端の一欠片を福本はハルの口の中に入れ込んだ。きょとんと目を丸く、彼を凝視しながらハルは口内のものを咀嚼する。
餌付けか、これは。しゃりしゃりと小気味良い音が立つ胡瓜はたいそう美味しい、が、何食わぬ顔で朝餉の準備を再開した福本にどこかハルは調子が狂った。
変わらぬ能面の彼は、ハルの事実、を知って唯一人、何食わぬ顔を貫いていた。何だ、そうか。そう口にするかと思うほどひとつとして彼の表情は変わらなかった。
他の面々といえば、三者三様の反応を見せた。呆れ、懐疑、不信、予想通りの反応見せたかと思えば状況をあっさりと認識し、咀嚼して呑み下した機関員もいた。
物語の世界、自分達の存在がフィクションで、先の事情を知っていると宣う女の存在。俄かには信じがたい事象を突きつけられた彼らは、しかし、結果として同じところに行き着いた。各自がそれを己の認識として落とし込むまでに要した時間に差はあれど、事実としてハルの存在を容認することが前提だということを彼らは共通認識として持った。
事実として、目の前にはそのような現実が在り、そのような存在がいる。その土台を認めようとしない、それそのものに囚われることなど無意味だと、誰もがその結論に辿り着いたのだ。
ハルは感嘆した。
自分ならば、耐えられない。
(自分の感情も、行動も何もかも知ってるだなんて耐えられない)
ポッと現れた何の取り柄もない女が、この国の未来もこの場所も自分達の未来も知っている。難解な数式も解けない、医学に精通していない、語学に素養はなく、武道の有段者でもない。加えて、
──この時代の生活すら知らない。
物の価値、相場、しきたり、社会通念、何を取っても赤子同然の女だ。
お荷物以外の何ものでもない女。
「並べてくれ」
「はい」
釉薬が塗られた陶器に盛られている菜の花の和え物は彩りも見事だった。機関員はこれを全員できるのだろうと思うとハルは頭痛しかしない。
ハルに現在与えられている仕事といえば、この程度のことだ。
外に使いに出すにも童子程度の知識しかない為、まず帰って来られるかが問題となる。機関員達がハルに下した命は、その赤子を育てるようなものだった。
ハルは現在、お荷物な赤子からせめて使用人程度の働きはしようと手の空いている機関員に日常生活に必要な知識を教授してもらう日々を送っていた。赤子同然の大人、と共通認識を持った彼らの対応はスマート且つ的確だった。
卓に並べられる朝餉の匂いに誘われた機関員がぽつりぽつりと食堂に顔を出し始める。次々に席へと着く機関員に目を遣りながら、出来上がる品々を並べるハルに腕を後ろに上げて組んだ波多野が声を掛けた。
「お勉強は順調か、戸張」
挑戦的な瞳にハルは苦笑する。
生活していく上で必要な社会通念などのほかにも、ハルは独自で語学を学んでいる。空き部屋に所狭しと積まれた書籍から、先ずは英語を。日常会話を会得した後は、ドイツ語、フランス語と幅を広げられればと考えていた。
政治経済まで幅を広げれば、多少はこの場所での常識的な行いはとれるようになるのかと安易な考えに首を振る。
自分は、凡人だ。
「時間は頂いているのでありがたいですが、なにぶん、覚えは早くないタチで」
ハルの返しに、面長の男が腕を組み鼻を鳴らした。
「そんな女が軍の最重要機密を知っているなんて、傑作だな」
直球で投げられた皮肉にハルは力ない笑みを浮かべた。気弱な顔貌が気に入らなかったのか、男は盛大に顔を歪める。軽い舌打ちまで不機嫌な顔に上乗せされた。
「中瀬、貴様の物言いは彼女には重過ぎる。加減を覚えろ」
「重いわけないだろ。こいつも、自分の価値がそこにあることくらいは理解してるさ」
視線で促された同意に、ハルは曖昧に笑った。否定も肯定もしない、無難な笑みだ。
