03:困らせたいわけじゃない
——物心ついた時から、他の人には見えないものがはっきりと見えていた。
こちらに干渉することはできない癖して、視界にいつも映る"ソレ"が急激に増えたように感じ始めたのはきっと、今から二年位前のことだと思う。
おれが住んでいた町を襲ってきた化け物達。物心ついた時からおれが見えていた"ソレ"とは違って、こちらに干渉することが出来る化け物達——近界民達は二年位前のある日、意図も容易く沢山の人の命を奪い去っていった。
それからというもの、"ソレ"は急激に増えた。他の人達には見えない"ソレ"は、子供からおじいさんやお婆さんまで様々だ。
基本的におれが"見える人間"だと相手に悟らせられなければ、危害も被害もなんにもないので特に困ってはいない。……まぁ、あまりにも"生きている人間"にしか見えない存在に声をかけられてしまえば気付かれてしまうんだけれど。そういう時はおれが取る行動は2パターンあって、特に危害がなさそうな"ソレ"ならなんでもないふりをするし、やばそうな"ソレ"ならなりふり構わず逃げる。
後者におれが見えていることが気付かれてしまえばおれの命すら危ういからだ。あいつら、見えない人間には干渉しないくせして見える人間には干渉してくるし、食べようとしたり殺そうとしたりしてくるからやばい。何度それで死にかけたことか。
お陰様でというべきかなんというか、おれには友達がそんなにいない。いなくても困りはしないが、いても損はないと思うので少しだけ寂しいとは思っている。
唯一の救いは幼馴染がいたことだろう。まぁ、その幼馴染も二年程前に起きた大規模侵攻以来余裕が無いのかおれとの関わりは薄れてしまっているのだけれど。
大規模侵攻が起きたあの日、幼馴染は姉を喪った。それも目の前で、だ。自分の腕に抱きながら絶望していく幼馴染のその姿を、二年経った今でもおれは覚えている。きっと一生忘れられないんだと思う。それくらい印象的な事だったから。
幼馴染にとって大切な存在の姉を喪ったことで、彼は随分と余裕がなくなってしまった。
近界民を倒すために、殺すために、そのためにボーダーに入って、そうして今も尚訓練をしている。……あの日抱いたであろう憎しみをずっと胸に刻みつけたまま、そうして生きている。
別に近界民に対する憎しみがおれにはない、という訳では無い。おれだって近界民に両親を殺されてるし、そういう意味ではまだおれは幼馴染の気持ちが分かると思う。
ただ、幼馴染とおれとで違うことといえばやっぱりそれはボーダーに入隊したかしていないかなのだろう。
幼馴染はボーダーに入ったけど、おれは入らなかった。
別にボーダーが嫌いとかではない。あの日から今日というこの日までずーっと近界民相手に戦っている存在だし、むしろ尊敬や感謝の感情を抱いているくらいだし。
……ただ、怖いだけだ。物心ついた時から見えていた"ソレ"は、二年前のあの日以来近界民を見ると殺気立ったり殺伐としてしまうことが多くなった。おれに向けられていないことは分かっているけど、それでもやっぱり恐怖は感じてしまうのだ。
——ああほら、今だってそうだ。
なぜかおれを執拗に追いかけてくる近界民の周りにいる"ソレ"は、耐性がなければ足がすくんで動かなくなってしまいそうなほど恐ろしい殺気を纏っているし、聞こえてくるその言葉は暴言ばかりだ。
初めは本当に驚いたけど、こうも何回も近界民に追いかけ回されている時に聞こえてきたりすれば嫌でもなれてしまうものだ。……あと、近界民に追いかけ回されるのも。
なんで追いかけ回されるか、なんてことは知らない。ボーダーの人間なら知ってそうだけど、生憎おれは幼馴染と違ってボーダーに入っているわけではないのでそんな事情は知らない。
強いて言うなら、このままこうして近界民相手に逃げ回っているのが見つかったら後でボーダーの人に怒られてしまうということくらいは分かっている。
なにせ、今おれが逃げている場所は本来ならボーダーの人間またはボーダーに許可を得て初めて入ることが出来る場所——つまるところ警戒区域内だからだ。
ボーダー本部がある場所も警戒区域内で、その周りに近界民が出るようにしているとか何とか、そんな話を聞いた気がする。正直その話を聞いたときおれは"ソレ"から意識をそらすのに必死だったのでそういった情報がかなりあやふやなのだ。
きっとそれを幼馴染が知ったら呆れてしまうだろう。呆れてくれるほど、今の彼がおれに関心を持ってくれていたらの話だけど。
というのも、今のおれと幼馴染の距離は傍から見ればただの顔見知りもいいところだからである。
おれは両親を喪って、幼馴染は姉を喪った。
おれはボーダーに入らない道を選んだけど、幼馴染はボーダーに入る道を選んだ。
今はきっと、生きる世界も見てる世界も違うんだと思う。ま、おれの場合は見えてる景色自体みんなと異なっているんだけれども。
両親を喪って、遠い遠い親戚に引き取られて、一人暮らしを始めた。親戚が気をつかってくれたから、今は幼馴染の家から近いマンションの一室で暮らしている。
