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「ままぁ」


『うん?』



ソファーに座る私の足元に抱き付いた小さな体。顔を覗き込んで抱き上げると、嬉しそうに笑う声が可愛い。



「あのね、きょうね、ようちえんでね、」


『うん』



一生懸命言葉を紡いで、反射のように動くもみじの手。

こころと離れてから、3年が経った。
私はあの後すぐに妊娠して、もしかしたらなんて考えたけど、志くんとの子のはずがなかった。
変わらず振るわれる暴力と浴びせられる罵声に、拠り所が無くなった心は粉々になって、そんな絶望の最中にあの人との子供が出来た事は、初めは正直複雑だった。
だけど、自分のお腹の中で確かに心臓を動かすその命に、今度はこの子が、私を生かしてくれようとしているんだと感じた。だから、私もこの子をちゃんと育てて、産んで、大切にして一緒に生きていこうと誓った。

この子が生まれてからは手を挙げられることは無くなって、私に対する言葉や態度は酷いものの、この子が無事なら私は何でも良いと耐えられている。
最も、そんな環境がこの子にとってもいいものであるはずはないから、何れは2人で此処を出て行くつもりだ。
志くんと居た頃、思い描きはしたものの決して現実味を帯びていなかったこの考えも、この子の事を考えると不思議と怖いものは何もない。子供というのは、偉大だ。



「おなまえのおはなし、したの」


『お名前のお話?』


「うん。さくらのおなまえは、なんでさくらなのかなって。」


『ふふ、さくらのお名前のお話か。』


「そう。ねえ、どうしてさくらはさくらになったの?」


『ん?んー、さくらはね、』



今でも鮮明に覚えている。
人生で見た景色の中で、1番美しかった、あの夜の桜。少し肌寒かったはずなのに、澄んだ空気は暖かかった。柔らかくて、優しい、私の心の陽だまり。



『桜はね、ママにとって、とっても大切なお花なの。』


「ピンクのおはなだ!さくらあれだいすきだよ!」


『ふふ、うん、そうだね。ママも大好きなんだ。だから、さくらもままにとってとても大事だから、同じお名前にしたの。』


「ふうん、そうなんだあ」



分かっているのか分かっていないのか、はたまたもう少し飽きてしまったのか。次に遊ぶものを探すように、大きな目をきょろきょろとさせながら曖昧な返事をするさくらが可笑しい。

どんな姿も表情も愛しいなあ、そう思いながらまあるいおでこを撫でると、くすぐったそうに笑ってから私の膝から降りた。

志くんは、この3年で目紛しい程の飛躍を見せて、今や日本を代表するアーティストになった。テレビに映るのも珍しくなくて、画面越しにでも姿を見れるだけでとても幸せな気持ちになる。
何の巡り合わせなのか、さくらは志くんの大ファンで、こころくんにあってみたいなあなんて呟いたりする。
色々落ち着いてから、機会があったらコンサートに応募でもしてみよう。決して全てを話す事はできないけれど、ママも志くんが大好きだよと伝えてみたら、さくらはどんな顔をするだろう。

あの、泣きながら笑って手を振った日。
あなたはどんな気持ちであそこを去ったのかな。どんな思いで、此処まで成長したんだろう。
好きな人は出来た?彼女は居るかな。私の事は、覚えているだろうか。他の女の子と居るの、少し苦しい。私の事忘れてたら、少し寂しい。だけど、あなたが幸せなら、それに敵うものはないから。
素敵な歌を届けてくれてありがとう。眩しく輝き続けてくれてありがとう。
離れてからも私を強くしてくれてありがとう。

私は今でもあなたが好きです。
あなたとの思い出を忘れる事も、この想いを伝える事が出来る日も来ないけれど、あなたを思い続ける事、どうか許してください。

大切な命と一緒に、あなたが繋いでくれた明るい未来を歩くよ。
だからどうかあなたにも、幸せな事ばかりが降り注ぎますように。





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