Hand Made
美とは悠久であり、歴史として財産として後世に残すべき遺産である。
芸術と美は紙一重、そして対照的に矛盾しているのだと私は痛感する。
師の遺した技術は私の細胞一つ一つに影響を与えたが、私は傀儡を芸術だとは思えない時がある。(師は永遠の芸術だと揶揄していたが)傀儡は美なのだ。
己の手で築きあげる美は心の全てを見抜く。気味が悪いと避ける者は美を感じる事の出来ない感性が乏しい忍なのだろう。
師の造る傀儡は確かに芸術であり美そのものだった。私が一生掛かっても越えられない壁が其処にはある。いくら技術が追い付こうが私には死人を超える事は出来ないのだ。
転がりっぱなしの巻物もインキの香りが充満した作業場も破れたままの紙鑢も全てが美の源なのだ。
夫が帰ってくるまでに"烏"と"山椒魚"の点検と剥がれた塗装の塗り直しを終わらせなければならない。
夫は芸術や美には疎いが傀儡に対する愛は誰よりも深い。私が夫に惹かれた理由は数え切れやしないが、それも理由の一つなのだから憎めない人である。
かつて師の毒で苦しみ、師が認め己の傀儡を託したあの男も今や私の夫なのである。師が生きていたら、必ず反対するだろうと考えれば笑みが溢れる。師の死からは十年近く経つだろうか。今でも欠かさず週末には墓へ足を運び、毎朝仏壇に手を合わせている。
「思えば、"烏"も"山椒魚"も貴方が作ったものですね。夫が受け継いできっと次も立派な傀儡師が受け継いでいくはずです。これが貴方が望んだ永久の芸術なのですね、師匠…いえ、サソリ。」
私は"烏"の頭を抱えて態とらしくカタカタと鳴らしてやる。少し寂しさが込み上げ、夫の真似をして「終演」なんて言ってみても広い作業場に自分の声が響くだけである。家族写真の中で無邪気に笑う幼い頃の師だけがそれを見ていたようで羞恥心に似た感情が後から遅れてやってきた。
「カンクロウさんには内緒ね。」
人差し指を口に当てる。桃色のグロスが指の横につき、ラメと桃色がキラキラと反射した。
すっかり平和になってしまい、忍びを目指す子供も徐々に少なくなっていると聞く。(まだ実感はないもののニュースでやっていた為そうなのだろう)
傀儡の売れ行きや、修繕依頼もまちまちになってきたのは家計簿の収支から手に取るように分かる。ただ、忍びが絶滅した訳でもなければ傀儡師が消えた訳でもない。まだ傀儡隊はあるし、常連傀儡師だって多くいる。アカデミーで傀儡を習う少年少女もいるわけで。
傀儡職人を続け、何十年後か師と私の技術が新たな後継者に受け継がれる時には「永遠の美々しさ」を知り、私は師を超えるのだろうか。
遠くに聞こえるこれからの忍の世を担うであろう、アカデミー生の無邪気な声に頬が緩んだ。