
今日の寝床は少し年期の入った宿屋。部屋には簡素なベッドと木製の椅子。
「ハァ…………」
大きく息を吐いて勢いよくジャケットを椅子の上に脱ぎ捨てる。ついでに腰にぶら下がってた小煩い銃―ナズもその上に放り捨てる。
軽くなった体で倒れ込むようにベッドにダイブして枕に顔を埋める。
歩きで疲れた両の足が静かに悲鳴をあげていた。
「フゥ……」
『なーにらしくもなく艶かしい溜め息なんて吐いちゃってんのリット?』
もう一度息を吐くと隣から生意気な男性の声が上がった。
声は尚も続く。
『なぁリットー。いきなり放り投げるとか酷くない?俺いまヒマヒマ、ちょーヒマだよー。ねぇねぇ構ってよリットー?溜め息ぐらいしか色気の無いリットちゃーん』
カタカタと銃が音を立てナズの喋り声が部屋に響く。少々、いやかなり失礼なことを吐き散らしてる気がする。しかしそれを無視して思考に没頭した。
枕に顔を埋めたままうっすらと目を開ける。見えるのは白い枕とそれと対照的な黒。自分の癖の強い黒髪をぼぅっと眺める。
『リグゼートの髪は影みたいに黒いね』
懐かしい声が蘇るように頭に響く。
幼い頃そう言われて自分はもっと他に例えがなかったのか!と怒ったりした。それも遠い話。
『リットー無視しないでよー!寂しい!お兄ちゃん寂しいのリットちゃん!素敵な素敵なリットちゃん!』
そういえば眼の色も評価された記憶がある。なんと言われたか……。
『眼の色はさ!可愛いカマキリみたいだよね!』
酷い例えようだ。
まだ葉っぱの色と言われた方が幾分もマシだ。アイツのものの見方にボクはいつも度肝を抜かれた。
それくらい突拍子もないやつだった。
ボクはきっと、そんな彼が好きだった。
能天気で思考がどこかズレてたけど優しくて温かかった。遊びと称して首に抱きついてみたことがあった。彼は困ったように眉を下げてたけど、頬は柔らかく緩んで口元は確かに笑みを浮かべていた。
楽しかった。
傍に居るだけで嬉しかった。
たまに見せる力強い眼に惹かれた。
優しく語りかけてくれる姿が、大好きだった。
『リットの馬鹿!俺嫌いになるよ?!リットのこと嫌っちゃうんだから馬鹿ぁ!』
ナズが構って貰えなくて本格的に喚き出した。リット、リットちゃん!、リット御姉様ぁ!などと略称を連呼してくる。
そういえばナズも最初は別のあだ名でボクを呼ぼうとしていた。だけどそれを拒否して無理矢理今のモノに落ち着かせたのだ。
あの呼び名は、彼だけでいい。
『リグゼートって名前さ、ちょっと長いよね。それに男の子みたい』
『別にいいじゃん、ボクは気に入ってるし。第一女だって舐められることもないだろ?』
『名前負けしちゃう気がするよ?』
『うっせー!』
『ハハハ!ねぇリグゼート?君の呼び名を考えていい』
『何ソレ?自由にすれば?』
『やった!じゃあねぇじゃあねぇ、リグゼートだから“リグ”って呼んでいい?』
『ブふッ!!何だよその安直な名前は?もうちょい捻れよな!』
『駄目?』
『む……べ、別にいいけど……』
『良かった、じゃあ改めてよろしくねリグ!』
誰でもすぐに思い付くような名前、だけど不思議と心地好くて。彼がそう呼ぶならいいと許したらその後鬱陶しいぐらい連呼された、余程嬉しかったらしい。
思い出すだけで堪えきれない気持ちが外へ外へと溢れだそうとしてくる。歯を喰い縛って、下唇を噛んで耐えた。
『―!――……て、およ?リットったら泣いてるの?』
「……お前いい加減黙れ」
ぽつりと呟くようにナズを黙らせる。別に泣いてないだなんて反論したら絶対ナズは調子に乗るから言わない。うざったいから。
『ほほう……さてはまた焦がれちゃった?彼思い出しちゃった?』
「……ナズの癖に勘がいいな」
『今日うまくいかなかったからねー。逃げちゃったし』
「……前言撤回、黙れ」
『ひぃ怖っ!』
それっきり気を使ってかナズは黙りこんだ。まぁその内また喋りだすだろうから、束の間の休息を思いっきり堪能させてもらおう。
再び顔を枕に沈める。静かな室内、己の鼓動がうるさいくらい響いてくる。
胸の奥がズキリと傷んだ。瞼にじんわりと熱が集まり、視界が歪む。
ぎゅっと眼を閉じて体を丸めてうずくまった。
『リグ!ほら、一緒に遊ぼうよ!』
「―――……!」
声無き声で彼の名を呟く。
ねぇ君はドコに行ったの?
ボクはこんなにも君を感じたくて仕方ないのに。
こんなに恋い焦がれてるボクは愚か者ですか?
好きです。
大好きです。
会いたい想いだけが毎日募る。
二人並んで過ごしたあの日々を胸に抱いたまま、リグゼート・フィキナは眠りについた。