ハルの知らない顔の名前は、中瀬、そして葛西の2人だった。面長の中瀬は機関員にしては存外感情を表に出すタイプ。対して葛西は、口数は少ないがところどころで小言を吐く。違う種類の人間だった。
全員が卓につく前に、先に来た人間から目の前の料理に箸をつけ始める。食卓風景はどこかの学生寮のように終始和やかで、ここが秘密裏に設立されたスパイ養成学校ではないかのような印象を与えた。
「戸張、お前も食べろ」
福本、最後に自分の分を運び終えたところで、小田切がテーブルの端の椅子を引いた。割烹着を畳み、戸棚にしまったハルは素直に彼の隣へと小走りに近づくと穏やかな笑みで小田切に会釈する。
「なんだ、戸張は小田切がお気に入りか」
「そういうわけではありませんけど…」
茶々を入れる中瀬に小田切が眼を眇めた。視線に怯むことなく、中瀬はただ口元を歪める。
愉悦を瞳に含ませているのは中瀬だけではなく、神永、田崎、甘利、と箸を進めながら2人の空気を愉しんでいた。
「市場への買い物の付き添いも小田切、語学の講習も小田切、何かしらの場所を聞くのも小田切だな。俺には一度も聞いたことがないが、嫌われているのか」
口角を上げて意味深長な視線を寄越す中瀬にハルは視線を泳がせ、弱々しく笑みを作った。早く流れてほしい空気に無意識に脚を擦り合わせる。
いっそ、自分が空気になってしまえば、とこの2週間で何度思ったことか分からない。中瀬はハルに何かと絡んでくる。神永と甘利、田崎には度々街へと誘われる。他の機関員に助けを求める、などできるはずもなく適当な笑みと相槌、社会で培った無難な対応で場を凌いでいたが、その空気をさばいていくのにも限界がある。
なにより、心的負担が大きい。
胃が痛む感触に嘆息した刹那、年季の入った置き時計の長針が真上をさしたことで、その空気は強制的な音と共に閉じられた。七度響き渡った重低音により、否が応でも意識が外へと向かったことでハルは新鮮な空気を吸うことができた。
「では、今度は中瀬さんにお聞きしますね」
無難で、当たり障りのない対応を瞬時に考える術だけがハルが人生の中で培った処世術だった。彼らの意識がハルから外れた刹那の時間に、最適な言葉を見つけ出し紡ぐ。
「楽しみにしている」
中瀬はにんまりと口元を歪め、喉を鳴らすと食事を再開した。
*
「どう見る? あの女」
丑の刻を回った食堂で男達が顔を付き合わせていた。卓を囲んでゲームに興じているのは5人に見えるようで実際は場外の5人も各々の立場でゲームを楽しんでいた。
「どう、とは?」
神永の問いかけに答えたのは三好だ。手にしたカードから視線を外して神永を見据えた。
神永は口の端を上げると肩を竦める。
「そのままの意味さ。あの女の存在はどうあると見るか」
「どうあるべきか、ではなく?」
「用途は此方が提示すればいい。そんなことは彼女とて百も承知だろう。俺が問いたいのは、根本的なところさ」
「どうある、ねぇ…」
腕を後ろ手に組んだ波多野が呟く。各々が、言葉につられて彼女の姿を脳裏に思い浮かべた。
虚構が現実に引き上げられる、とはどのような世界なのか。想像するだけなら万人ができることだ。己が物語の役者となる世界、鑑賞者から演者となり世界を体感しなければいけない現実は如何なるものか。
「創造物達と寝食を共にする。さしずめ、天から地に降り立った神の独り子といったところですか」
「生憎、此処では俺達が先生だけどな」
ニヒルに笑んだ神永に面々は同意した。
神の独り子、イエスキリストはすべての人類を救済するために地上に降り、人と同じものとなった。奇跡、とその神の御業は後の世で呼ばれた。多くの弟子は彼を先生と慕い、敬い、畏れた。
神が創造物の世界まで、降りてきたのだ。否、此処では、落とされた、が正しいのかもしれない。彼女は神の独り子の一人、読者の一人な過ぎないのだから。
