
「ありがとうございました!」
満点の笑みでぺこりと頭を下げたのは先程倒れていた少女だ。
空腹時に比べ、現在は元気一杯という感じに瞳を爛々と輝かせている。
「あぁ、それは良かったな」
彼らが居るのは青年が宿泊を決めた宿屋である。
料理は宿の女将に事情を話したところ「若い子が腹を空かせてるなんて体に悪いよ!」と言って、気前良くサービスしてくれたものだ。
お陰で少女は大きな声を出せるくらい回復した。
「こんなご親切にしていただきとても嬉しいです!命の恩人さん!本当にありがとう!」
「命の・・・恩人・・・さん?」
なんとも微妙な敬語で喋る少女に、青年は先程から苦い顔で見ている。
「ところで、お前」
「はい?」
「なんであんな林の中で倒れていたんだ?」
「えーっと・・・えと、あのー・・・」
少女は口ごもり視線をさ迷わせる。
「・・・どうしたんだ?」
「その・・・覚えがなくて・・・」
「なに?」
「なんででしょう〜・・・なんでわたしは林の中で寝てたんですかね?」
「・・・俺に聞くな」
「あ、そうですねごめんなさい」
ぺこりと頭を下げ謝罪する少女。
彼はその様子に頭を押さえた。
「・・・それじゃあ質問を変える。お前」
「はいです?」
「・・・名前は?
呼ぶ度に「お前」というのもそろそろ失礼だからな・・・教えてもらってもいいか?」
「あのですね・・・私の名前は・・・。
・・・・・・杏架・・・」
「キョウカ?」
「はい!杏架!
私の名前は・・・い、泉杏架です!」
少女―杏架は何故か嬉しそうに何度も自らの名を繰り返す。
「杏架か・・・良い、名前だな」
青年は目元を軽く緩ませよくある世辞を言う。
彼にとってそれは意味ある言葉ではなかった。
ただ一般的な、初対面の者同士の関係を少しでも良く始めるためのものだった。
しかし杏架はそれを聞いて数倍目を輝かせる。
『そんなに上手い世辞でもないのに』と青年が首を傾げていると、杏架は嬉々とした声で大変な一言を言ってくれた。
「良い名前ですか?良かった!
今考えたから変じゃなくて!」
「・・・・・・・・・・・・は?
い・・・ま??」
「はい!私名前も覚えてないんですよ。
だから今考えました!」
「そう・・・か」
杏架(仮名)の言葉に彼は頷くしかなかった。
それも当然である。
普通ならば信じられない事態なのだ。
しかし、当の本人は記憶喪失であることをものともせず笑っている。
果たして彼女は精神が強い人間なのか、それともただ単に、ポジティブ思考の頭のネジが緩い人間なのか・・・。
「そういえば命の恩人さんはなんという名前なんですか?」
杏架が笑顔で青年に問う。
「俺か?俺は・・・」
青年はまるで声が喉で詰まってしまった様に一瞬黙り込み。
苦しそうで、泣き出しそうでいて喜ばしいような複雑な表情で言った。
「俺は、紅苑。
嘉戯 紅苑(かぎ くおん)・・・」
