02


「降谷」と名乗るこの男は、自分を"公安警察"だと言った。
私は二日前、堤無津川に転落した…らしい。
数十メートル流された所で奇跡的に発見され助け出されたが、意識不明のままこの病院に運ばれた。
両親は同じ日に、死んだ。
涙は不思議と出て来なかった。両親がもうこの世にいないという実感が無いせいだ。

先程まで一通り医者に診てもらっていた。
外傷は打撲と擦り傷だけだということ、そして事件前後の記憶だけ抜け落ちているのは、心因性の記憶障害だろうということ。
精神科医も紹介されたので、親が死んだのは嘘ではないみたいだ、と妙に冷静に悟ってしまった。

今は、目覚めた時にいた金髪の男ー降谷が戻って来ていた。彼は簡素な丸椅子を引き寄せて座ると、じっと何かを考えるように下を向いた。

「何も覚えていないのか…」

降谷は、落胆しているようにも見えた。
私も思い出そうと試みてはいた。
朝、どうして父の職場に行ったのか?私は両親と何をしていたのか?
様々な角度から考えてみたが、何も浮かんでこない。

少し苛立ちを覚えて、シーツを掛けた膝の上を両手の指で叩く。最近マスターしたプログラミング言語を空で描くと、頭が冴えてきて気分が良かった。学校の同級生には理解されない、秘密の趣味だ。
いつの間にか、降谷が顔を上げて私の指先を凝視していた。変なやつだと思われただろうと思ったが、意外にも彼の表情は真剣なままだ。

「君は…」

言いかけて、やめてしまった。
口許に手をあてて、何か考えている。
整った顔にかかる色素の薄い髪が、さらりと揺れる。
もう一度こっちを見てほしい。
何故かその時、強くそう思った。

「両親は、殺されたんですね」
「………ああ」

期待通り、目が合った。
私の言葉が意外だったようで、不思議なものを見るような表情をしていたが、ふっと突然口の端を上げた。

「君の事を、少し誤解していたようだ」
「え?」

笑った様に見えたのは一瞬で、再び降谷は厳しい表情に戻る。
実は感情豊かな人なのかもしれない。私は呑気にそんな事を思った。
私は感情も表情もフラットな方なので、少しだけ羨ましかった。

「私は、何か重要な事を知っているんでしょうか」
「可能性はある」
「警察は、それが欲しいんですね」
「…随分と冷静なんだな」
「何も憶えてませんから…」

自嘲気味に笑ったが、降谷の表情は動かない。じわりと目頭が熱くなった。悟られたくなくて、窓の外を見る。

「また後日、話を聞きに来る」

その声と共に、椅子が動く音。降谷が立ち上がっていた。

「君はまだ、感情が追いついていないだけだ」

また、目が合う。
闇を含んだ紺青の瞳。
その中に少しだけ、暖かな光が見えた気がした。



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