約束の在処
この時期の忙しなさは自分にも降り掛かって来るもので。
「ほな、六代目、お疲れさん」
「ええ、また」
定例幹部会が終わり、疲れ顔の大吾に声を掛ける。
本部の門に付けられた、部下が運転する車に乗り込む時に、ついつい「よっこらせ」と言った自分には気づかなかった。
「親父、ご苦労さんです」
「……ん?あぁ、おう」
労いの言葉への返事もそこそこに、スーツのネクタイを緩める。
次の予定は神室町ヒルズの案件か。
その後はなんだったか。
他の奴らに任せれば良いものもあったような。
それでも元来真面目な部分がある自分の性格を少し恨みつつ、車の窓ガラスに映るのは隈が増えた右目。
アイツが、なまえが見たらどう思うだろうか。
怪我が増えてないかだの、ちゃんと寝ているかだの質問攻めにあうだろうか。
心配性で、会う度に泣きそうな顔で必ず気にかけてくる。
かと思えば、笑い上戸で一度ツボが浅くなると些細な事でも延々と笑い続ける笑い袋になる。
クルクルと変わる表情や、真面目で少しばかり正義感の強いその性格に、何時の間にかどっぷりと浸かっていたと気付いたのは最近の事で。
そして、自分からの一言で名前が付けられた関係になった。
そんな、自分の女を思い浮かべる。
最近は互いに忙しく、なかなか会う時間も少ない。
少しでも空いた時間に声を掛けても、最近の返事は「ごめんなさい」の一言が多い。
タイミングが合わない時が増えた。
こんな生業をしている自分だって忙しい時。
年末年始など、関係のない仕事をしているなまえの事だ。
特に忙しいのだろう。
最後に会ったのは一週間程前。
そろそろ、明日あたり、また声をかけてみようか。
ぼんやりとしているうちに、車は神室町に到着。
天下一通り看板の前で降りる。
事務所までの道を人混みの中歩いていると、遠目に見えたなまえの姿。
ほんの少し足早になりながら、声を掛けようかとしたその時、隣に見えたもう一人。
「あ……?なんや、金貸しか」
チリリと走った感覚に居心地が悪くなって、天下一通りから泰平通りに進路変更。
こちらに気付かず、後ろ目に笑いながら通り過ぎる二人は、周りから見ればカップルに見えるかもしれない。
内心、鈍色の靄がかかった気がした。
翌日。
メッセージのやり取りの中、何となく。
会おうとは言わなかった。
それから一週間。
他愛のない連絡は一日に一度くらいはあるものの、会う事はないまま。
先日、己を掠めた鈍い感覚も和らいできた頃。
ミレニアムタワー最上階で一服中。
何となく声が聞きたくなって、一時間前に来た「仕事が終わった」のメッセージに返信する手を止め、通話ボタンを押す。
1コール
2コール
3コール
4コール……
出ないか、と切ろうと思ったその時。
「もしもし、」
久しぶりに聞く、なまえの声。
「おー、なまえ。今、平気か?」
「大丈夫ですよ。どうしたんです?」
「どうしたも何も。なまえちゃんがそろそろゴローちゃんの声、聞きたくなった頃やな、て思ってな」
「……はい!ふふふ、そうですね!何時だって聞きたいです」
電話口でクスクスとなまえは笑う。
ほんの少しだけ低めの、張りのある声。
聞けば分かる、関西混じりのイントネーション。
この声が、喋り方が好きで、何時までも聞いていたくなる。
そんな事を思いつつ会話をしていると、なまえの周りが賑やかな事に気付く。
「なんや、外に居るんか?」
「そうなんです。これから飲み会で」
「おお、仕事のやつか?」
「ううん、今日は違うんですけど、」
そう言いかけた所でもう一つ、電話口から聞こえた声。
「なまえちゃん!皆揃った……あ、ゴメン、電話中?」
「あ、城戸君。大丈夫!すぐ行く!……あの、ごめんなさい真島さん」
「おう、ええで。俺もまだまだ忙しいんやわ。ほな、またな」
「あ、はい、また」
通話終了。
通話時間二分半。
なぁーにが、大丈夫!すぐ行く!や。
聞こえた声の主は知らないが、なまえの声を聞くに、そこそこ仲の良さそうな男。
煙草に火を付けて、吸い込む。
「はぁぁ……」
日々忙殺されているからか、余裕のない己が情けない。
紫煙と共に出た深い溜息は、真冬の夜空に消えていった。
それから、一週間。
あの日の翌日に、謝罪から始まり、日頃仲良くしてくれている皆と忘年会でした、とメッセージが入っていた。
気にしいな性格のなまえらしい、相手を気遣うメッセージ。
気にせんでええ。楽しめたようで何よりや。
そう返すと、
とっても楽しかったです!