学校も同じで、クラスも同じで、けれどあの頃のような関わりはもう消えてしまっていた。ただの知り合いで、ただのクラスメイト。それだけの関係なのだ。
閑話休題。話が逸れてしまった。
兎にも角にも、今おれがこうして逃げ回っている場所は警戒区域内であり、おれのようなボーダーになんの関わりもなければ許可すらとっていない人間が入っていい場所ではないのだ。
皮肉なことに、こうして警戒区域内を逃げ回るのも両手では数え切れない程にあるから、道はだいたい覚えてしまっているんだけれど。
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近界民に対する殺意があまりにも膨れ上がっているのか、聞こえてきた"ソレ"の声はもはや何を言っているか分からない。
"ソレら"は皆、怒りが膨れ上がったり殺意が膨れ上がったりして許容範囲を超えてしまったら何を言っているのか分からなくなってしまうのだ。今のように何を言っているのかよく分からない、ということにも割とよく遭遇している。主に近界民に追いかけられている時にだけど。
おれが住んでいる三門市で見かける"ソレ"の殺意や怒りが許容範囲を超えるのは、ほぼ高確率で近界民関連だ。これに関しては"ソレら"が近界民によって殺されたから、ということが大きな理由だと思う。
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音割れして聞こえてくるし、耳に悪いからやめて欲しい。なんて言えたら楽だけど、負の感情が許容範囲を超えた"ソレら"が自分が見えていると認識してしまうのはあまりいいことでは無いだろうから言えない。ただただ、おれが我慢するだけなのだ。……ああ、嫌だ。
音割れした声を気にしないことにして、おれは走り続ける。今足を止めたら、近界民に殺されてしまうのがオチだから。おれはまだ、死にたくない。
曲がり角を曲がって、走って、また曲がって、走った。その間も近界民は追いかけ続けてくるし、"ソレら"も叫び続けている。
いつもはこの辺で近界民を討伐する組織であるボーダーの隊員の誰かが駆けつけてくれるのだけれど、どうやら今回は違うらしい。
"ソレら"の落ち着く様子がまだない。"ソレら"は、近界民相手に負の感情が許容範囲を超えていたとしてもボーダーの隊員が近くにいると分かった瞬間落ち着くのだ。そのおかげでおれは今までボーダーの隊員に見つかったことはない——とは言いきれないけど、何度か見つかっただけで済んでいる。
ちなみに、その全部が変わった色のサングラスを首に掛けた妙に既視感のある顔立ちをした男の人だったりする。あの男の人は近界民に追いかけられているおれを見つけた時、一度目は「……へぇ、なるほど」と言っていたし、二度目は「キミ、訳ありでしょ〜」と言っていた。それ以降は「……うん。大丈夫そうだ。またね」ということを毎回のように言っている。あの人はおれではない何かを見ているようにも見えるので、もしかするとおれと同じ訳ありなのかもしれない。
そういったことを訊くような中でもないので、訊くことはないけど。
正直言って二回目以降に関してはおれがどこに逃げているか分かってたんじゃないのかって思ったくらいにはタイミングが良すぎたので、あの男の人は少し怖いと思っていたりする。
いやだって、"ソレら"はあの男の人が助けてくれる十分くらい前から落ち着いてきていたし。もしかしたら遠くで様子を伺っていたのかな、なんてことも思ってはいる。実際のところどうなのか知らないけど。
あの男の人曰く、「しばらくおれ以外のボーダーの隊員に見つからないようにしてね。なにか異変を感じたらすぐに見つからないように逃げること。いいね?」との事だったしボーダーの隊員に見つかったらやばそうだから、今はその言葉に従って逃げていたりするけれども。
閑話休題。
いつもはだいたいすぐに駆けつけて来たりするから、おれは見つからないようにスムーズに逃げ始めることが出来る。ボーダーの隊員がくる二分か五分ほど前に"ソレら"は落ち着きを取り戻すからだ。おれはそれを頼りに見つからないように逃げることにしている。……いや、別にその前からもなるべく見つからないことを意識してはいるけれど。
落ち着きを取り戻したのを確認してからは、どちらかと言うと早く警戒区域内から出られるようなルートを選んで逃げるようにしているだけだ。
それより前にそのルートを選んで逃げると、最悪の場合警戒区域外に出てしまう可能性があるのだ。というか一度そうなりそうだったし。
あの時は確か、間一髪のところでボーダーの隊員が駆けつけるってわかったから少し別ルートで遠回りしつつ逃げていたんだっけか。
……今回はそれすら出来そうになさそうだなぁ。
幸い、今のおれは一人暮らしなので怪我をしても見つかることは無い。逃げている時に転ぼうがボーダー隊員と近界民の交戦の末瓦礫の山となった場所の近くで転んで、結果血を流すようなレベルの怪我をしようと、見つかることもないし心配されることもない。
