探偵の技能

目の前に関わりたくない人達がいる。こんな時の私の行動は逃げる一択のはずだ。異論は認めん。
なのに、この状況は何だ。

「本当にすみません、僕の不注意で…。」

そう言いながら、安室さんは私の前にカフェオレを置く。ここは喫茶ポアロの中で、私達は一番窓際のコーナー席で話をしている。右隣にはコナンくん。お盆で飲み物を持ってきた安室さんはそのまま私の左隣に断りを入れて座ってくる。カウンター内にいる梓さんは、興味深げにこちらを伺っているようだ。

安室さんの声色は本当に申し訳なさそうだが、私は彼の内面を紙面上でではあるが知っている故、気を許す事はできない。
しかしこの男、顔が良い。本当に顔が良い。
というか、安室透はコナンキャラクターの中で一番好きなキャラだった。顔だけでなく内面も好ましく思っていた私は、気を許せないことは事実でもニヤける頬を抑えるのに必死だ。

「ありがとうございます。大丈夫ですよ、ちょっと手を切っただけでここまでして貰っちゃって、逆に申し訳ないです」
「そんな事無いですよ。ミョウジさんの手に傷が残ってしまうようなことがあれば、悔やんでも悔やみきれませんからね…。はい、コナンくんはオレンジジュースで良かったかな?」
「ありがとう、安室さん!」

何だこの茶番劇は。コナンくん、珈琲でもいいんだよ。私は気にしないから。
少女漫画顔負けの出会い方をした私は、情けない事に地面に転んだ時受け身を取り切れず、少しの擦り傷を手に作ってしまった。とは言うものの、さほど気になるものでもなかったので手を抑えつつ「大丈夫です、すみませんでした」とそそくさ退散しようとした。が、しかしそうは探偵が卸さない。
「あ、お姉さん怪我してるよ」なんて言われたが最後、あれよあれよとこの喫茶ポアロへ誘導されていた。道中自己紹介を受けたが、そりゃあ知ってましたよ。どれだけ読み込んだと思ってるんですか。
しかし、ある意味危険人物であるこの二人にこんなほいほいと着いてきてしまう軽率さと流され易さには、自分の事ながら呆れてしまう。もう少し確りとせねば。

というか、このコンビは実際予想だにしていなかった。正直大好きな人達の前なのでそわそわしてしまう。コナンくんって、安室さんが公安だって分かるまではかなり警戒していなかったっけ?何で一緒に歩いていたんだろうか。

取り敢えず、当たり障りのない質問でこの場をどうにか乗り越えよう。疑いを持たれてはいけない。そう、私は何も知らない一般人だ。

「えっと、お二人はご兄弟ですか?」
「はは、まさか。コナンくんはこの上の毛利探偵事務所の子ですよ。毛利小五郎さんはご存知で?」
「ええ、まぁ。街の有名人ですからね」
「ていうか、ナマエお姉さんって隣のアパートに住んでるよね。多分一か月前くらいから」
「っえ!?」

期間まで当てられて動揺が丸出しとなってしまった。思わず声を上げコナンくんを見やると、してやったりというような笑顔でこちらを見つめていた。

「学校に行く時によく見かけたよ。小五郎のおじさんの事ちらちら見てたよね、もしかしてファンなの?」

ぐっ、つい好奇心で見ていたの気付かれてる…!
まさか認識されていたとは。やっぱり私は隠し事には向いていないらしい。

「や、やっぱり有名人だと、気になって…。ミーハー心と言いますか、別にファンという訳では。現にコナンくんのことも知りませんでしたし…!」
「そーなんだ!じゃあ安室さんの事は?」
「…こちらで働いている方、ですよね。すみません。余り家の周りに興味が無かったので、それ以外は特に」
「…ふーん」

