-異形・言葉・憎悪-



「うっわ!?何あれ気色悪っ!!」

凪沙の悲鳴に合わせてその何かが体を蠢かせる。

それは全長がゆうに五メートルはあるだろうか。数えきれぬ程細かい足がびっしりと体に対で並ぶその姿は、まるで百足のようだ。
しかし、どす黒く染まったその体色が百足成らざるものに圧倒的な威圧感を与えている。


異形。


それは声ならぬ声をあげゆっくりとこちらに近づいてくる。

当然ながら下手物が苦手だろう凪沙は近づく度に一歩、また一歩と後退った。


「紅苑、さん・・・」


不安気な杏架の声が小さく響く。

それを感じ取ったのか百足は頭部を小刻みに揺らした。

まるで笑うかのように。

少しずつ、少しずつ奴は近づいている。


「紅苑さん・・・!」


先より明らかに恐れを含む声。
小さな掌を強く握りしめて杏架が怯える。


『――――・・・』


不意に、その姿が何時かの風景と重なった気がした。
そして、



「・・・大丈夫だ」



「・・・・・・え?」

「大丈夫だ、杏架」


根拠はない、けれど自然に唇からそんな言葉が漏れた。
不思議そうに見上げてくる杏架から視線を外し異形を睨み付ける。


そして紅苑は体が動くままに地面を蹴り出していた。



「紅苑っ!!?」

凪沙の驚愕の声が背中にぶつかる。

それもそうだろう。
誰だってあんな巨体に向かっていこうという気は起こさない筈だ。

けれど俺は走り出した。

理由はない。
だけど思ったのだ。


“あいつは決して、俺の恐怖対象には成り得ない”と。


異形が金切り声をあげ、その長い身体を鞭のように振り回す。
だがそれを勝手に動く体はいとも簡単に避けた。

その次も、さらに次も避けた、避けられた。
今、俺の体は記憶に残っていない過去に染み付いた記憶が動かしている。


「・・・ふっ・・・!」

小さく息を吐き出すと、紅苑は異形との間合いを素早く詰めた。

異形が寄るなと言わんばかりに胴体をしならせる。
それすらも体の記憶はあっさりと回避して見せ、流れる動作で異形の間近に滑り込む。


「っ・・・はあっ!!」

気迫と共にまず初撃。
二つ、三つと相手の攻撃を最小限の動きで避けながら打撃を加えてゆく。


心が何かを叫んでいる。


それに従うままに彼は異形への打撃を重ねた。

百足の腹と腹の間には手刀を。
関節と関節の間に蹴りを。
激しく動きながら、それでも一発一発敵の弱点を正確につく。



ほんの僅かな攻防で、相手は目に見えて弱っていた。

紅苑はそれを見抜くと一度異形から距離をとる。


すると案の定異形は身を翻して逃走を試みる。だが、そんなことは許さない。
走り、追い詰めた先で拳を振り翳す。


「タハヒィア、リネェ、リェヨフキィン(異なる、滅、闇にあり)」

「エィ、ソクツィワク、ヒクァーヅオシィコテ(我、継承、汝を還す)」


唇から漏れ出す言葉。
知らない筈なのに、どこか懐かしさを感じる言の葉。

意味は分からない。けど、その言霊は確かに意味を持って外に溢れていく。


すると突然異形の身体から白煙が上がり出した。
相手は信じられないと言うように動きを止め、身震いする。


『ザユグォ・・・ミ゙ィ!』
「スクォウ!(消えろ!)」


有らん限りの声で最後の言の葉叫ぶと、紅苑は異形に向け、拳を振り下ろす。

全体重をのせた一撃。

刹那、瞬く閃光。

とてつもない光量に、しかし目を見開いたまま掌に意識を集める。
漆黒を削る感覚、触れたであろう身体が消滅していく確信。

時間にして一秒にも満たない。
だがその間に異形の身体は三分の一になり、残った体も徐々に光となって虚空に消えていく。



見たことがある光景だった。
けれど覚えのない光景であった。



紅苑は異形からゆっくりと離れる。
異形はその小さな瞳を煌々とギラつかせながら口に当たる器官から音を発した。


『・・・エジィバグェヤグェオリネ゙デルマ!!ブズェグ!ブズェニヲヅィグ“シズェ”・・・!!!!』




呪怨の響きを最後に黒が空に溶け消える。


その様子を見届けてから、半ば放心状態で紅苑はその場に膝を折った。
どこを見るでもなくただ呆然として、先程の言葉を思い出す。



―ブズェニヲヅィグ“シズェ”―


自分が意味も知らずに使った言葉とどこか似ていて、それでいて正反対な言の葉。

やはり覚えのない響き。

されど、奴が最期に言った言葉は何故か理解できた。できてしまった。

奴はこう言ったのだ。



『憎たらしい“嘉戯”』と・・・。




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