流れとはかくも

スナックお登勢の前では、青色の着物を着た若い女性が暖簾を片付けている最中だった。近付いてきた私達に気付くと、軽く会釈をしてくる。一つ一つの所作がとても綺麗だ。自然と自分の姿勢が伸びるのを感じると同時に、緊張で喉のあたりが苦しくなる。
緑髪の彼女は鈴の音のような声で話しかけてきた。

「こんばんは、銀時様」
「うす。おいたま、バーさんいるよな」
「ええ、いますよ。お登勢様、銀時様です」

彼女が引き戸を開けると、中から煌々とした灯りが漏れるのと同時に微かな流水音と大きな笑い声が聞こえてきた。流水音は直ぐに止まり、中から1人の妙齢の女性が出てくる。濡羽色の着物に身を固めたその女性は坂田さんの姿を認めた後、私へとちらりと目線を向けてきた。が、それも一瞬で直ぐに坂田さんにキツい表情を向ける。

「何だい、今日はもう店はお終いだよ。今追い出し作業中なんだ。さっさと上行って寝な、この腐れ天パ」
「いやー、俺もそうしたい所山々なんだけどさあ。ちょっとお頼みしたいことがあってだな」
「頼み事だぁ?家賃滞納させてる奴の頼み事なんて聞く義理は無いんじゃないかねぇ」
「オイオイ、そんな事言ってっと一人のか弱い女の子が野宿まっしぐらだぜ?」

坂田さんがそう言うと、女性の目が今度こそしっかりと私を捉えた。ガチガチになっている私を凝視した後に、女性はまた硬い声で坂田さんに話しかけた。

「………もしかして、この子のことを言ってんのかい、アンタ」
「ご名答」
「……碌でもない奴だとは前から思っていたが、こんな年頃の子に手を出すようになったとは情けない話だね……。見損なったよ、銀時」
「ふざけんなよババァ!!!そんなんじゃねぇよ痴呆も大概にしろやコラ!!」
「いきなり叫び出すんじゃないよ、その子が怖がってるじゃないか」
「ねぇ何で?何で俺が加害者になってんの?寧ろ俺いい人ポジだったよ?」

テンポ良く繰り出される言い合いに目を白黒とさせていると、いつの間にか目の前の女性がこちらに回ってきて私の体を店の方へと押していた。事の成り行きを静観していた緑髪の女性も、取り外した暖簾を手に店内へと一緒に入る。
なされるがままに中に入ると、騒がしさが外で聞いたものの二割増となったが、先程の男達とは違い気持ちの良いその笑い声は何処か体の緊張を解してくれた。
私の背を押していた、お登勢さんというのであろう女性が、店の外で口をヒクヒクとさせている坂田さんに向かって言い放った。

「要はこの子を取り敢えず一晩引き取れば良いんだろ。まぁ、そうしてやる事に吝かではないんだけど…。なぁたま」
「はい。明朝お伺いに参りますので、これ迄の溜まった家賃、耳揃えてお支払いくださいね、銀時様」
「ハァァ?この間お前らから他所の手伝いの依頼受けてやっただろ!!」
「それとこれとは別件さ。それとも何かい?アンタはこの子をこの寒空の下野宿まっしぐらにさせるのかい?」

坂田さんは先程の自分のセリフも使われ、ぐうの音も出ないらしい。というか、こんなトントン拍子に話が進んでるが、当の私が何も言わないって何なんだ。ダメだろ。
私はなけなしの勇気を振り絞って声をかけた。

「あ、あの、お登勢さんとお呼びすればよろしいですか?」
「ん?あぁ、好きにしな」
「ありがとうございます。えっと、私はミョウジナマエと申します。お察し頂けてる通り、実は只今家に帰れない事情がありまして…」

怪訝そうな表情でお登勢さんはこちらを見つめる。そりゃそうですよね、警察行けって話ですよね…!
でも、こちらにも警察に行くに行けない事情というものがある。しかも、その事情を詳しくお話出来ないところが情けない。

「…詳しい説明ができないのは本当に申し訳ないですし、いきなりの事で皆さんからしてみれば不審な輩に見えると思いますが、どうか、どうか今夜一晩だけ泊まらせて頂けないでしょうか!」

精一杯の気持ちを込めて頭を下げる。ここで見捨てられてしまったら私は冗談ではなく野宿行きだし、仮に泊めてもらえるとしても、こうした誠意は態度で表さないと失礼だ。
地面を見つめて何秒が経過しただろう。頭の上で溜息がひとつ零れ、呆れたような声が聞こえた。

「ここまでされて駄目っていう程、冷酷な女じゃないよアタシは。それに…」

そこで言葉を区切ったお登勢さんは少しこちらに近付くと、まだ下げていた私の頭を軽く叩く。しかし、そこに悪意は微塵も感じられず、それどろか少しの優しささえ感じられた。

「十代のガキがそんなに無理するんじゃないよ。今時、アンタぐらいの年頃のやつは、周りからの厚意をさも当然のように享受するもんだろ?アンタはちょっと卑屈すぎるぐらいさ」
「え…」

ガバリと顔を上げると、声色に反して慈愛すら垣間見える表情をお登勢さんは浮かべていた。予測していなかったぶっきらぼうながら優しい言葉とその表情に、今まで押し込めていた感情が顔を覗かせる。それは不覚にも目の端に溜まり、一粒の水滴となってナマエの頬を濡らした。喉から漏れる引きつった声と、拭っても拭っても後から流れてくるそれが何だか恥ずかしくて、結局また顔を俯かせてしまう。いつの間にか隣にはあの緑髪の女性が立ち、背中を優しく摩ってくれていた。

「……体調悪いみたいだし、奥行って休んどきな。おい銀時、明日家賃徴収ついでに話があるからそのつもりでな」
「…あぁ、宜しくな」
「アンタに言われるまでもないね。オラ酔いどれ共!アンタ達ももう出ていくんだよ!」
「カエッテカミサンノムネニダキツイテナ、クソジジイ!」

お登勢さんがそう告げると、中に居た何故か頭に猫耳の付いている女性が客を追い出しにかかった。きっちり勘定を終え、ぞろぞろと明るい店内からもう真っ暗になった外へと出て行く。反対に私はタマさんに連れられ、店の奥へとゆっくり足を進め始めた。

ちらりと背後を振り返ると、閉まっていく扉から見えた坂田さんは暗がりの中、店の明かりに照らされながら一人、微かに笑ってこちらに手を振っていた。彼に会わなければ、私はきっとあのネオンの下で全く違う道を辿っていただろう。そう言えば、碌にお礼も言えてない

ダラっとした、でもどこか人を安心させてくれる、そんな空気を持った不思議な人。

取り敢えず、明日必ず伺おうと思いながら、私は私の救世主に、涙でボロボロの酷い顔で微笑みながら手を振り返すのだった。