“化物”の始まり




――少年

何とも薄汚れた部屋だった。
灰色のコンクリートで四方を囲まれた部屋には、ベッドと、トイレがある個室への扉と、出入口しかない。
ベッドのシーツは白いが、床は埃っぽいし、天井には蜘蛛の巣がはっている。
鉄格子を嵌めてしまえば牢屋が出来上がりそうな、冷たい部屋だ。

白衣を着た人々に連れてこられて早一日。ずっとこの部屋の中に入れられている。

いつも通り、仲間たちと腹の足しになるものを探してたら突然捕まって、身ぐるみを剥がされてこの部屋に押し込まれた。
何かされると思ったけど、特に何も起こらず、しかも食事までちゃんと与えられた。

捕まえてきた人も、食事をくれる人も皆白衣を着ていた。
入れられる際に着せられた服はなんとなく病院服に似ている。
ここは病院施設みたいなところなんだろうか。

どうして僕はここに連れてこられたんだろう。
他の皆は何をしているだろうか。

さっきご飯を食べてお腹一杯になったからか眠い。
この部屋ではすることもないし、ベッドで横になろうか。

このまま、何もないといいな。



+++

――エルフと子狐

「エッフィーは何で一人暮らししようと思ったんだ?」

ぴこぴこと尖った耳を動かしながら訊ねてきた祢孤(ねこ)の頭に、魔法で浮かせた空のビーカーを一つ命中させた。
「でっ!?」という悲鳴を上げ、小さい体が床に倒れジタバタと痛みに悶える。

「っなにすんだよ!!」
「珍妙な呼び方をするなと何度言ったら分かるんだ」
「だってエフィテの名前長いんだもん……で、何で一人暮らしを始めたんだ?」

ぴょんと飛び起き、わざわざ寄ってきてこちらを見上げてくる。
幼体故に、まだひとつしかないアーモンドに似た形の尾がふわふわと揺れているところを見ると、話題を切るつもりはなさそうだ。
面倒な。

「一度しか言わんぞ。あの場所では偏った知識しか得られんからだ」
「得られない?でも、あっちにいは色んな本があるんだろ?たくさん知れるんじゃないのか?」
「俺達側の事ならな。しかし、他の面の知識…特に人間側の思考や技術は何一つ知ることはできない。知ろうとすることすらできない。だからだ」
「ふぅーん……」

深い青を宿した瞳を瞬かせながら、祢孤がその体を足元に擦り寄せてくる。
外に出た最初の収穫は、順調に従順さを見せるようになった。
これから大きくなるにつれて何を与えてくれるか楽しみだ。

垣間見せた素直さに、少しばかり気分が良い。

「ところで祢孤。お前はこの世界で最も愚かな生き物はなんだと思う?」
「へ?何だよ急に?」
「いいから答えろ」

顔をしかめて「横暴だ」などと呟きながら祢孤は頭を捻り始める。
うんうん唸りながら考えていたが、その内耳と尾をしゅんと垂らしながらこちらを見上げてきた。

「分かんない……」
「全く、いつまで経ってもお前は無知だな」
「うぐっ…そ、それは育ての親の教育がいけないんだ!責任を持って色々と教えてくれるべきお前が怠けてるのが悪い!」
「ほぅ……後で覚えておけ祢孤……まあ、それでもたまにはちゃんと教育してやるのもいいだろう。よく聞け」

腰を下ろして、垂れた金色の耳を上向かせる。
ピクピクと耳を動かして聞く体勢をとる姿に笑みが溢れた。

「この世界で愚かな生き物は、知性のある生き物だ。
そして、最も愚かなのは知恵を持ち、秩序を持ち、力を持ち、感情を持ち、全てを動かし得る頂点にいると勘違いをしている生き物。
覚えておくと良い。世界で最も愚かで、賢く、脆く、残虐なのは……人間だ」



+++

――少女

手に持っていたカップをテーブルに下ろすと、父は思い出したようにこう言った。

「ルミネッタ。明日お前に良いものを見せてやろう」

父の弾んだ声音に私は首を傾げた。

「良い、もの?なぁに、それ」
「なに……見てからのお楽しみだ。きっとお前も気に入るだろう」
「ふぅん……」

父は皺の増えた顔にもっと皺をよせて微笑む。
こんなに楽しげな顔を見るのは本当に久しぶりだ。
相当、明日何かを見せることが楽しみなんだろう。

だけど、私は楽しみにという気持ちにはなれなかった。

小さい頃なら楽しげな父を見て、つられるように笑えたかもしれない。
大好きな父が自分に何をしてくれるか、期待ができたかもしれない。
今の私には、父の言葉を純粋に受け取ることができない。


そろそろと言って、父が仕事に戻る支度を始める。
年季によってよれた白衣を着込むと、荷物を持って父は家を出た。

職場である研究所は家からそう遠くない。
父子家庭で昼間はずっと一人の私を気遣って、父は毎日わざわざお昼に一旦帰ってきてくれる。
お陰で母を亡くした私が寂しさを感じたことはほとんどない。
優しくて、真面目で、大好きな自慢の父親。

だけど、私は父を信じられない。
あの日、父の職場で見た光景が忘れないから。
あの、悲しい瞳が頭から離れてくれないから。
父が、何も教えてくれないから。

ねぇ、パパ。
今日もいつもの地下室で研究してるの?

一体、何を研究しているの?


何も聞けない自分が大嫌いだ。


+++


――???

ここはどこだろう?


どうしてボクはここにいるんだろう?

どうしてボクは動けるんだろう?

どうしてボクはいるんだらう?

どうしてボクは生まれたんだろう?

どうしてボクは心を持ってしまったんだろう?

どうしてボクは出会ってしまったんだろう?

どうしてボクは



どうしてボクは、今も生きているんだろう?

どうしてボクは死なないんだろう?
呼吸する必要もないくせに。
食べる必要もないくせに。
考える必要もないくせに。

大事な友達を犠牲にしたくせに。

どうして、
どうして、
どうしてボクは、
どうしてボクは、
どうしてボクは、
どうしてボクは、君を見つけてしまったんだろう。
どうしてボクは、君に見つかってしまったんだろう。
どうしてボクは、君に化けたんだろう。
どうしてボクは、君と触れ合ってしまったんだろう。
どうしてボクは、君のようになりたいと思ってしまったんだろう。


「ごめんなさい」


ボクは、今すぐ、

消えてなくなりたいよ。




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