そう返ってきた。
結局その後も会える時間は無いまま、会わなくなって三週間が過ぎた。
あれから会わないか、と連絡してみるものの、やはりタイミングが合わず。
……そもそも。
付き合う前から現在に至るまで、なまえの方から一度たりとも「会いたい」だの「会いましょう」だのという言葉を聞いた事がない。
会う気が無いのだろうか。
いや、まさか。
燻っていく感情もそこそこに、本日も神室町へ繰り出す。
天下一通りのコンビニを出てミレニアムタワーに向かう途中。
泰平通りと劇場前の境、遠目に目立つ赤いスカジャンのチンピラ風の男。
と、なまえ。
それはそれは楽しそうに、ニコニコとしている。
モヤモヤと燻っていた、何とも言えない感情は可愛げの無いドス黒いものに変わって行った。
「なんや、これ」
怠い。
億劫な、感情。
「チッ……」
人知れずの舌打ちは、誰の耳にも届く事はない。
チンピラに丁寧に頭を下げているなまえ。
その光景を眺めていると、それぞれの道を歩き出す。
やり場のない苛立ちを募らせていると、後ろから声をかけられる。
「真島さんじゃないですか」
「あ?……なんや、金貸しかいな」
「秋山ですよ、真島さん」
苦笑いを浮かべる秋山。
此奴の事は好きでも嫌いでも無かったが、色々と余裕が無い事や先日の事、先程の事を鑑みる。
今現在「気に食わない」に位置しているのは明らかだった。
「あれ?真島さん、なんか怒ってます?」
「……アンタには関係無いことや」
「やだなァ、そんなにイラついちゃって」
やれやれ、と言いながらも余裕の笑み。
更にイライラが募る。
「用がないならもう行くで」
「ああ、引き止めちゃってすいませんね。……きっとそのうち、良い事がありますよ」
「……あ?」
聞き直す前に秋山は短い挨拶をして街に消えた。
「なんなんや」
秋山の一言に少しの疑問を抱えながら、事務所までの道を再び歩く。
何となく、事務所に直ぐには戻らず、屋上で一服しようと最上階に上がる。
考え事やぼんやりしたい時。
西田曰く、おセンチだという。
上がった先、柵に寄りかかる見覚えのある姿。
「なまえ……?」
「へっ!?……あっ、あ、ま、真島さん!」
上擦った声で目を見開くなまえ。
「なんで此処に居るんや?」
「あ、え、えーと、事務所には行きました……?」
「いや、まだ行ってへん」
そう言うとなまえは言いづらそうに、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「あ、あの、最近……私も忙しいし、真島さんも忙しいし……」
「おう、せやな」
「それで、あー、会えてないなて思ってて……」
「せやなぁ」
「あー……その、ご迷惑になりたくなくて、でも、あの、なんて言うんですか、その、ちょっと差し入れしようかな、なんて思いましてですね」
「おう」
「それで、友人とお買い物行って、事務所に伺ったんですけど、」
「……おお」
「えーと、うー……あー……」
つまり、会いたいと思っていたがお互いに忙しい手前、中々会えず、時間を見つけた時でも会いたいと言っては迷惑ではないか、と思っていたらしい。
それを、たまたま会った秋山に相談したら、奥手ななまえの為に集まった数人と飲み会と称した作戦会議が開かれた。
その奥手改善第一弾として、事務所に差し入れ、という事だったようで。
好みが分からず、差し入れ用の買い物に付き合ったのが、チンピラ風の男「城戸くん」だったようだ。
「なーんや、浮気かと思ったわ」
「へ!?ち、違……!!あの、何か色々、ごめんなさい……」
結果事務所に自分が居らず、もしかしたら屋上に居たら少し会えるかもしれないと、この寒空の下で待っていたらしい。
話して行くうちに、恥ずかしさと申し訳なさが入り交じり、徐々に蒸気していくなまえの頬の赤。
濁った感情の渦が戻っていく。
「ま、ええで。そないに俺の事思ってたんやったら許したるわ」
「ま、真島、さん」
「そのかわり。次からはちゃーんと俺に直接『会いたい』って言うんやで?」
「はい!」
「よっしゃ。ほれ、指切りや」
手袋を外し、自分より小さく細い指と指を絡める。
冷え切った、しかし柔らかな感触。
「ゆーびきりげんまん、」
お馴染みのリズムで約束すれば、なまえはニコニコと笑っている。
「うそついたら針千本のーます、」
約束を、結びきる瞬間に、
「約束やで、なまえ」
絡めたなまえの指に口付ける。
見る見るうちに真っ赤になるなまえの顔。
「俺は正直モンが好きなんや」
ゆーびきった。
何とも言えない表情の、最早茹でダコ状態のなまえの背を抱いて、屋上を後にする。
「さ、飯でも食いに行こか」
「……はい!」
約束がある。隣に居る。
心を満たすには十分だった。