コナンくんはそう言ってチビりとオレンジジュースを飲む。探偵としてのポテンシャルの高さを見せつけられて私の方はもう既にボロボロだ。嘘だよ、本当は凄く興味あるよ…!
しかし、そこに安室さんが切り込んでくる。

「何か他に頼みたいメニューはありますか?何でも作りますよ」
「いえ、大丈夫です」
「まぁそう言わずに。割と有名なメニューもあるんですよ」
「あぁ、ハムサンドですよね」
「はい。…あれ、おかしいですね。こちらに興味は無かったのでは?興味のない喫茶の看板メニューを言い当てるとは、記憶力が良いんですねぇ」
「……考えすぎなのでは?家も近いし、風の噂で聞いたんです」
「そうですか、それは失礼しました」

もうダメだ、これ以上ここに居ると私はボロを出し続けてしまう。ミーハー心なんて知らん。もう怖いから退散、撤退。これに限る。

でもやっぱり、憧れの人物と少しとはいえ会話らしきものができた事に多少舞い上がるくらいは許して貰えるだろう。どうせこれ限りだし。

「コーヒーご馳走でした。…もうお暇しますね」
「えーっ、もう行っちゃうの〜?まだお姉さんとお話したかったなぁ」
「ごめんなさい、コナンくん。私も家でやることがあって…」
「そっかぁ…。じゃあまた僕とお話してくれる?」
「え?」
「お隣さんだし、また会ったらお話しようね!」
「あー、その…」
「ね!」
「……………はい」





彼女が立ち去った後のポアロには静寂が満ちている。梓さんはコナンくんをドアの方まで見送りに行っており、他に客のいないこの時間帯に店の中にいるのは、テーブルを拭いている安室一人である。

元々梓さんからお使いを頼まれていた帰り道にこの少年と会い、内心嫌がっているだろう彼を無理矢理押し切って一緒に歩いていた時、曲がり角のミラーに下を向いて歩いている彼女、ミョウジナマエの姿が見えた。

一か月前くらいから、その視線を頻繁に感じるようになった。本人は隠しているつもりかもしれないが、彼や自分からしてみればバレバレもいい所だ。別に視線には慣れたものであり、そこはさして気にもならなかったが、問題はその探るような視線があの小学生探偵にも向いている所にある。
どうやら彼と彼女の間に関わり合いはない様子だ。ならば何故、一見は普通の小学生である彼に、そのような好奇の目線を向けるのだろうか。彼と碌な関わりも無いはずなのに、彼がもしかしたら見た目とはかけ離れた頭脳を持っているかもしれないと、自分と同じように考えているのだろうか。

特に警戒する程でもないが、顔見知りになっておく事にデメリットは無いはずだ。
そう考え、態と曲がり角を曲がってきた彼女にぶつかった。思ったよりも彼女の身体が軽かったのは誤算だったが。

カランと音を立ててドアが開き、梓が店内へと戻ってくる。

「今日も良い天気ですねー。あ、安室さん、そこの洗い物お願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろんです」

カウンター内に立ち、スポンジを泡立てながらも安室は熟考する。
ここで話してみて矢張り疑念は深まった。まず安室の顔を遂に一度もまともに見なかった。目はうろうろと泳ぎ、作る笑みも何処かぎこちない。まぁ、これまでそういった対応をしてくる女性には何度か会った事があるし、これは良いとしよう。
しかし、一番の違和感はコナンに対して敬語を使っている点だ。毛利小五郎を名前を知っている程度の認識なら、何故あの少年に最初から丁寧な言葉を使うのだろう。そういう性格と言われてしまえば、それ迄ではあるが。
少しづつではあるが疑いは降り積もる。気にしすぎて悪い事は無いのだし、適度に関わりを持っておこう。

とは言え深入りは良くない。
もし、彼女が自分達の国に、この日本に仇なす存在であった場合はーーー。

「…………杞憂だと、いいんだけどな」

喫茶ポアロの午後は、緩やかに過ぎていく。