神が人と成り、人を導き、そしてその最後は──
「ゴルゴタの丘はどこになるかね」
ぽつりと零した中瀬の言葉に一同は思案した。
未来を知る、まさに神の所業とも言える力を持つのはただの女だった。秀でた何かがあるわけでもない彼女が何故この世界に墜とされてしまったのか。その答えを見出すことは不可能だ。当の本人ですら何故この場所に何故自分が来てしまったのか理解していない。
「処刑される程の罪を負うほど、彼女は知ってはいないだろう」
無知の知、程度かと田崎がトランプで手遊びしながら鼻で笑う。
知らないことを知っている、その程度の認識。
彼女はあまりにも、知らなさすぎる。凡そ、自分達とは似ても似つかないただの人。魔王の前に差し出せば、あれよとあれよと言う間にとって食われて骨の髄まで利用されて続けるだろう。否、今既にそのようになっているかもしれない。
それでも、だからこそ彼女は此処に居ざるを得ない。
「どうあるべきか、は分かっているなんて滑稽だな」
嘲笑った中瀬に否定の意を示すものはいなかった。
己の存在の価値も、活用法も分かっている。此処に己がいる意味を自身で見出し、それを当然だと認識している訓練生から見れば、彼女の存在は異常そのものだった。
「そもそもなぜこの場にいるのがあの女なんだろうな」
「なぜ、とは」
「絶世の美女とか、博識な学者とか、色々あるだろう」
──七十年後の未来なら。
皮肉に歪められた神永の口から発せられた言葉、七十年後。その言葉に、室内には静寂が流れた。紫煙が漂い、暖色に照らされた室内で各々の顔が霞んだ。誰の相貌も不明瞭に見え隠れする。
結城中佐は訓練生に詳細を語らなかった。七十年後の未来の生活、国際情勢、政治経済、あらゆることを彼本人の口から聞いた訓練生はいない。扱いは任せる、との言葉通り、聞く、ことの選択すら本人達に委ねたのだ。
現代から半世紀以上経った時間。たった数年で劇的に変わる時代だ。技術の進歩だけではない、社会通念、価値観、あらゆるものが変化した時代など─
「そもそも、未来とは言い難いだろう」
「というと?」
「あくまで彼女の言い分だと、物語、、の世界だ、此処は。彼女の居た世界とは違う軸なら未来が確定されているわけじゃない」
「……そうですかね」
三好の推論に異を唱えたのは実井だった。視線で先を促した三好に、実井は手札を眺めながら口元に弧を描いた。
「史実を基にした小説だったらしいですから、凡その未来は確定的なものじゃないですか。この機関ですら、実際のスパイ養成学校を基にしているらしいですし」
「貴様、どこまで聞いたんだ」
「小説の中における僕らの扱い程度ですよ。この先の未来も、ましてや僕達がどのような任務につくかも聞いていません」
そんなつまらないことをしてたまるか、と言外の意味を込めた声音だった。自分達が演者で、その意思すら脚本家に決められているなどあってたまるかと誰もが心内で毒づいていた。
己は、己だ。その意思は誰に決定されるものでもなくすべからく己が腹に落とし込まれた、思考の行く末だ。優れた脚本家の物語であっても、演者の思考をコントロールすることはできない。一瞬、一瞬を見て、聞いて、思考し、行動するこの過程プロセスは例え神であろうと犯せはしない。
「さて、これから彼女の物語はどう変わっていくかね」
くつりと喉を鳴らした神永が、レイズ、と声高らかに言い放つ。
「果たして彼女は地に降り立った救世主か、それとも俺達に与えられた道具のか」
神の差配がもたらしたゲームを制すのは誰で、その先にあるのは、喜劇と悲劇、はたしてどちらなのか。彼女は盤上の駒として、どのように動かされ、何処へと向かって行くのか。
物語は動き出した。
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