そもそも怪我をしたところでバレなきゃいい話だし、まあ問題はないと思う。
病院に行かなきゃいけないレベルの大怪我を負ったり、殺されたり拐われたりしなければいい話なだけで。まあ単純にいえばバレなきゃいいのだ。バレたらきっと、怒られてしまうから。
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「ッ……」
ここ一年くらい前で慣れてきた(というより慣れるしかなかったという方が正しいのかもしれないけれど)音割れの声が、かなりの時間逃げ続けて疲労し始めているおれの頭に響いていく。
正直、近界民よりも"ソレら"におれの体力が持っていかれている気がしなくもないけれど、多分それは精神的な方の体力なので今は関係ない気がする。
走り続けるおれの背後で、瓦礫が崩れる音がする。近界民が、崩しているのだろうか。きっとそうなのだろう。
変に目立ちそうな気もするけど、これでボーダーの隊員が来てくれるのならありがたいので遠慮なく壊して欲しい。ここら辺におれが二年前まで住んでいた家はないからあんまりそういうことを思ってはダメなんだろうけど。……ああいや、二年前までおれが住んでいた家でもダメなのか。
もうなんでもいいから早く来て欲しい。そしたら、今こうしておれの精神的疲労を蓄積している根源は落ち着きを取り戻すから。
——ドギッ。
「!?」
聞き慣れない音が、聞こえた。
振り向けば、近界民が倒れていた。
「……え」
なんで、おかしい。だって"ソレら"はまだ落ち着きを取り戻してなんていないのに。
じわりと、汗が出てくる。
なんだか嫌な予感がしてきて、思わず後退りをしてしまう。
「こちら東隊三輪。東隊長の狙撃により近界民駆除完了。民間人を発見したのでこれより本——は?」
「……あ」
聞き慣れた声の方へと視線を向ければ、その声の主とパチリと目が合ってしまう。
目の下に濃いクマがあるその声の主は、おれを見るなり大きく目を見開いた。
「……なんで、おまえが」
「…………今日は、東隊だったんだね」
おれの声が、いやに響いた気がして、胸がチクリと痛んだ。
「……知って、いたのか」
「うん、まぁ。おばさんに聞いたくらい、だけど」
なんとも言えない雰囲気が流れ始めている中、聞き馴染みのある声の持ち主である人、三輪秀次——基、しゅーじは、ゆっくりと口を開いて訊ねてくる。
その問いに、おれは目を逸らしながらも答えた。
——東隊。ボーダーのA級部隊で、しゅーじが所属しているところ。強いらしくて、それなりに有名らしい。
これらのことは、別におれが自分から調べたから知っているという訳では無い。全部しゅーじのお母さんから聞いたことだ。しっかり覚えようという気にはならなくて、だから何となくしか覚えてないけど、多分合ってるはず。
あの時のおばさんの顔、嬉しそうだったけど複雑そうにも見えたなぁ。多分、親としては複雑なんだろう。
今目の前で起きている現実から目を逸らすようにそんなことを考えていれば、呆然としていたしゅーじが勢いよくおれの肩を掴んできた。
その目は"なんでここにいる"といいたげで、なんだかいたたまれない気持ちになって目を逸らした。
「別に、保護とか検査とか……そういうの、大丈夫だから」
「……は?」
「おれ、慣れてるよ。だから、大丈夫」
おれの言葉は、しゅーじからしたら想像すら出来ていなかったんだろう。いまだ大きく目を見開いていた。
「近界民に追いかけられるの、これが初めてじゃ、ないから」
「なんだ、それ。聞いてない」
「そりゃ、言ってないから」
"ソレら"はもう落ち着きを取り戻していて、頭に響く声は聞こえなくなっている。それなのに、今のこの現状に頭が痛くなってしまいそうだ。
……なんとなく、分かってはいた。でも、本当にそうなるのかなんていう確証も確信もなくて、言わずにいた。
もし仮に本当にそれを伝えたとして、心配してくれるのか、それとも他人事でいるのか。一年前のあの日が来る前なら、きっと心配してくれたんだろうけれど、今のしゅーじは自分のことで精一杯に見えて、だからおれのそんな事情を話したところで心配してくれるかわからなかったから。
しゅーじは優しい。優しくて、かっこいい。けど、今のしゅーじは自分のことで精一杯だから。……おれのそういう事情を知ったところで、って感じだし。
「ッ……とにかく、ついてきてもらう。今までにもこうしたことがあったのなら、それ含めて本部で聞かせてもらう」
おそらく、ボーダーの機密事項とやらをおれが目撃してしまっていないかの確認を取りたい、という所だろう。別に見てないから、いいと思うんだけどなぁ。きっとボーダーからしたらボーダーとして確信が持てるようにしておきたいのだろう。不確定要素や不振な要素は、組織として取り除くべきだろうし。
苦しげにおれを見るしゅーじの言葉に、おれはゆっくりと首を手にして頷いた。別に、幼馴染を困らせたいとは考えていないから。
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